三人称

 一人称はよく分からんと言っておきながら、じゃあ三人称は分かっているのかというと――分からないんだな、これが。


 創作論好きな人だと耳タコどころか一周まわって『三人称の種類の説明に味が出てくんのよ』みたいな感じだろうが、創作論ジャンルに身を置く以上やはり確認しておかなければならない。よく分からないからやりたくないのに。のに。


 まず三人称というのは、語りの主語に『僕、私』などの一人称ではなく、『彼』や『人名』など三人称を採用する形式である。そのうえで、語り手の視点の違いによって、いくつかに細分化されている。


 一般的には、一人の内面描写だけ許す三人称単視点、複数人に許す三人称複数視点、もう好き勝手やっていいよな三人称神視点、でもって私の好きなアーネスト・ミラー・ヘミングウェイの内面描写など一語足りとも許さん完全三人称である。


 正直、どれが多いとかは分からないし、私に言わせればこの分類も若干、甘い気がしないでもなかったりする。たとえば、視点人物の変更は許可するも主人公が傍にいないときは内面描写できないとか、そもそも別の場所に視点を飛ばしてはいけないとか、凄いマニアックな区分ができるのである。説明しないけど。


 ここまで前フリである(絶望)。


 ちなみに私、人生で初めて書いた小説は三人称で、一人称小説の方がウケがよいとかいう雑な甘言を真に受けて一人称で何本か書いた後、向いてないなと三人称に戻ってきたクチだ。


 その後、紆余曲折を経て、気づくともうこれ一人称じゃね三人称へと至り、かれこれ……よく分からんくらい書いたが、なお三人称で分からんことがある。いわば三人称沼だ。その、恐ろしく深い沼の名は、


『は』と『が』が分からん沼という。


 は? となった創作者の方は正常である。今後も健やかに三人称を書いていただきたい。それな! となった創作者は私と同じ沼にハマっておる。危険だ。早く脱出できるよう、お線香あげておきましょうね。


 さて、はが沼とは、何か。

 それは、アルは言った、アルが言った問題である。

 アルは主人公だと仮定して読んでみてほしい。


 なぜか分からないが、私は『は』に主体性を感じ、『が』に他人事感を感ずる。


 私の三人称は、空行ないし*や章分けなど、場面の切り替えを挟まずに視点をずらすことがほとんどない。殆どなので、たまにはある。その『たまに』で使用されるのが『は』と『が』の使い分けだったりする。たとえば、


 なんだそりゃ。アルは内心で毒づきつつ、言った。

「ま、まあ、そういう人もいるんじゃん?」

 イルも頷く。

「うん。いると思う」

 イルはアルに目配せした。

 これでいい?

 アルが小さく頷いた。

 

 みたいな感じである。違和感なく読めているだろうか。もし読めていたら小躍りしちゃう。というのも、私的にはとっておきニューモノアルトゥラマイクロスヵピックシリコヴァルケイノウ高等技術で、上手くいってるかいつも悩むし紹介するのも躊躇するウルテクなのだ。分からん。どこらへんが高等なのかすら伝わらんかもしれん。


 原則でいえば、三人称単視点のコトワリから外れておる。でも、なんとなく自然に読めるような気がしないでもない。少なくとも私はそうだから技術と強弁している。


 でもこの感覚、普通なんだろうか。


 分からん。とりあえずサブキャラが『は』を使うと違和感を感じるときがある。文法的には間違ってないから困る。


 この感覚、私だけでしょうか(思春期特有の特別感)。

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