ミステリを書いてみて
ということでミステリを書きおえてみたら、色々と分からんことが出てきたのである。書いたのは『互いに六ツ見し日頃の怨』という作品で、ここでも触れたことのある提出物に怪文書が紛れ込んでいて――と始まる。創元の学園ミステリコンテストに出した。
現在も公開中だけれどもも引くほど読まれませんでしたので中間選考どころか勝負の土俵に立つ前の抽選で落選したようなものというオチです。なんでやねん。まあ落ちるのは慣れっこなのでどうでもいい。どうでもよくないけど、いい。
分からんのは、これミステリってみんなどこを楽しんでいるのかよく分からんな?
実際に書いてみて分かったけれども、ミステリといえどエンタメなので、お話の構造や構成は非常に簡単というか、むしろラノベなどのアクション系エンタメより素直な気がしないでもなかった。分からん。※個人の感想です。
書いてみて分かったのは、アクション系エンタメとミステリの一番の差異は、メインディッシュの場所が違うことである。
アクション系エンタメはその名の通りアクションが一番のカタルシスポイントとなっている。ど派手なラストバトルでぶちのめすところが終着点となっているので、そこに至るまではぶちのめしたくなる理由の積み重ねとなり、必然的にある種のストレスを読者に強いる。
一方で、ミステリ系エンタメは犯人当てやらトリック当てやら色々と類型があるものの、ラストバトル=推理ショーはメインディッシュでなくデザートに近いように思われるのだ。わからんけど。
というのも、犯人なぞ出てきた段階でほぼ分かるからである!
どばーん、とブチかましたが、これはメタ読みしがちな頭の残念な読者(私だ)の話やも知れぬ。でも倒叙型すなわち犯人が最初から分かっているタイプはどうやって犯人を落とすのか、あるいはどういう犯人なのかを理解する過程がメインなので、言い換えれば最初からずっとラストバトル状態なのだ。
先のアクション系と矛盾しているように見えたら私の説明ぢからが低いだけです。
いやでもアクション系エンタメと倒叙ミステリのネックは道中のストレスフルな環境なはずなんですよ。アクション系の読者はアクションを見たいから小中大とバトルを挟んでメインストレスを脇で溜めながらその場の快楽を得、倒叙型ならミステリ読者の楽しみは謎を追いかける過程なのでストレスを感じないのだ。たぶん。
ここに、私のミステリ不得手の原因が露わになった。
ようするに私の脳はアクション脳なので、謎を追いかけている段階が途方もなくかったるく感じてしまうのだ。導入とかやべーです。ミステリは死体を転がすことで克服したことになっているが死体が転がってるくらいアクション系では普通なので何の刺激にも説明を省略します。
そうつまり、私が分かったミステリのわからんこととは。
これ私がつまらねー! と思って書いているところが読者的に面白ポインツになるのだな? ということです。私はアクション脳なのでちょっと派手になる推理ショーをメインディッシュにしようとするが、ミステリ好きプロパーには推理ショーに至る過程が一番大事で、ショーの最中の論理的整合性はわりと無視されるのでは。
わからん。あくまでも私の感想です。
でも、アクションでそのとき不思議な力が! をやると死ぬほど冷める(=道中の伏線を回収して勝ってほしい)ものの、ミステリのラスト推理は語気とノリと勢いで誤魔化されてもわりと気にならないように思う。
うん。わからん。これも私の感想である。
……言うて、道中である程度ほかの可能性を潰して(その過程を見せて)おけば推理が始まった段階で読者は切り替え完了している気がする。つまり、物語が終わるのだなというスイッチであり、暴れん坊な将軍様のでーんでーんでーーーん! でででででででで、でーでーでー! でーでれー、でれーでれー! に思われる。
そこに至った時点で物語は完成していて、オチがんなアホなという推理であったとしてもクソぁ! と自宅の壁にワインドアップでぶん投げられるだけで読者は一定以上の満足感を得てしまっているのではなかろうか。
わからん。わからんから、もうちょっとだけ考えてみる。つもりである。
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