語彙

 まるで増えぬ。困る。多いほうが偉いらしいが、よく分からん。

 エンタメ小説の界隈では、平易な語彙を使うとよい、とかむつかしく言いたがる変人がいっぱいいる。かんたんでわかりやすいといいよね、くらい言えんのだろうか。


 日曜朝のワイドショーに出てくる老人じみた物言いになったが、別段それほど怒っていない。向こうもそうだろう。たぶん。わからんけど。


 語彙の選択は作品の雰囲気にかかわる。これは分かる。だが、難しいのは、柔らかく書いても柔らかい雰囲気にはならず、その逆も然りだったりする。たとえば(グロ注意)、


「あかおにさんは、むらのひとをつかまえて、たべてしまいました。ばりばりごくん」


 こわい。ひらがなの分だけ余計に。語彙が単純なのが不気味だし、人を喰ってるらしい赤鬼にさんづけしてる語り手ヤバいし、擬音のシンプルさが胃にくる。これが語彙の不思議であり、また読むときの不思議である。


 語彙は、読み手が知らなければ伝わらない。知り方にも深度があり、ある語彙に関連する知識が多ければ多いほど語彙の威力が増すのだ。だから、分からん。わかりにくい。絵本の残虐描写とかよく揉めている。


 赤鬼さんの文章を読んで、幼子が理解できるのは、人を食べちゃうとかこわー、くらいである。どれほど惨たらしく、残虐で、夢も希望もない話をしているのか、読み手のパパやママしか分からんのである。そういえば前に、宮部みゆきやら、京極夏彦やら、恩田陸やら、錚々たる顔ぶれの作家が集結した怪談えほんシリーズなるものがあった気がする。需要をよく分かっておる。


 では逆に難しい語彙が頻出するとどうかというと……まさに私の分からんが表面化してくる。まだ地球が月とワルツを踊っていた頃、私の愛読書は大江健三郎の『死者の奢り』であった(今もそうだ)。何度も何度もくりかえし読み、クラスの『オススメの本を紹介しよう』というイジメ誘発キャンペーンで紹介し、斜め後ろの席の鈴木さんを困惑させた。初恋は儚く散ったのだった。


 逸れた話を戻そう。当時は辞書を愛読していた私は、用法は知らんが読めはする語が多かった。また読めないと癇癪を起こして辞書を引く(短気な)可愛い子だったので、語彙が難しくて読む気が失せる感覚が理解できない。嘘。ちょっと大げさ。 


 語彙が平易あるいは難しくて読む気にならない、伝わらないとすると、その語彙でなくては出せない雰囲気は、他にどのような手で表現すればいいのだろうか。マジで分からん。


 この分からなさに拍車をかけるのが、小説の人称問題である。


 創作コジラセ初級課題に、一人称の語彙にうるさくなる、というのがある。たとえば、小学二年生が『李下に冠を正さず』と言うのは変だと言われたりする。国語資料集に書いてあったよバカ野郎と罵りたくなる(短気)が、まあキャラ立てがマズかったのだと理解しておく。


 子どもの一人称となると、地の文の語彙でリアル感を出すのは至難である。……まあ、小学生が小説を書けば楽勝説もあるので分からんが。


 だから語彙が自由自在に使える(使いやすい)三人称単視点と呼ばれる視点を採用することが多いのだが、それでも奴のせいで語彙の問題がしつこく残ってしまう。雰囲気に合わせた語彙のチョイスすら邪魔するそいつの名は、


 改行愛。


 ほんと、いい加減にしろと自分に言いたくなるというか言ってるけど、やめられないのである。なぜなのか。分からん。


 

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