1.〈 02 〉

 猪野さんがノート型パソコンを使って、テキストファイルをまとめる処理のデモンストレーション、略して〈デモ〉をやってくれるというので、アタシは席を移動した。

 こんな場所で歳のそれほど離れていない殿方と並んで座るこの距離感、これはアタシ実に半年ぶりのイベントなんだわ!

 でも、トキメキがこないな~、残念ながらね。

 それに世間のオジサンたちがこぞって使ってそうな、この男性用香水のどぎつい匂いもちょっとあれだわ。この人のはが抑えられている方ではあるけれど……。


「わかりやすいように3ファイルだけ作ってあります。テキストの内容自体も極めて単純なものです」


 この声で我に返ったアタシです。でもまだ匂いは気になる。

 で、パソコンの画面はというと、猪野さんが指差している〈C:/Users/Ino〉というフォルダの中に、3個のテキストファイル〈ABC0000-1.txt〉、〈ABC0000-2.txt〉、〈ABC0000-3.txt〉と、また別のアイコンのファイルで〈combine.wps〉が入っている。この〈combine〉という英単語は〈結合する〉という意味だね。

 そして3個のテキストファイルが開かれた。それらの本文はそれぞれ〈あああ〉、〈いいい〉、〈ううう〉となっている。

 はぁ、なんじゃこりゃあ? まったくもって小説らしからぬ内容ですよ。こんなの評価ポイント0です! レビュー? ――ざけんな!!


「これらを使いデモを行います。では実行しますよ?」

「はい」


 猪野さんの指に操られるマウスポインタが〈combine.wps〉のアイコンを右クリックしてメニューを表示し、それの上から2番目にある〈PowerShovelで実行〉を選ぶ。

 パッと別の画面が現れ〈正常終了〉と表示された。わずか1秒だ。


「完了です」

「お!」


 フォルダ〈C:/Users/Ino〉の中に、さっきはなかったファイル〈ABC0000.txt〉が、今はできあがっている。それがダブルクリックされる。

 表示された本文は〈あああ〉、〈いいい〉、〈ううう〉の3行。ちゃんと間に改行の入った形で結合されている。もしこれが〈あああいいいううう〉という1行になったのなら言語道断なんだけど、そうならずうまく1ファイルにまとまった。まったく異常なし。

 ああでも、これやっぱり小説じゃあない! アタシは断じて認めぬ!


「シンプルなケースでの処理結果をお見せしましたが、ファイルの内容が多種多様であったりファイル数が10万を超えていたりする場合や、短編形式のファイルが存在する場合なども含めて、想定されるあらゆるケースとして約2千項目のテストをクリアしております」

「そそ、そんなに!?」

「はい。それが僕の作るプログラムの品質です」

「ほ!」


 なんとまあ、プログラムを作るだけでなく、その検証まで万全にすませてクオリティーを完璧にしたってか!

 あ、でもいつの間に?? アタシが昨日トンコとの通話を終えたのは午後10時くらいだったし、それから今日ここの集合時刻まで高々15時間だよ!

 睡眠や食事や移動の時間を差し引くと数時間……、はてはて、この人なに者?

 ああいやいや、アタシは既に正体を知っていたのだ。こちらのお方は、パワーショベルの達人なんです。すっご~い!

 ていうか、もしかしてトンコ、この男にアタシの写真送ったか? それで見返りを期待してこんなにも頑張ってるんだ。まったくスケベエだわねえ。


「ところで大森さん、お尋ねしたいことがあるのですが」

「は、どうぞ」

「10万個以上のテキストファイルを1つのフォルダに置いておられるそうですが、それで不便はありませんか? 例えば、読みたい小説がどのファイルなのかわからずに困るようなことなど」

「いえいえ、そんなことは気にしてませんでした。アタシ小説読むのは専用アプリを使ってるんです。そのアプリがファイルを自動的に見つけてくれますし……」

「小説を読むためのアプリ、ですか?」

「はい」

「そうですか。では連載形式の小説ファイルを1ファイルにまとめたい理由は?」

「1話読み終えるたびに〈次へ〉を押さないといけないから。それ面倒なんです。集中してスムーズに読み進めたいのに……」


 この問答の次は、読み専アプリの〈PageOnページオン〉について聞かれたので、小説ファイルを入れてあるフォルダの設定、〈書名〉のつけ方や〈書棚〉の作り方、〈栞〉、〈注釈〉、〈辞書〉などの各種機能をザックリと説明してあげた。

 それで目の前のパソコンに〈PageOn〉をダウンロードして、猪野さん自らが実際に使ってみることになった。

 アタシはその様子を横でレモネードを飲んだり水を飲んだりしつつ眺めていた。ときどき猪野さんから投げられる質問にももちろん答えた。

 しばらくして、ようやく猪野さんは納得したようだ。


「僕が大きく懸念していました事項は2点あります。まず1点目は連番つきの小説ファイルが〈書籍登録〉された状態で、それらのファイルを連番なしの小説ファイルに置き換えるとどうなるかです。そして2点目は数100万文字もあるような大容量の小説ファイルがストレスなく閲覧できるかどうかです」

「はあ」

「それらを含め様々な角度で検証しましたところ、いい意味で裏切られました。僕の抱いていた懸念は、ことごとく杞憂に過ぎなかったということです。いやあ、この〈PageOn〉というアプリはフリーウェアではありながら実によく設計されており、誠に素晴らしいソフトウェアです。この30分間で僕は大いに感動しましたよ! わっははは~」


 おおっ、この人が声をあげて笑うのを見るのは初めてだよ。でもこれって?

 うん、横から近くに見るこの笑顔、ホント微かではあるけれど『銀河ドラマ』の僧侶コンビのカッコいい方が笑っているときの、あの彼の横顔に似ているといえなくもないわ。つまりそういうことだったか! 人間は1方向だけで決めつけてはいけないね。

 そうかあ、トンコもあながちアタシをだましたわけじゃなかったんだ。そう気づいて、思わず前を見た。おいおいトンコ、1人で気持ちよさげに居眠りか!!

 それはそうと、疑ったりして悪かったね。マサコちゃん少し反省。

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