ひらき

 漢字のひらきが分からん。

 これのキャッチにも、わからん具合が溢れておる。

 通常、ひと連なりの文章のなかで、何をひらき、何を閉じるのかは、統一されている方が読みやすいと言われている。ホントか?


 絶対分かってる。

 ぜったいわかってる。

 絶対わかってる。

 ぜったい分かってる。


 私は三番目が読みやすいと感じる。次点で四番目。一番と二番はない。

 小説の本文、どっか一箇所でも『分かる』と書いてたら『分かる』に統一したほうがいい的なことが書かれてたりする。論文の書きかた講座とかもそう。これまで思考停止で統一してきたが、小説だとなんか違う気がする。


 小説で一番、困るのは、まさに今でた、『一』や『二』である。

 まあ色々と紛らわしいので、ひらきたくなる。でも、いち番、とすると途端に間抜けになる。かといって、一人は、ひとり、で成立している。

 また、ややこしいのが、前にある文字が漢字かどうかである。


 私絶対一番分かってるんだから!


 ひどい台詞もあったもんだと思うが、それはいい。問題は漢字である。

 このままだと絶対、読みにくい。

 読点を入れるにしても、

 

 私、絶対、一番、分かってるんだから。


 と、COPD(慢性閉塞性肺疾患)でも患っとるんかとなる。一単語のなかに性をふたつも入れるあたり医者は頭が悪いと思う。違う。可読性よりも情報量とカッチョよさが優先されているだけだ。『いつも肺が苦しい病』とか間抜けがすぎる。漢字を並べるとカッチョよくて頭よさそうに見えるのが日本語である。


 もとい。


 先の台詞を私がひらくとしたら、『わたし絶対いちばん分かってるんだから』か、『私ぜったい一番わかってるんだから』の二択になる。どっちがいいかというと後者のが少しだけ好きかもしれない。


 これは『絶対』と『分かる』が漢字である必要がないからだ。いや、小説に限れば全ての文字列が漢字である必要がないのだけれど。


『わたしぜったいいちばんわかってるんだから!』


 なら幼子っぽくなるし、


『私絶対一番分かってるんだから!』


 なら……なら、なに?

 厄介だ。台詞という形態を選んだ自分をぶん殴りたくなった。誰かの発話だと仮定すると、ひらがなの量が個人を表しかねない。めんどくさすぎる。しかも、さっきも書いたように、一回でもひらいたら同じルールでひらかないといけないとすると、『私』が私を殺しにかかってくる。


 ラノベに限らず一人称の『私』なんて、幼稚園で連日のように開催される手遊び歌の時間レベルにひらいたり閉じたりするんです。なんなら私とワタシとわたしとワタクシとわたくしが共存する。一人称だから問題なのかというとそうでもなく、分かるというか理解わかるというかわかるというかで個人差を出したくなったりもする。じゃあ地の文はどうする。

 地の文だけでも統一しようと義憤を胸に拳を握ると、わたし軍が徒党を組んで軍靴を鳴らし一人称の独白という形で立ちはばかる。


 独白は地の文に含まれないとかいうのか。

 三人称にも自由間接話法とかいうメンドくさい名前のついた技法が存在する。

 独白だから閉じひらきは自由自在でよくて他はダメとかいうのか。

 

 わからん。まったく分からん。

 いまは意図的に閉じたりひらいたりしているが、『いま』だって毎回のように悩むし、なんなら『とじたり開いたり』にしてない私を褒めてあげたくなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る