2.〈 07 〉

 ここで「それでは今日はお開きにしましょう。どうもありがとうございました」ということになった。猪野さんがそういったのだ。

 時刻は午後3時9分。小説ファイルを復旧してくれたり、熱心に解説してくれたり、正式なプログラムもタダでくれたり、こちらこそサンキューです。


「猪野さん、どうしてそんなに親切にしてくれるんですか?」

「親切といいますと?」

「ファイルの復旧とか、正式なプログラムとか、ホントなら高いサポート代が必要なんでしょ?」

「そういう意味ですか。もちろん契約を結んで開発や作業をさせて頂く場合には、それなりの対価を頂戴することになります。ですが今日のことは、せめてもの償いなのです」

「せめてもの償い?」


 なにそれ!? なんの償いよ?


「大森さんに多大なご迷惑をおかけしてしまったことに対する償いです。僕は〈なるわ作品〉のテキストファイルをダウンロードしたことがありませんでした。今回のことで先日その機能を確認しました。それでダウンロードする際の文字コードの設定が、デフォルトではボムなしの〈UTF-8〉になることを知ったのです」

「そういえば、そんな設定ありますねえ」


 アタシほとんど気にしてなかった。デフォルトのままにしてたよ。


「先週のデモの前日に京極さんからサンプルとして頂きました小説ファイルの文字コードは〈Shift-JIS〉でした。それでパラメータ〈Encodingエンコーディング〉を省略した形でデモ版をご用意させて頂いた次第です。そこが僕の過ちでした。大森さんがお持ちのファイルも同じく〈Shift-JIS〉であるかどうかを確認すべきだったのです」

「へ!」


 なんとまあ誠実な男だこと! しかも下心なしノースケベエだし。


「そして先ほどのプログラムですが、あれは正式版ではありません。まだまだデモ版のレベルです」

「でも、アタシにとっては正式版ですよ?」

「そういって頂けるのは誠に光栄です。ですが正式版と呼ぶには、少なくともエンコードをプログラムで判定する仕組みを備えており、どのような文字コードのファイルに対しても正しく処理できるようになっていなければなりません」

「ほお!」


 なんとまあ謙虚な男だこと! しかも報酬なしノーギャラだし。


「ただし、どこまで高性能に作り込むかは〈valueバリュー engineeringエンジニアリング〉という考え方がありましてね、価格工学などと訳されたりしますが」

「価格工学?」

「はい。コスパの方が通じやすいかもしれませんね。つまり、お客様のご予算とご要望などをふまえて、その範囲内で僕たち開発者は必要に応じた最大レベルの対応をさせて頂くのです」

「なるほど、そういうことですか~」

「はい。そして、それよりもなによりも僕は大森さんに心からの感謝を表わさなければなりません。先ほどのプログラムは、その細やかなお礼でもあるのです」

「心からの感謝?」


 なにそれ!? なんの感謝よ?


「今日僕は生まれて初めて小説に感想を頂けました。僕が青春のすべてを注ぎ込んで書いた『人気だす草なぎ君!』の感想をです」

「えっ?」

「しかも、大森さんの美しい生の声で頂けました。感謝感激です」

「まあ!」


 美しい生の声ですって。さすがのアタシもちょっと照れちゃうよ。


「削除される直前の『人気だす草なぎ君!』は結構人気出してましたよね? その頃は総合評価も数千ptあって、もうすぐ1万に届く勢いだったのに、感想が1件も書かれてなかったとは、なかなか珍しい傾向ですね? まあそういうアタシだって書いてませんけど」

「ポイントも嬉しいのですが、むしろ僕は感想がほしかったのです」

「そうかあ、それでアタシが初感想ってわけね」

「はい。大森さんが最初で最後の人なのです」


 そんな、まるで世界に2人とない伴侶みたいな……。


「でも未完結のまま更新されなくなったのは残念でした。続けてたら、数万ptとかになったりレビューも書かれたりして、書籍化されてもおかしくなかったもの」

「さあ、それはどうでしょうか。あの頃には他にも大ヒット作がゴロゴロとありましたからね」

「まあそうですけど……、でもアタシは続きを読みたかったな」

「そこまで気に入って頂けて嬉しい限りです。実は完結までの原稿があるのです。お読みになられますか?」

「ええっ!? それってホントなんですか!」

「はい。未投稿のまま古いパソコンに残っています」


 もうマサコちゃん驚きの連続ですよ! すっかり諦めてたもんね~。


「もちろん読みたいです!」

「ではメールに添付してお送りしましょうか?」

「添付ファイルとか使ったことなくて……」


 お父さんか正男に教えてもらえば、アタシだってできるでしょうけど。


「では京極さんにお送りしましょうか? 今度お会いされたときにお受け取りくださればよろしいかと」

「それもちょっと、トンコと会うことも、めったにありませんから……」

「そうですか」


 猪野さん、もう1声かけてよ。アタシたちまた会えるよ?


「そうしましたら来週もここで、というのはどうでしょうか?」

「はい! ああでも、お時間取らせちゃうとご迷惑になりますし……」

「そのようなことはありませんよ。僕の小説の読者さんの中で、お目にかかって話すことのできた世界に2人とないお方、それが大森さんなのですから」


 なんかベタな口説き文句みたいになってますけど、まあよしとしよう、許す。


「それじゃあ猪野さんのご都合が悪くなければ、次の日曜も午後1時に?」

「承知しました」


 そして2人は店を出て、まるで2度目のデートの約束をすませた、まだ手も握っていない高校生男女のような空気を残して別れる。

 アタシの18歳の秋がこんな感じだったらよかったのにな。

 それまでは男子どもの告白をずっと袖にし続けて、ようやくカッコいいと思えるのが現れて、ちょっと浮かれて雅彦そやつの家に行ったのよ。そしたらいきなりabcという典型的なパターン。その晩、アタシ泣いてたね……。


 雅彦は高校で同学年の別クラス人だった。クリスマスイブの約束の時間にこなくて、電話しても出ないから着信拒否にして帰った。

 冬休みがあって、次に会ったときに土下座でもしたら許してやろうかと思ってたんだけど、なんと3学期の初日にもう別の女とくっついていやがった。

 今となってはどうでもいいけどね。ていうか、もうどうにもなんないわ。初めてがアタシと同じ形になっちゃうJKたちって、この日本にどれほどいるんだろ?

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