オリジナリティ

 今日も今日とて、やる気をだすという行為へのやる気を出すべくアレコレしていたのだが、その一環としてオリンピックの開会式を見ていて、ふと分からなくなった。


 オリジナリティとは?

 

 画面では古くs懐かしい幾何学図形からの競技場、広大な空間でランニングマシンという哲学、イスラエル留学してた森山未來さんのダンス、世界のビート座頭市大工タップ廉価版である。秋田っぽい提灯が運ばれ、島唄っぽいのが聞こえ、ドラクエのファンファーレである。


 ――えぇい! 演出を呼べぇ!(もういない)。


 ふざけすぎた。まあ最初からこうだったのか知る由もないし、日本は提灯ムーブ大工タップ木こり歌に象徴されるのだろう。たしかにオリジナリティはあるかもしれない。日本というオリジナリティかは分からないけれど。


 さて、創作の世界でもオリジナリティはとても大事である。分からん。大事とされておるが、オリジナルの基準が分からんので、どれくらい大事なのか計り知れない。


 たとえば、音楽の世界ではサンプリングというパクリだかオリジナルだか分からない手法がある。絵画ではコラージュなんかが似た問題を抱えた。映画ならオマージュにインスパイアにパロディだ。ドローン芸だって他国がやったのの真似である。


 オリジナリティって、何。


 一次創作とするのは容易い。だが二次創作にもオリジナリティはあろう。公認、非公認を脇におけば。いやキャラはパクっているか。そうかといってオリキャラ出しても世界観はパクリだな。やっぱ分からん。


 ベタを書こうと思って書いた『たとえ空を~』だが、ベタというからにはオリジナリティが高いといえる部分は欠片ほどもない。――と思う。


 思うというのは、自信がないからである。


 なにしろストーリーにキャラに設定に、似通った作品はいくらでもあるはずなんである。調べないと分からないけど調べようったって絶版を含めたらどうにもならぬ。


 なら、要素の組み合わせで考えようとなる。ストーリー、キャラクター、設定の三つだ。まあ四つ目にテーマを置いてもいいかもしれないが、普通は先の三つで透かし彫るもんだと思う。分からんが。


 で。


 各要素は借り物でも、組み合わせが新しい、とか、そういうのでオリジナリティを表現すればいいのだ! 

 ――と、考えてしまいがちである。私は。だが本当にそうなのだろうか。


 公募の世界では、真に書きたいのが書けるのは処女作だけ、などとまことしやかに言われておる。まあ売上とか絡むのだろうから悲しいけど分かる。分かってしまう。


 しかし、真に書きたいのがベタだった場合どうしたらええのん?


 そもベタで受賞はハードルが高そうな気がする。いや、受賞したことがないので高そうな気がするだけで、実際はベタのが通りやすかったりするのかも。


 ありえるのか、そんなことが。


 ところでイマジンの採用はレノンがオノ・ヨーコの詩集から歌詞をパチったのを認めていて数年前に共作扱いになったので日本オリジナルだぜ、という勝利宣言めいた解釈でよいのだろうか。


 ていうか、テレビ屋の傲慢が覗く謎寸劇とか、意識高い芸人の考えそうな仮装大賞とか、ジャズ歌舞伎とか、アキラの構図を借りてきたような安っぽい富士山大噴火聖火台とか、組み合わせ方にオリジナリティありすぎて理解しがたくない?


 あ、なるほど。オリジナリティが高すぎると誰も理解できなくなるのか。

 ――いや、わからん。

 みんな頑張ったでいいのにね。なんでじゃろ。

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