§048 夜の帳に
宴の時間が楽しかったからこそ、この時間の静寂はより一層寂しさを際立たせる。
三日三晩寝ていたせいか、変に目が冴えてしまい、先ほどから寝付けずにいた。
俺はベッドに横たわりながら、最近の出来事を思い返してみる。
本当にいろいろなことがあった。
どれもこれもいい思い出で、山小屋で引きこもっていたら絶対に体験できなかったような夢物語ばかり。
余談ではあるが、僭越ながら、今年の首席合格は俺に決定したようだ。
魔石一〇〇万個じゃ当然逆転できる者もなく。
次席は魔石九〇〇個のセドリック。
セドリックはクラウンから受けた攻撃により試験後半は終始治療に専念していたようだが、前半だけで魔石九〇〇個集めるとは本当に【焔の魔法剣】は規格外の固有魔法のようだ。
正直なところ、シルフォリア様の魔石一〇〇万個というのは若干反則のような気がしたので、首席合格に興味の無い俺はセドリックに首席を譲ろうとしたのだが、シルフォリア様がそれをどうしても許さなかったので、甘んじて首席合格を受けることとなった。
今回はセドリックとの一騎打ちはお流れになってしまったが、次の機会があれば、首席合格に恥じないように、少しは成長したであろう俺の魔法陣を見せてやりたいと思っている。
アイリスのペアであったユリウスはというと、規定魔石数を保有していたため、試験自体は合格となっていた。
まあ、その点は置いておくとして、俺が何よりも驚いたのは先ほどの宴の席に唐突に参加してきたユリウスがアイリスに謝罪をしたことだ。
それだけならまだしも、「そんなそんな。ユリウス様は何も悪くないです」と首を振って恐縮するアイリスに対して、「自分の家の力をもってどうにかアイリスを合格にしてみせる」と言い切ったそうだ。
おそらく治癒魔法をかけてくれたアイリスに対して彼なりに思うところがあったのだろう。
その精一杯の誠意としての提案だったようだ。
しかし、先のやり取りでアイリスは既に合格している。
その事実を知ったユリウスの顔は今でも忘れられない。
ただ、しっかりとアイリスに謝罪し、その贖罪としてアイリスを合格に導こうとした気概は本物だったと思う。
もしかしたら、そこまで悪い奴じゃないのかもしれないと思う瞬間でもあった。
さて、『新・創世教』に洗脳されていたスコットだが、当然合格は認められなかった。
ただし、新・創世教に繋がる重要参考人であることに加え、洗脳解呪の経過観察を行うため、しばらくの間、シルフォリア様が統治するこの王立学園で保護観察処分になったということだった。
「まったく。また奴にはお説教をしなければならない」と嘆息していたシルフォリア様の表情が記憶に新しい。
……まぁ、何はともあれ。
予定とは随分異なってしまったような気がするが、目標であった『王立セレスティア魔導学園』に俺とレリアは揃って合格したのだった。
俺は左手を天井にかざしてみる。
完全に元通りになった左腕。
しかし一点だけ以前と違う部分がある。
そう。この左腕にはもう『常闇の手枷』がないのだ。
解除することが目標だった『常闇の手枷』。
本来であればシルフォリア様にお願いするはずだったが、慮外な結果になってしまった。
もちろんシルフォリア様に迷惑をかけずに解除できたのだから、別にこの結果に文句はない。
けれど……いざ、こうやって外れてしまうと、一抹の寂しさを感じてしまう。
別に『常闇の手枷』が無くなったからって、レリアとの関係性が切れるわけではない。
……それでも、思えば最近はどこに行くときにも隣にはレリアがいた。
できれば他言は避けたいところだが、寝るときは一緒の布団で寝ていたし、お風呂も壁一枚を隔てたところで入るのが日常になっていた。
そんなことを恥ずかしげもなくできていたのは、案外、『常闇の手枷』という免罪符の存在が大きかったのではないかと、今では思う。
……今、この場に、レリアはいない。
俺は左手を下ろして嘆息すると、これでもかと両の手を大の字に広げてみる。
ベッドというものはこんなにも広い。
それを再認識させられる瞬間でもあった。
更に夜が更ける。
いつの間にか寝てしまっていたようだ。
俺は何か布団の中をもぞもぞと動く気配に目を覚ました。
何やら嫌な予感がして、俺はザバッと布団をめくる。
「ひゃい」
可愛らしい悲鳴とともに、顔を出したのはガーリーなパジャマに身を包んだ金髪の少女。
まあそんな気がしていたけど……案の定、レリアだった。
「こんなところで何をしているんだ」
俺は少し強めの口調で問いただす。
「あの……それが……」
レリアは布団の中から渋々這い出てくると、何か言いたげに俺の方をチラチラと見る。
そのあまりにも幼気な仕草に俺は思わず嘆息する。
「いや、別に怒っているわけじゃないんだ。少し驚いたというかなんというか」
さすがにドキッとしたとは口が裂けても言えない。
「あの……今までずっとジルベール様と一緒に寝ていたので……その……急に一人で寝るとなったら寂しくなってしまいまして……」
若干顔を赤らめて、身体をもじもじさせながら言うレリア。
やはり怒られると思っているのか、言葉は尻すぼみになっていく。
その姿に俺は再び嘆息するも、レリアも自分と同じ気持ちでいてくれたことにほんの少しだけ嬉しい気持ちになる。
魔が差したというわけではないが、センチメンタルな気分だったことは否定しない。
俺は、彼女を受け入れる。
「……わかった。さすがに『常闇の手枷』が無い以上、一緒に寝るわけにはいかないが、少しだけお話ししようか」
「はい!」
月明りに照らされたレリアの顔がパァっと明るくなるのがわかった。
そして、さも当たり前のように布団に潜り込むと俺の隣を陣取ってきた。
あれ? 布団の中に入れるつもりはなかったのだが……。
それは寝かしつけの際に絵本をねだる少女さながら、レリアはしっかり布団をかけ、顔を半分ほど出すと、開口一番にこう言った。
「……私、ジルベール様に謝りたくて」
「……謝る?」
「はい。その……私……また【
その言葉に一瞬、沈黙する。
俺はあの時の戦いのことを思い出していた。
左腕が切られた時、最後に『常闇の手枷』に触れたあの感覚を。
「レリアの記憶を失っていた時、俺は夢を見たんだ」
「夢……ですか?」
「うん。女の子が一切の光が差し込まない暗闇の中、一人蹲って泣いている夢だ」
「…………」
「同時にその子の感情も俺に流れ込んできた。感情を言葉で言い表すのは難しいけど、その感情の大部分を占めていたのは『悔恨』だったと思う。自分の選択が誤っていたこと、それによって人が傷付いてしまったこと、約束を守れなかったこと。様々な後悔が入り混じって、深い深い闇へと落ちていくような、そんな感情だった」
「…………」
「でもな……その女の子は、時折、誰かを待っているかのように、一縷の希望を探すように、スッと顔を上げるんだ。その顔を見た時、俺の中からすっぽりと抜け落ちていた記憶がまるでピースをはめ込んだみたいに戻ってきたんだ。そしてレリアとの……もし魔法が暴走した時には俺が絶対に止めてみせるという大切な誓いを思い出した」
「…………」
「【
「…………」
「シルフォリア様の――世界創造魔法・【
「あれはジルベール様の魔法ですよ」
今まで静かに俺の話に耳を傾けていたレリアが、唐突に口を挟む。
「これは私だけしかわからない感覚なのかもしれませんが、シルフォリア様の魔法は全ての者に手を差し伸べるような寛大さを感じさせる魔法なのです。でも、ジルベール様の魔法は……もっと個人的というか……その……」
そこまで言ってレリアはなぜか口を噤む。
そんなレリアに視線を向けると、顔に熱が灯っていた。
「……レリア?」
思わず声をかけると、レリアはハッとしたように身体をビクンとさせ、途端身体を捩ると、俺とは反対方向を向いてしまった。
「……明日は早いです。もう寝ましょう」
明日は何か予定があっただろうかと首を傾げるが、特に思い当たるものはなかった。
心なしか布団の中の温度が上がった気がする。
やっぱり二人で寝るのと一人で寝るのは違うんだなと思いつつ、俺は目を閉じる。
二人の空間に静寂が訪れる。
「ジルベール様、最後に一つだけお聞きしてもよろしいですか」
しばしの沈黙の後、顔を向こうに向けたままのレリアが静謐な声を出す。
「……どうした」
俺もその静寂を壊さぬよう、静かに頷く。
「ジルベール様は……私が『約束』の時に言った言葉……どこまで覚えていますか?」
そう問われて俺は重大なことを忘れていたことに気付いた。
……口づけだ。
そんな重大なことを今まで思い出せていなかったことに罪悪感を覚えつつも…………意識をしてしまった。
レリアのチョコレートのように甘く、マシュマロのように柔らかい唇を。
その瞬間から、俺はもうダメだった。
頭はショート寸前まで沸騰し、体温が見る見るうちに上昇していく。
触れていないのに布団を通してレリアの熱が伝わってきて、それが更に心臓の鼓動を速くさせる。
緊張のあまり身を硬くしていた俺に対し、迷いなく動いたのはレリアだった。
「……やっぱり……答えなくていいです……その代わり……」
そんな消え入りそうな声が聞こえた途端。
レリアは布団の中で身体を器用に回転させ、ゆっくりと俺の胸に潜る。
胸板にレリアの額が当たる。
俺の早鐘の鼓動がおそらくレリアには伝わってしまっているのだろう。
恥ずかしさのあまり俺は少しでもレリアから顔を離そうとする。
それでも限界があり、結局はレリアの頭は目と鼻の先。
俺の胸に顔を押し付けているために表情は見えないが、蠱惑的な甘い香りが鼻孔を刺激する。
加えて、新調されていたパジャマの生地はとても薄く、扇情的な柔らかさがこれでもかと伝わってくる。
俺は意を決して手を伸ばし、彼女の身体を抱く。
「ぁ……」
一瞬、本当に小さくレリアは声を漏らした。
だが、俺にはこれが限界だった。
冷静に物事を考えることができず、何一つ合理的な選択肢が思いつかない。
これからどうしていいかもわからず、もはやこういう状況になった経緯すらも思い出せずにいた。
俺は魔法陣を数える。
魔法陣が一陣……魔法陣が二陣……。
更に夜が更ける。
魔法陣が九六五二陣……魔法陣が九六五三陣……。
俺はハッとした。
一体俺はなんでこんなにも必死に魔法陣を数えているのだ。
ほんの少しだけクリアになった脳をもって、俺はゆっくりと視線を落とす。
するとそこには幸せそうな寝顔を浮かべているレリアがいた。
規則的に身体を上下させ、くぅくぅと可愛らしい寝息を立てている。
「あり……がとうごじゃいましゅ……じるべーりゅ……さま……」
「///////」
時折、そんな恥ずかしい寝言を口ずさむレリア。
「まったく……人の気も知らないで……」
そんな俺の悪態は窓から差し込む朝日の中に吸い込まれていった。
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