読書

 あらかじめ断っておくと、今回はいつもよりエッセイ色が強い。番外なので好き放題にやっておる。いやまあ最初から気を使っていたかというと分からんが。


 実は、ちょっと前に、お前の書くラノベはラノベだがラノベじゃない、というよく分からんが何か分かることを指摘され、ふと何でじゃろと思ったのである。


 まあ互いのラノベ性の違いなどというバンド解散理由ランキング第三位じみた解釈をすれば簡単な話なのだが、勿論もちろん、拒否する。デーンと鳴る銅鑼ドラの音。


 私の書く小説の話なので、基本的には私に原因があると仮定する。過去に立ち戻って自分の背中をルックバックである(さして悔しくもなく面白かったです)。そこで立ち上がってくる原因が、私の『エンタメ』定義だったりする。


 ようは、読書遍歴だ。


 巣に帰るコンドルの如く論理が飛躍しておるが、説明すると長いので割愛する。

 結論だけ先取りすると、私は勉強のために本を読んだという経験が恐ろしく少ないのである。それこそ、創作なるものをわりと本気で始めようと思ってから、いくらかしたくらいです。ラブコメ、BL、ハーレクインなど。まだよく分からん。


 いや教科書はどうだと反論を受けそうだが、私にとって数学の教科書はヘタクソな翻訳のSFだったし、理科の教科書は偏執的な叙述小説であった。当然、小説は小説であり続けたし、音楽の教科書は解説付きの詩集である。


 後に専門書類も読むようになったが、あくまでエンタメとして吸収し、知の集積は副産物でしかなかったのである。いまカッコイイこと書いた。使ってくれてもよいのだぞ? いや使うほどでもないが。


 そんな調子で生きてきたので、私にとって本は面白いエンタメか面白くないエンタメにしか分かれない。一般的な分類やら評価やらへの対応力すなわち話あわせるぢからはあるので普通の解説もできなくはない。が、やはり基本はエンタメにある。


 そりゃー私のラノベ感も歪む。


 私にとってライトとは『簡単に読める』か『鞄に入る』という意味であり、ノベルとは『文章』なのだ。……いや、分からんけども。わからんけども証拠はあったりする。


 その昔、まだカクヨムが産声をあげたばかりの頃、私は『バカが本を読みます』という書評を書いていたことがある。巷にある本を読み、小説の役に立つよう解釈するという、異常を装った私のスタンダード読書スタイルの開陳である。露出狂か私は。


 書評そのものは、クソみたいなコメントがきたらやめると決めて書いていて実際になんちゃらの二番煎じという嘘みたいにクソなコメントがきたので消してしまったのだが、さすがに原本は手元に残っている。


 一例をあげると、『方法序説』『精神現象学』『SとM』『エピソードでつづる闘牛士名鑑』などである。知人には狂ったラインナップと評されたが本人的には至ってマジメに何度も読んだエンタメの数々だ。分からん。精神現象学は中だるみにへこたれて数回しか読んでない気がする。まあよい。


 とてつもなく話がずれているように見えるだろうという自覚はあるが、実はまったくズレていないのだ、これが。

 

 私にとってそれらの本は、バーンドカーンアイラビューであり、上質なミステリであり、古い伝記小説なのであった。

 

 ゆえに、私はラノベを書いているのであって、私が書いているのはラノベなのだ。


 ――いや、うん。分からんけども。

 特に分からんのは何がどう『ゆえに』なのかだったりもする。

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