§025 慰霊碑

 終始無言のレリアが俺の前をゆっくりと歩く。

 いつの間にか日は落ち、景色は雑踏とした都心から静かな郊外へと移り変わっていた。


 少しして視界の先に大きな公園のようなものが広がった。

 俯きながらも淀みなく歩みを進めるレリアを見て、レリアの目的地がここだと悟る。


 広大な敷地面積を誇る自然公園のようだった。


 公園の中央には一際大きいモニュメントのような建造物が一つ。

 そして、建造物に続くアスファルトの道が一本。


「……ここは」


 俺の質問に対して、レリアは一拍置き、悄然としながら答える。


「……戦没者の……慰霊碑です」


 ……戦没者。

 その言葉を聞いて何も思い当たらないほど鈍感ではない。

 この場所は『終焉の大禍』の戦没者の霊園だった。


 よく見れば小脇には道に沿うように石碑が立ち並び、石碑のそれぞれにぎっしりと文字が刻まれている。


 これが全て戦没者……。

 そのあまりの数に、俺は思わず口を噤んでしまった。


 俺はレリアに連れられ、ついには一際大きい建造物の前まで辿り着く。

 それは恒久の平和を願って建てられたであろう石燈。

 石燈内には火が灯っており、ゆらゆらと揺らめく炎は、まるで戦没者の魂を表しているかのようだった。


 石燈へと続く石段まで来て、レリアは足を止めた。

 俺もそれに合わせて、レリアの横に並ぶ。


 ほんの少しだけ首を動かしてレリアに視線を向けると、レリアはその視線を感じ取ったのか、一瞬肩をびくっと震わせたが、尚も逡巡するかのように沈黙を守ったままだった。


 俺はレリアの次の行動を待った。

 しばしの沈黙の末、レリアは恐る恐る口を開いた。


「申し訳……ございませんでした……」


 レリアが最初に述べたのは反省の弁だった。

 彼女はギュッと唇を噛みしめ、今にもこぼれ落ちそうになる涙を必死に堪えているようだった。


 この言葉は俺に向けたものなのだろうか。

 それとも戦没者に向けたものなのだろうか。

 そんな疑問が一瞬頭をよぎったが、レリアの悲痛な表情を見たら、そんな些細な疑問はすぐに立ち消えた。


 おそらく彼女はこの場所に向かう間、いや……もしかしたら、これまでもずっと後悔の念を、懴悔の念を胸に抱いて生きてきたのかもしれない。

 その言葉には、それくらい悲しい感情が込められているように感じた。


 俺は何か言わなければと言葉を探したが、それもすぐには見つからず、結果として、次のレリアの言葉を待つ形になった。


「私は……父を……恨んでいました。私は終焉の大禍の大罪人オーディナル・シルメリアの娘です。疎まれて当然の存在。『呪われた聖女』と呼ばれて当たり前の厄災です。わかってます。わかっているんです」


 レリアがぽつりぽつりと話し出す。


「でも、ふと思う時があるのです。じゃあ私が……私自身が一体何をしたのかと……」


「…………」


「私はただ父の娘として生まれただけ。それなのに何でこんなにも不遇な扱いを受けなければならないのかと……私は自分の境遇を理解しながらも、その境遇を受け入れられていませんでした」


「…………」


「その結果がこれです」


 ここまで言ってレリアはようやく顔を上げた。


「私は……自分の立場をわきまえずに……父の過ちと向き合わなかった結果……一時の感情の高ぶりで父と同じことをしようとしていました」


 そう言うとレリアは俺の方に身体を向けて、深々と頭を下げた。


「ジルベール様。この度のこと、誠に申し訳ありませんでした。このような謝罪で許していただけるとは思っていません。このような謝罪で私の犯した過ちが消えるとも思っていません。いくらシルフォリア様がお許しになったとしても……ジルベール様がお許しになったとしても……」


 レリアがパッと顔を上げた。


「私――レリア・シルメリアは自らが犯した過ちを悔い改めなければなりません。私の行為は、ジルベール様を危険にさらし、たくさんの方に多大な迷惑をかけ、また戦没者の皆様の死を穢すものでした」


 そして、レリアは先ほどよりも更に深く深く頭を下げ、絞り出すように言った。


「…………本当に……本当に……申し訳ございませんでした」


 その謝罪を真っすぐに受けた俺は……一瞬の沈黙の後、静かに口を開いた。


「謝るのは……俺の方だ」


 俺はレリアを責めるつもりなど毛頭なかった。

 むしろ謝らなければならないのは俺の方だとずっと考えていた。

 その気持ちをはっきりと告げる。

 しかし、俺の言葉を聞いたレリアは驚きとともにすぐさま顔を上げた。


「ジルベール様が謝る? ジルベール様が謝ることなど……」


「いやあるんだ」


 俺はレリアの言葉を遮るように言った。


「俺は……レリアがオーディナル・シルメリアの娘と聞いて……逡巡した」


 その言葉を聞いて、刹那、驚きの表情を見せたレリアだったが、すぐさま違う違うと首を横に振る。


 それでも俺は言葉を続けた。


「俺はあの時、すぐにでもスコットの野郎をぶん殴ってレリアを助けるべきだったんだ。いま冷静に考えてもそうすべきだと思うし、むしろ、俺が逡巡しなければ、レリアがあの魔法を発動することもなかった……と思っている」


 俺は覚えている。

 レリアの悲哀に満ちた表情を。


 あの時ほど自分の判断の遅さを後悔したことはない。


 彼女にあんな表情をさせてしまった自分がどうしても許せなくて、今更遅いのはわかっているのだけど、どうしても俺はこの気持ちをレリアに伝えておきたかった。


「それは違います」


 しかし、言葉の途中で、レリアはそれを静かに否定した。


「あれは全て私の心の弱さが生み出したものです。ジルベール様がどんな行動をされようとも結果は変わらなかったと思います」


 そこでレリアは一旦言葉を切り、次の言葉を選ぶように、コクリと唾を飲み込む。


「それに……私はジルベール様が逡巡されたのも……知っていました。でも、それについてジルベール様を責める気など微塵もありません。だって、それは仕方ないことなんですから」


 そう言ってレリアは今来た道を振り返って、見せつけるかのように両の手を広げる。


「見てください、この石碑」


 レリアは涙を堪えるように言葉を詰まらせながらも続ける。


「これ……全部……父が殺した人達なんですよ…………」


 レリアの涙交じりの叫び声が響き渡る。


「男性も女性も大人も子供も……家族も友達も……そして大切な人も……見境なく……全部です。そんなの……受け入れろという方が無理じゃないですか……」


 そう言ってレリアは一瞬悲しい笑顔を見せると、堪えてきたものが崩れ落ちるように膝をついた。


 肩をがくがくと震わせ、止めどなく溢れ出る涙をぼろぼろと零す。

 それでも、嗚咽が漏れる口元を両手で必死に押さえながら、声を絞り出すように言う。


「だから……ジルベール様にだけは……知られたくなかった……」


 その表情はまるで……あの時の表情のようで……。

 また、レリアが遠くに行ってしまう気がして……。


 気付いたら俺は、レリアのことを抱きしめていた。


「……ぇ」


 その突然の行動に、大粒の涙を流していたレリアからも小さく感嘆の声が漏れる。

 それでも俺は腕の力を強め、更に彼女を抱き寄せた。


「たとえレリアがオーディナル・シルメリアの娘だとしても、俺にとっては大切な仲間なんだ」


 俺はさっきは遮られてしまった自分の想いを、精一杯の感情を込めて紡ぎ出す。


「レリアの言葉に救われたあの時、レリアが俺に今一度大魔導への道を示してくれたあの時、レリアに報いることを誓ったんだ。それなのに……俺は……その大切な仲間が……目の前で傷付いているのに……一瞬でも躊躇した」


 本来なら俺がレリアを守らなければならないのに。

 俺がレリアの笑顔を絶やしてはいけなかったのに。


 それなのに俺は……。


「レリア、ごめん。俺の弱さが、君を傷付けた」


 直後、レリアの息遣いが荒くなり、ひっくひっくという嗚咽が続いた。

 それでもやはり彼女は首を横に振る。


「でも……それでも……ダメなんです。私が許すとか、ジルベール様が許すとか、もうそういう話じゃないんです。私はオーディナル・シルメリアの娘。それをジルベール様に知られてしまいました。もう今までの関係になんて戻れないんです……だから……」


 そう言って彼女は突き放すように抱擁を解くと、俺のことを真っすぐに見つめてこう言った。


「私は……ジルベール様のもとを去ります」



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