第1章 パワーショベルウィザード

1.〈 01 〉

 生まれてこの方23年半、ずっと待ち望んできた。たとえるなら、この先アタシが間違って地獄の八丁目まで迷い込んだとしても命がけで追いかけてくる、少なくともそこまでアタシという1人の人間に対してひたむきになれる男をね。

 思えば18歳の秋からの5年間、女としてのアタシの美を見ることで喜び、さらにアタシの体にまたがることで喜び満足しておきながら、アタシという人間そのものに「性格に難あり」だなんてイチャモンをつけて去った男ども。あやつらはアタシの中を吹き抜ける、汚れたホコリまみれのスケベエな風だったのよ。なぁ~んて、脱却的に思うことにしておく。


 だって今回ようやく、〈双方向大本命〉と思えるような彼氏をゲットできちゃう兆しを感じてるから。お互いを世界に2人とない伴侶とみなして愛し合えるようになるんだよ。へっへへへ~。

 そう、アタシ今日から春です。そのつもりなの、やる気満々ですわよアタクシ。

 今年こそは本気だぞ、100%、絶対に。ええやりますとも!

 だから下着は、1回だけ使って〈着け心地のよさ〉を確認してあるもので、そのうち1番いいのを選んできたもんね~。そしてストッキングが新品なのはいわずと知れたこと。


 そういうわけで着きましたよ。ここが指定された喫茶店。

 入ってすぐ、京極東子きょうごくとうこ、すなわち今日アタシとまだ見ぬ彼との間を飛び交って〈キューピッド〉を演じる手筈になっているトンコの顔が見えた。あいかわらずブタみたいな鼻だわ。

 その同じテーブルに、濃紺のスーツ姿がこちらに背を向けて座っている。例のイケメンプログラマーだね。髪の量も体の横幅も問題なさそうだし、あれで足が短くないなら身長も合格っぽい。その通りだったら評価ポイントをプラス1してやることにしよう。


 そして「お待たせ」「ここに座って」「うん」というやり取りをして、トンコの右の席に腰をおろし、さっそく男の顔を見てやった。

 おいおい、ちょっと待ちなよトンコ、話が大幅に違ってるぞ!! 僧侶コンビのカッコいい方に似てないし! といってもう一方とも違うし! こやつは、どこにでもいる30歳前後のサラリーマン独特の雰囲気と油風味を放つ顔してるじゃん!


「どうも初めまして、猪野と申します」

「大森です。今日から春です」

「そういえば今日は立春でしたね」


 おっ、この男ちょっとは話の通じるやつだわ! ああでもこの程度じゃあアタシのテンションあがりませんけどね~。

 と、ここへ水と女性店員がきたので、ホットレモネードを注文した。

 数秒間トンコも男も口を開かないでいるから、率先してアタシが質問を投げかけることにする。


「猪野さんは、いわゆるサラリーマンですか?」

「フリーランスです」

「そうですか……」


 夜だけの塾講師やってるアタシも同じくフリーランサー、ていうか実質的にはフリーターなんだから、まあよしとしよう、許す。


「正子ちょっと元気ないねえ。カゼ気味なの?」

「違うけど」

「それならいいのだけど、少し表情が暗いから……」


 誰のせいよ?

 ていうか、トンコのくせしてアタシをだましやがって。ムカつくわ!


「レモンにはビタミンCが含まれていますから、カゼ予防には効果的ですね」

「そうですね」


 けれどそんな効能を期待して選んだわけじゃあない! 昨日たまたま口から出たものがメニューに載ってたから「久しぶりに飲みたいな~」って思っただけです。今この場でビタミンなんてどうだっていいのよ。油性サラリーマン仮面。

 あぁ~あ、下着の〈着け心地のよさ〉が抜群でも、この〈居心地の悪さ〉がそれを打ち消してくれちゃってるよ。もう帰りたいな~。


「それではご両人の自己紹介もすんだことですし、そろそろ始めては?」

「はい、そうしましょう」


 はぁ? なにを始めるってぇの?

 アタシだけが知らないのはムカつくけど、でもここは黙って猪野さんのやることを見ることにしよう。

 すると、出てきたのは小さいノート型パソコンだった。


「京極さんから事前にお聞きしたところによりますと、大森さんは多数のテキストファイルの扱いのことでお困りになっていらっしゃるようですね。それらを1つのファイルにまとめたいものの、手作業でこなすには途方もない時間と労力とが必要になり、とても現実的ではないため、それでたいそうお悩みだとか?」

「そうですね」


 おやまあ流暢に!? パソコン起動と同時に猪野さんのスイッチも入ったみたい。

 ていうか、そういえばこの男、パワーショベルウィザードと呼ばれるプロのプログラマーだったわね。

 そのことすっかり忘れてたよ。数100話からなる連載小説のテキストファイル数100個を一瞬で1個にまとめるプログラムを作ってくれるんだった。今日はそれだけもらって帰ることにしよう。


「ではこの案件はぜひ僕にお任せください。幸いにして、対象となるファイルはどれも連番のついた規則的な名称になっているようですので、それならば10数行ほどのスクリプトで一括処理が可能となりますから」


 ああでもちょっと待った。アタシがまとめたいのは小説の作品ごとなんだよ。だから別の作品が、ごちゃ混ぜ状態になってしまったんじゃあ本末転倒なの。この人、それをわかってんのか?


「あの猪野さん、1ついっておきたいのですけど?」

「どうぞ」

「アタシが集めた10万個以上のテキストファイルは、1つのフォルダの中にばらばらで入れてあるんです。それらは小説なんですけど、数100個で1つの連載作品になるのもあるし、短編形式といって1個で1作品のもあるんです。だからまとめるといってもそれら全部をまとめるわけじゃなくて、各連載作品をそれぞれ1ファイルにしたいという意味なんです。わかります?」

「はい。そういう想定で既にスクリプトをご用意してあります」


 おおっ!! この男、なかなか話の通じるやつだわ!

 マサコちゃんビックリ。ちょっとテンションあがってきちゃったかも!

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