5.〈 03 〉

 3月8日木曜の朝は、なかなか爽やかに迎えることができた。

 ヘンな夢を見るでもなく、むしろいつもよりグッスリと眠れたからね。おかげで精神的にも結構楽になってる、気がする。

 昨夜はあれほど悩みに悩んで、苦しんで苦しみ抜いたのだから、どんなに意地悪な神様仏様がいたところで、もうアタシをイジメたりできないでしょうよ。これ以上は許すわけにいかないんだからね、弥勒菩薩みたいに優しいアタシでもな。


 時刻は6時40分になりましたので、食卓に着いて「頂きます」をする。たとえアタシ1人になろうとも、我が家の朝のしきたりは守り抜く!

 で、冷凍鯛焼きのレンジで温めたやつを食べる。熱い焙じ茶がよく合うね。


 リビングでテレビをつける。

 爆弾テロの続報が流れている。


《NY市内の病院に搬送された35歳の日本人男性は昨夜遅くに死亡しました。心よりご冥福をお祈り致します。かわって桜の開花情報です。》


「お可哀そうに……」


 気がめいるのでテレビを消す。サクラの気分じゃないのよ。

 スマホでWEB小説を読むことにしよう。なんかこう、心の底からスカッとするような作品がないか探そう。現実を忘れさせてくれるようなファンタジーとかをね。

 いくつか選んで斜め読みなどしつつ数10分が経ち、「今日もまた眠くなんないね」とか思っていると、玄関でガチャと音が鳴った。


「え、あき巣!?」


 ピッキングして入ってきやがったか?

 ソファーに深く沈み込んでいたアタシは静かに起きあがり、警戒&護身モードにチェンジ。足音を立てずドアの横に立ち、蹴りのスタンバイOK。

 ところがどすこい、アタシは察する。悪い気配じゃあない! とね。


「おお正子、ただいま」

「お帰りなさい、お父さん!!」


 思わず抱きついちゃった。なん年ぶりのことだろ?

 ものの10秒だったけど、お父さんの温もりと懐かしい香りを味わえた。チョッピリ脂臭いスーツが気になったことは不問としよう、許す。


「アタシお父さんのこと信じてたよ!」

「父さんも正子が信じてくれていると思ってたぞ」

「アタシもお父さんがそう思ってくれてるって信じてたよ!」

「俺もお前がそう信じてくれているはずだと信じてたぞ」

「アタシもお父さんが――」

「待て待て!」

「なに?」

「切りがないぞ」

「そうね、あはは」

「わははは」


 逮捕のニュースから24時間、不安と恐怖の渦巻くサスペンスのようなイベントが盛りだくさんだったけど、お約束的なラストシーンよろしくお父さんが無事アタシの元に帰ってきた。

 これだけでもどんなに心強いことか。ホントよかった!


「それで正男の状態は?」

「まだよ。昨日行って、ICUに入れてもらったわ。あの子ピクリともしないの。とても見ていられなかった……」

「そうか、今日は2人で行こう、後でな」

「うん」


 話したいことは山ほどあるけれど、まずはソファーに腰を落ち着けてもらう。


「電話してくれたらよかったのに」

「1秒でも早く正子の顔が見たかった」

「それじゃB級ホームドラマだよ」

「父さんにとってここはトリプルA級のホームだ」

「うふ、そうね」


 アタシに会うために一目散だなんて、それはそれでよしとしよう、許す。


「お腹すいてるでしょ、鯛焼きあるよ?」

「頼む」

「コーヒーだよね?」

「鯛焼きに合うか?」

「お父さんは今コーヒーが飲みたいでしょ。わかるの。だから飛びっ切りおいしいやつ、淹れてあげるよ」

「小説だけでなく人心も読める女か、不気味だぞ」

「もうお父さん!」

「はははは」


 うん、この軽口と笑い声。やっぱお父さんはお父さんね。

 ゆっくりと鯛焼きを食べてもらって、コーヒーも楽しんでもらう。

 そして話を聞く。


「同じ機械工学科に、小さい森と書いてオモリと読む准教授がいる。しかも名前が漢字違いのカズマサだ。そいつが俺の名前を使って、研究費の架空請求を繰り返していやがった。業者とグルになってな」

「なんだかB級サスペンスにありそうな犯罪手口ね?」

「現実なんてのはそんなものさ。そういう単純なゴマカシを見過ごしてしまっている大学側、経理課のやつらにも責任がある」


 おいおい経理課長さん、部下どもにしっかりお仕事させておくれよ! アタシのお父さん、トバッチリ受けて大迷惑なんだから。


「今回の件には、学長も重い腰をあげざるを得ない。近いうちに全学科シラミ潰しで、研究費は元よりすべての経費を再チェックするはずだ。黒いネズミどもがわんさか炙り出されるだろうよ」

「お父さんは絶対に大丈夫だね、不正しない人だもん」

「俺は『数が正しい』と書いて数正だ。研究費をチョロマカスなど言語道断。親爺にもらった名前を汚すわけにはいかないからな」

「その娘は正しい子で、息子は正しい男ね?」

「そうだとも」


 正男が身を投げ打ってオバアサンを助けたのは、正しいことだったと思う。お父さんの名前の由来を教えてもらった今だからこそ、そう思える。


「小森と、あと不正に関与していた業者の連中は夜に逮捕されたそうだ」

「だまし取った4千万円もの大金、どうしちゃったのかな?」

「別の准教授から聞いている話では、小森は仮想通貨で大失敗していたらしい。それで今も多額の借金を抱えてやがるとか」

「ふうん。つまり、悪銭身につかずだね?」

「そういうことだ」


 今度はアタシが話す番となった。

 ふり込め詐欺電話の件、強請メールとそれが原因で塾の職を失ったこと、洗いざらい話す。

 オキハサムの正体が雅彦という元彼だってことは伏せておく。アタシの男運の悪さをお父さんが知って悲しませたくないからね。


「お前、今後はどうするつもりだ?」

「今は正男のことがあるから、すぐには働かないつもり。ちょうどよかったのよ」

「そうかもしれないが、その先のことは考えないのか?」

「まだ決めてないけど、トンコに相談するつもりなの。あの子は派遣会社に勤めてるからね。それと他の塾も探してみようと思ってる」

「わかった。まあゆっくりやるんだな」

「うん」


 ここでお父さんは「さあて、風呂だな」といって立ちあがる。

 1時間後、車に乗りお蕎麦屋さんに行って軽くすませ、中原総合病院へ向かう。

 正男はまだICUの中にいて、昨日と同じ状態だった。


 家に戻り、お父さんはまたスーツ姿になった。大学へ行くんだとさ。

 通勤に車を使わない主義の人だから、駅までアタシが見送ってあげる。ていうか、今は少しでも横にいたい気分だから。

 駅に置いてある無料の求人情報誌を3種類もらって帰る。この先ずっとニートのままでいるわけにはいかないもんね。

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