魔法使いカレンと生贄少女の旅

星月ヨル

第一章「旅立ち編」

第1話「選ばれた少女」

 魔導帝国首都ハイゼル。

魔導教会総本山グレゴリオ大聖堂前広間。


 「ナナ・クラディウス」


 「────え」


 高らかに名を呼ばれ、ナナ・クラディウスは信じられないという表情で顔を上げる。

今呼ばれたのは、確かに自分の名前だ。


 「還神祭の生贄は、東中央地区在住13歳、ナナ・クラディウスに決定されました」


「────や──」


 広間に集まっている数百人の視線が、一斉にナナの方へと向けられる。厳格な雰囲気を纏う神官たちも、興味本位で見物に来た一般市民も、全ての者の視線が一箇所に集まる。


しかし。

そんなことを気にしている場合ではない。

私は、生贄に選ばれたのだ。


 「──やっっっったああぁぁ──!!」


 歓喜の叫び声を上げる。

精一杯の笑顔で、喜びを証明する。

神にこの身を捧げる還神祭の生贄。

その大役に、自分が選ばれたのだ。


彼女はナナ・クラディウス。

長い白髪がよく似合う、13歳の女の子だ。





 生贄、という言葉がある。

そもそも贄とは、神だか王だかに対し、捧げものとして献上する土地の物産の事だ。創作物を捧げる事もあるが、基本的には魚や穀物を中心とした食物を贄とすることが多い。


そして生贄とは、文字通り生きた贄のこと。

神へ捧げる生命そのもの。



 「師匠ー!」


 選定式が終了し、一時解散が言い渡されたと同時に、ナナは勢いよく地を蹴り飛ばす。

そして大声で呼びかけながら、広間の端で待機していた師匠のもとへ駆け寄っていった。


 「カレン師匠ー!」


 「おかえりー」


 ナナが声をかけた先には、カレン師匠と呼ばれた人物が座っていた。広間の端にある建物の柱に寄りかかり、小さく手を振ってナナを出迎える。

小さな女の子だ。


 「師匠、見ました!? 私ホントに選ばれちゃいました!」


 「ふっふー、だから言ったでしょ、ナナが選ばれるって」


 そう言って答えるカレンは得意げに笑う。


 師匠と弟子。

通常、この繋がりにはある程度の上下関係が存在する。もちろん師匠が上で弟子が下だ。

友人同士のような仲の師弟関係もあるのだろうが、少なくともナナとカレン、この二人はある程度の上下関係を築いていた。ナナはカレンを師匠と呼び、敬語で会話する。


だが傍から見れば、それはとても師弟関係と呼べる外観ではない。


まず、カレンという少女。

そう、少女だ。

背丈は弟子のナナより一回り小さく、顔つきにも幼さが残っている。ナナの妹、もしくは背の低い友人だと思われても仕方がない。

黒い長髪をなびかせるその姿は、11、12歳の子供にしか見えないのだ。


その小さな少女を、ナナは師匠と呼び慕っている。

小さな弟子と、より小さな師匠。


 「いやでもホントに選ばれるなんて! 夢みたいです!」


 「おめでとうね。じゃ、なんかみんなこっち見てるし、今日はさっさと退散するよ」


 言われてあたりを見渡すと、少し離れたところで群衆が集まっていた。堂々と見ているものは少ないが、大半は物陰からこちらを覗いている。


 「はい! ……ん、みんな、遠くから私達を見てるけど、こっちには来ないですね」


 「選ばれた生贄には近縁者以外近づいちゃいけないからね。穢れがないようにとかで」


 「ほえー」


 口を丸くして感心するナナ。

カレンはその場から立ち上がると、広間から離れて大通りへ歩き出す。石造りの街並みにはほとんど人がいなかった。


 「ところで」


 カレンが小さく声を上げた。

そして歩みを止めぬまま振り返り、スキップしているナナに問いかける。 


 「還神祭の儀式は、いつ?」


 「明日の正午です。いやー、楽しみー!」


 「……そう」


 カレンは僅かに目を細め、声色を落とす。

明日の正午。現時刻より21時間後。

ナナは生贄として捧げられる。


 「……じゃあ、ちょっと挨拶して回ろうか。これで最後なんだし」


 「あ、そうですね。アイリーン達いるかなぁ」


 二人は大通りを歩いていく。

本当に、人が少ない。



ここは魔導帝国。

魔法使いを目指す魔導士が集う、魔法の国。





 「おや、ナナちゃん。天界神様の生贄に選ばれたんだって? すごいじゃないか」


 「そうなんですよ八百屋さん! 選ばれちゃいました!」


 大通りを歩いている途中。

通りかかった八百屋の店主が、手を振りながらナナに声をかけてきた。どうやら知り合いなようで、ナナは元気よく返事をする。

すると店主が、隣に立っているカレンの存在に気がついた。


 「おや、そちらのお嬢さんは?」


 「あ、そういえば初めてでしたね。こちら、私の師匠のカレン先生です!」


 「し、師匠?」


 意気揚々とカレンを紹介するナナに、店主は戸惑った表情で二人の背丈を交互に見る。なにせナナが紹介しているのは、彼女自身より一回りも小さな女の子だ。

カレンは表情を変えぬまま、戸惑う店主をスルーしてにこやかに挨拶する。


 「どうも、こんにちは」


 「あ、ああ、こんにちは。なんだか随分小さな師ショッッ」


 『小さな』と店主が口にした途端。

カレンは細長い杖(どこから取り出したのか?)を振りかざし、まだ舌を回している店主の顎を突く。


 「今チビっつったか?」


 「言ってないです……」


 笑顔を絶やさぬままキレているカレンに対し、店主は顎を突かれたまま弁解する。

その横で一部始終を見ていたナナが、目を輝かせて師匠を褒め称えた。


 「ししょーカッコいいー!」


 「ふっふー、ナナ、分かりきった事を何度も言うもんじゃないぞ。ヨシヨシ」


 「何だこいつ……」


 ナナの頭部をワシャワシャと撫でだしたカレンを前に、店主が後退りながら困惑する。

嬉しそうに撫でられている小さな少女と、得意げな顔のさらに小さな少女。

なんとも奇妙な師弟関係だ。


 「師匠って、なんの師匠なんだい? おじょ……カレンさん」


 「それでいいんだよ」


 呼び直した店主に対し、カレンは納得した様子でウンウンと頷いている。

その横から、言いたくて堪らないという様子でナナが割り込んできた。


 「魔術です! 師匠は私に魔術を教えてくれるんですよ!」


 「魔術……ああ、もう魔導士なのか。すげえな、まだ小さいのにイィィ」


 「テメェいい加減にしろよ?」


 口を滑らせた店主が再びカレンの刺突に襲われる。相変わらず笑顔が消えないが、その瞳はいっさい笑っていない。

カレンは背が低い事がコンプレックスなのだ。そのため、背が低い、小さい、チビ、などの単語に敏感になっている。


 「ったく。私はちゃんとまほ……魔導士だよ。ほら、支払いだ」


 店主への攻撃をやめると、カレンは店主に手のひらを見せる。何も乗っていない。


次の瞬間、光の粒子に包まれて、数枚の銅貨が出現した。


 「なっ……」


 「ふっふー」


 驚く店主にカレンは得意げな顔を見せつける。してやったり。


 「凄いな……魔術って、金を生み出したりもできんのか」


 「いや、これはあんたの財布から転移させたんだ」


 「は?」


声が聞こえなくても「は?」と言っているのがわかるような表情で、店主は固まる。

今カレンは、この銅貨で買い物の支払いをしようとしていたのだ。


 「ほら、いくら小さくても、私は立派な魔導士なんだよ。あんたより年上だしね」


 「……ああそう……」


 ついていけなくなった店主があきらめた様子で引き下がる。

すると横で話を聞いていたナナが割って入ってきた。


 「でも師匠、師匠は小さいままの方がかわいいですよ!」


 「ええ、そう? そうかなぁ、エヘヘェ」


 「何だこいつら……」


 店主が再び困惑するも、ナナとカレンは二人の世界を展開したままだ。

残り20時間とは思えないほど、穏やかな空気が流れている。





 「え、ナナちゃん選ばれたの!?」


 「うん、すごいでしょー」


 アイリーンが驚きの声を上げた。隣ではフレッドが、口を開いたまま固まっている。


今生の別れ、という事で、ナナは今までお世話になった人や友人達に挨拶をして回っていた。既に数人に別れを告げてきたが、みな同じような反応だ。


 「すごいすごい! それって、天界神様に気に入られたって事だよね!」


 「えへへー」


 「……」


 称賛の声を上げるアイリーンに、ナナは嬉しそうに頭を掻く。

フレッドは何か言いたそうにしているが、声が詰まるのか押し黙ったままだ。


 「ん、フレッド、どうしたの?」


 「え……いや、別に……」


 どこかよそよそしいフレッドにナナは首を傾げる。いつもはもう少し元気がある少年なのだが……


 「……じゃあナナ、そろそろ行こうか」


 疑問符を浮かべているナナだったが、それを横目で見ていたカレンがそっと呼びかける。


 「あ、はい! それじゃあ二人とも、明日の還神祭絶対見に来てね!」


 「うん、行く行く!」


 「……」


 はしゃぐアイリーンに対し、フレッドは固まったままだ。

疑問を拭いきれないナナだったが、カレンがもう歩きだしていたため、小走りでその後をついていく。

最後にフレッドが、なにか呟いていたような気がした。





 「ただいまー!」


 ナナは勢いよく扉を開くと、靴を脱ぎ捨てて我が家へ飛び込んでいく。

そう、我が家だ。

まだ日は落ちていなかったが「明日は大事な日だから」と言って、カレンが早めに帰ることを提案したのだ。


 「元気だね、ナナ」


 「はい。明日が待ち遠しくって」


 「そうかい」


 カレンは優しく笑うと、靴を脱いで部屋の奥へ歩いていく。はしゃいでいるナナと対象的に、カレンはどこまでも落ち着いていた。


 「今日は晩ごはん何がいい?」


 「カレーがいいです!」


 「昨日もカレーだった気が……」


 カレンは困惑しながらもキッチンの材料庫を漁りだす。手前に置かれていた、昨日使ったばかりのカレー粉を掴んで取り出した。


 「一応最後の晩ごはんなんだし、なにか特別なもんじゃなくていいの?」


 「いいんです」


 カレンは顔を上げる。

そこに立っている弟子の姿を瞳に捉える。


 「いつものが、いいんです」


 「ハハ、そうだね」


 カレンは小さく笑い返す。

適当に会話をしながら、カレンは鍋いっぱいのカレーを煮込んでいく。二人で食べるには多い気もするが、二人とも外観に反して大食らいなので問題はない。

箒で掃除をしていたナナは、掃除が終わるとカレンに声をかける。


 「掃除終わりましたー」


 「ご苦労さん。こっちもすぐ出来るから、座っといて」


 「はーい」


 キッチンからグツグツと煮込む音が聞こえる。同時にスパイスの香りが広がり、腹が減っているナナの鼻をくすぐる。


 「いい匂い……」


 そう呟いて、ナナは椅子へ腰を下ろす。


 「いやぁ、生贄かぁ。ホントになれるなんて思ってなかったなぁ」


 ナナは小さく、キッチンにいるカレンにも聞こえないほど小さく独り言を吐く。その表情には笑みが浮かんでおり、それを見れば彼女の内情は一目瞭然だ。


ふと、ナナは窓の外に視線を向ける。

日は沈みきってはいないが、外は徐々に夜へと姿を変えていた。普段は賑わっている街頭にも、今は人影がチラホラ見えるだけだ。昼間ナナがいた大広間には明かりが灯っていた。


その大広間に、ナナと同じくらいの年齢の子達が見える。楽しそうに、遊んでいる。


 「…………」


 ナナはそれを無意識に眺めていた。

それをどう思った、というわけではない。

ただ視界に入ったから見ていただけだ。

何も抱いてはいない。


決して     などと、考えてはいない。


 「ナナー、できたよー」


 「──わあ、美味しそー! はやく食べましょ、師匠!」


 「はいはい」


 カレンはあくまで落ち着いたまま、皿にカレーを盛り始める。

ナナは笑顔でそれを待っていた。


もう夜。

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