一人称

 番外なので雑だと、先に宣言しておきます。 

 そのうえで、新作を書く前に文体を整えるつもりで千字以下の短編を粗製乱造していたのだが、やっぱりというかなんというか、分からんことがでてきたのである。

 

 一人称の地の文、よく分からんな?


 まあ番外枠だし、正直あまり、というか、創作をするうえではまったく気にしないでいいナゾではある。そもそも私の場合は一人称を書くこと自体が少ないし。でも。でも、気になってしまったらモヤモヤが止まらんのである。


 おれは行った。


 これ、何。地の文。いや、それは知っておる。

 これ、誰に話しかけてるんだろうか。読者。まあそうだろうけども。いやいや、本当に読者でいいんだろうか。

 

 その昔、イカレポンチの若者、内省的なオッサン、脳みそバグってる女子の一人称を、それぞれ一章ごとにつなげた長編を書いたことがある。そのときからどうにも座りが悪いような気がして、各章のタイトルを『○○の証言』みたいにして自分のなかで消化していた。


 そもそもにして、一人称小説の文章というのは、不自然である。誰かに対して語りかけているように過去形で書いているはずが、独白めいた文章は現在形で書かれてたりする。自然な会話を意識すると、まあそういう話型もなくはない。ここでまた余計に分からなくなる。


 三人称の小説でよくあるミスとして、読者を笑かしにかかるというのがある。いつだったか、浅井ラボの講評か何かで『素人は読者を笑かし、プロは登場人物を笑かす(意訳)』みたいなのがあり、それー! と叫んだ記憶もある。


 それがどう繋がんねんと思われるでしょうが、一人称の小説で誰がどういう目的でどなたに語っているのかというのは、実はすごく重要……なんだろうか。書いてて割と本気で分かりません。


 なんなら一人称小説の本当の武器ってそこらへんなんじゃないかと思えてくる。また困るのが、以前にも書いた一人称の語彙だとかの、一人称小説の思考形態だ。


 一人称小説は、当然、主人公によって語られる(おとぎ)話であるので、説明部分と思考分に分かれるのだが、これはもう主語が一人称なだけの三人称なのではなかろうか。マニアックすぎて伝わなかったらどうしよう。


 なんというか、創作コジラセ課題の一人称問題に真剣に取り組むと、地の文そのものの不自然さが気になってきたりする。うん。分かっておる。あなた疲れてるのよ案件に片足を突っ込んでいる。もはや伝わらないだろうと思うと少し悲しいが。


 普通の人はアレしてコレしてコウだった、とかいちいち語らない。まあ小説の主人公になるくらい異常な奴だからいいとしても、気になる事物には個性が出る。なんでドコソコに行ったとか、そういう、小説に重要な情報にだけはやたらセンシティブなんだコイツは。


 小説の書きかたというのは色々あって、私はいわゆる憑依芸人タイプというか、お恥ずかしい話ながら語り手になりきって文章を仕立てるタイプである。これは会話文についても同じで、いちいちキャラになりきって書く変た……変わり者だ。


 そういう私にとって、一人称で語るからには、実は語られる側のキャラ設定が非常に重要だったりするのだ。前述したイカレポンチな若者にしたって、親しい友人や、仲間や、家族に語るのに対して、警察やら自警団やら悪の組織やらに捕まった場合だと語り方も違うはずだろう。


 うん。分からん。

 みんな、一人称をどう考えているんだろうか。

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