§028 許嫁

 ジルベールとレリアが慰霊碑前にいるのと同時刻頃。

 シルフォリア様からやっとのことで解放されたオレ、スコットは荒れに荒れていた。


「くそっ! なんでこのオレが何時間も説教を受けなきゃならねーんだ! 父上にも怒られたことないのに!」


 そう言って路地裏に置かれているゴミ入れを思いっきり蹴飛ばす。

 バンっと音を立てて吹き飛んだゴミ入れは、ゴロゴロと転がりながら辺りにゴミをまき散らす。

 そのまき散らされた残滓ざんさいが靴に付着したことで、更に頭に血が上る。


「ちっ! くっそ!」


 オレは舌打ちをしてポケットに手を突っ込むと、宿泊先の高級ホテルまでの道を歩く。


 オレは公爵家の人間だぞ。

 学園長だか六天魔導士だか知らないけど、公爵家の人間に逆らっていい道理にならねーだろ。


 そんな苛立ちの中、ふと、『呪われた聖女』――レリア・シルメリアの顔が浮かぶ。


 これも全てあの女のせいだ。

 オレはどこに向けていいかわからない憤怒を覚え、何もない地面を蹴りあげる。


 あいつは……レリアはかつてオレの許嫁だった。


 オレとレリアが初めて会ったのは、おそらく十年前のことだろう。

 王都近郊に邸宅を構えるバルドー公爵家。地方の出身のシルメリア家。

 普通であれば接点のない二つの家だったが、レリアの父であるオーディナル・シルメリアが大司教に召命されたことにより、縁談が持ち上がった。


 どこだかわからない辺境の地の田舎娘との縁談。

 オレは正直なところ、随分と下に見られたものだと気乗りしなかった記憶がある。

 しかし、父上が組んだ縁談だ。

 当然断るわけにもいかずに、オレはレリアを家に招いた。


 その時の衝撃は今でも忘れない。

 思わず父上が大切にしていたコーヒーカップを割ってしまう程度には動揺していたと思う。


 まあ……なんていうか……可愛かったのだ、彼女が。


 オレの心は一瞬にして彼女に奪われた。

 清楚で、器量も良く、淑やかで、まさに理想の女性だと思った。

 そうして、いつの間にかオレはこの縁談が……嫌ではなくなっていた。


 でも……その後……知ってのとおり、終焉の大禍が起きた。


 当然のことながら、この縁談はご破算。

 それからオレとレリアが会うことはなくなった。


 ただ、その後も彼女の噂を耳にすることは何度もあった。


 彼女はやはりと言ってはなんだが、不遇な生活を強いられているということだった。

 だからと言ってオレが何かできるわけでもないし、無論、オレは公爵家の人間だ。

 終焉の大禍の大罪人の娘と会うことなど許されるわけもない。

 そんなうちに、オレは別の女性との縁談が持ち上がり、その女性と婚約した。

 同じ公爵家の令嬢だ。


 貴族である以上、御家同士の都合で結婚相手が決まるなんて当たり前。

 政略結婚を否定するつもりもなければ、公爵家であるオレが公爵家の令嬢と婚約することは、当然のこととすら思う。


 でも……時折耳にする『呪われた聖女』の噂に……オレの心はざわめきを覚えた。


 そんな中での王立学園の入学試験。そこでオレは見つけてしまった。十年振りのレリアの姿を。

 もちろん十年の月日だ。子供だった頃のレリアはもういない。

 それでも見紛うことはなかった。


 薄らと化粧を施し、体躯もあの頃とは比べ物にならないほどに女性らしいものとなっていたが、それでも当時の面影はそのままだったから。


 この十年、オレにもいろいろあった。

 公爵家としての人脈ができ、婚約者ができ、そして、『啓示の儀』で二属性の保有者ダブル・ホルダーにも選ばれた。


 順風満帆。まさにこの一言に尽きた。


 全てが自分の思い通りになり、欲しいものは全て手に入る人生。

 あとは敷かれたレールの上を歩んでいけばいいだけ。

 そのはずだったのに……。


 試験会場でレリアの笑顔を見た瞬間……ドキンと心が跳ねるのがわかった。

 心臓が早鐘のように脈打ち、心がざわめきたつ。

 久々の感覚だった。


 彼女が欲しい……。


 次の瞬間には、そう思っていた。


 オレはその感覚に従って、レリアに向かって歩みを進めた。

 ただ、視界に映った光景に、オレの高揚感は一瞬にして霧散した。


 隣には……男がいたのだ。


 黒髪の冷ややかな目をした男。

 髪色と同じ黒色の外套を羽織っているが、身なりを見る限りだと貴族ではない。

 何よりもオレの癇に障ったのは、レリアが笑顔を向けている相手が……オレじゃなかったことだ。


 ……憎い。……全部全部。


 そこまで記憶を回顧したところで、オレの意識は現実に引き戻された。

 同時に忘れかけていた怒りの感情が沸々と込み上げてきた。


 みんなオレのことを馬鹿にしやがって。

 レリアも、シルフォリア様も、レリアの隣にいたあの男も。


「くそっ!――『右手に宿りし風神の魂よ』、『左手に宿りし雷神の魂よ』――」


 オレは我を忘れて詠唱を吐き出すように唱える。

 すると、みるみるうちに右手には竜巻を凝縮させた球体が、左手には雷鳴を凝縮させた球体が顕現する。


「オレは公爵家の人間だっ! オレは神に選ばれし二属性の保有者ダブル・ホルダーだっ! それなのに……あいつらは……あいつらは……あいつは……」


 オレは鬱憤を晴らすように顕現した球体を路地裏に投げ打とうとしたその瞬間――

(パチパチパチ)


 ――突如、後方から拍手のように手を打ち鳴らす音が近付いてきた。


「あ? 誰だ?」


 オレは音のする方に振り向く。

 すると、そこには青白い顔をした男が立っていた。


 白髪に色白の肌。鋭利な目尻に水色の瞳。白色の外套に青いシャツと全てが寒色で統一された男。

 その印象からかどこか冷たさが伝わってくる。


 オレは唐突に現れたその男を睨みつける。


「何者だ、貴様。オレは今、虫の居どころが悪い。妙な真似をすると……殺すぞ」


 そんなオレを見て、男は口元をどこか陰惨さを感じる形に歪ませる。


「その嫉妬、その憤怒、その威勢、その能力。あー素晴らしいこと、この上ないな」


「あ?! お前……何を言ってるんだ」


 脈絡もなく、問いと答えが一致しそうにない語り口から只ならぬ気配を感じてオレは一歩後ずさる。

 そして、先ほど偶然にも顕現させていた竜巻と雷鳴の球体を維持しつつ、臨戦態勢の構えを取る。


 ただ、そんなことはお構いなしとばかりにその男は言葉を発する。


「でも……ちょっと感情だけが熱すぎるかな。そんな感情は邪魔になるだけだ」


 そう言って男はオレの方に向かって一歩踏み出し、同時に呪詛のような言葉を一言、二言呟く。


 その瞬間、場の空気が一瞬にして凍り付いた。


「そんな煮えたぎる感情は僕が冷やしてあげるよ」

「――――なっ」


 ニヤリと笑う男の顔が……視界が歪む。


「――氷結魔法・静謐なる鎮魂の詩サイレント・レクイエム――」


 次の瞬間、ドサリという音が静かに響き渡った。


「あぁー今日も冷える冷える。美しいこと、この上ないな。これも全ては世界奉還のために……」



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