新奇性
何が新しいのか、よく分からん。
昨日は無駄な攻撃性を発揮してしまって申し訳ない。意外にも開会式に期待していたのかもしれないし、森山未來までは、ええやん、と思っていたからこそ安い座頭市で腰砕けして、無為な怒りに転化してしまったのかもしらん。分からんけど。
この、前半の、ええやん、が新奇性だと思う。
分からなすぎて補足説明がいる。
昨日も触れたが、独自性が高すぎると、作った人にしか分からなくなる。作者に客観視が抜けている場合は最悪で、本人ですらよく分からない代物が生まれる。
オリジナリティ特化のオブジェは評価しようがなく、オリジナリティも新しさも分からなくなるのだ。まあ稀に分かられてしまう悲劇も起きるから分からんのだが。
もとい。新奇性を追い求めたがゆえの悲劇を防ぐには、すでに知られた新しくもなんともないものを先に見せておき、徐々に斬新を実装していくのが簡単だ。それが開幕式のオープニングだった。
新奇性の実装手順として順当だと思う。既知から新奇へのグラデーション。次は何かと身構えさせる。期待は高まる。なんだ。何がくる?
――ン? 法被? 真矢みき? ……大工? え、これ――
以降は省く。私的には
新奇性の分からなさは、このあともある。
たとえば、比較的に好意的だったらしいゲーム音楽での入場なんかがそうだ。
見た人は、新しいと思ったのだろうか。
別に
たしかに、オーケストラといえどゲームの音楽が入場曲に使われたのは斬新だったと言えなくもない。
しかし、その斬新さは、ゲーム音楽だと知っていて、かつゲーム音楽がどういう立ち位置にあったか知っているのが前提ではないか。いや、分からん。新しいと思う人もいるかもしれない。これドローンでは逆の現象が起きていて、関連する情報を知らない人には斬新に思えたのではないか。分からんけど。
分からんけども、知識や文脈を前提にした新奇性は扱いが難しいのは、わかった。
新奇性には他にもややこしいトコがあって、嬉しくないこともある。
たとえば、組織委員会会長とIOC会長の演説が一国の象徴よりも長ったらしいのは斬新かもしれないが、政治的スカポンタンを自認する私ですら嬉しくないどころか眉をぐにょった。
鳩飛ばして、お約束から新奇性への流れを作り、ピクトグラム。これもそうだ。多分が~まるちょぱあたりであろう演者には申し訳ないが、動きを切り取って表象したピクトグラムを実際に動かすってのは進化じゃなくて思考停止の退化では。野暮ってもんなのでは。いや、分からんけども。
私は、新しいと受け取った人を批難するつもりはない。創作者に対する受け手の感覚は常に正しい。ケレン味はあったと思うし、五輪会場でテレビ枠や小劇場スペースの演目をやるという斬新さはあったのかもしれない。
アッ、紙幅……。
……なんかよく分からんけど、色々と学べますね。
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