§002 固有魔法【速記術】

『州立レヴィストロース魔導学園――不合格』


 家を追われて三年が過ぎた。


 齢十五になった俺、ジルベール・レヴィストロースは今しがた届いた魔導学園からの手紙に視線を落としていた。


 ……また不合格。これで五校目だ。


 『啓示の儀』から全てが変わってしまった。


 俺は【速記術】というハズレ固有魔法を得たことにより、貴族という地位を失い、今では領民の目を避けるように、打ち捨てられていた山小屋で暮らしている。


 最初のうちは苦難の連続だった。

 野営の経験など無い俺は、どこかの本で読んだ付け焼き刃の知識、例えば、川の水は一度沸かさないとお腹を壊すとか、火熾しには乾いた枝木を集めた方がいいなどの最低限の知識を駆使して、どうにか飢えを凌ぐ毎日。


 けれど、人間の順応力には驚かされるばかりで、皮肉なことに、こんな生活に慣れるのにそれほど時間はかからなかった。

 いつしか俺は晴れれば狩りに出て雨が降れば本を読む、まさに晴耕雨読の生活を送るようになっていた。


 そんな代り映えもしない毎日が一年ほど続いた頃。

 生活にゆとりが出てくると考えなくてもいいことを考えてしまうのが人間という生き物のようで、俺は再び魔導の道を考えるようになっていた。


 もちろんハズレ固有魔法を与えられ、貴族家の後ろ盾も無くなった今、きっぱりと諦めてしまうのが正着だと頭ではわかっている。しかし……。


 ――六天魔導士になる。


 これは子供の頃からの夢だったのだ。

 そんなに簡単に気持ちの整理がつくものではない。


 気付いた時には、俺は魔導学園への願書を手にしていた。


 『魔導学園』とは、次世代の六天魔導士を養成するために設立された高等教育機関で、我がユーフィリア王国では十五歳になると受験資格を得られる。


 魔導学園は通常の学園と異なり、魔法に特化した教育が行われる。

 つまりは、将来この国を背負って立つ魔導士の卵達が研鑽し合う場所というわけだ。


 ハズレ固有魔法の所持者でも魔導学園に入学することができれば、再び、六天魔導士への道を志すことができるかもしれない。


 俺はそんな一縷の望みを懸けて、一念発起してからの二年間は独学で魔法の練習を重ねた。


 そして、十五歳の誕生日を迎えた今、俺はレヴィストロース辺境伯領に所在する魔導学園を受験した。


 ……しかし、結果は惨憺たるものだった。


 それもそのはずだ。

 俺はどんなに努力してもいくつかの初級魔法を行使するのがやっと。

 こんな実力で魔導学園に合格できるわけもなく……。


 どうやら俺には魔法の才能がなかったようだ。


「……もう夢を追うのはやめよう」


 俺は、一人、自嘲する。


「……こんな俺が六天魔導士を目指そうなんて身の程知らずだったんだ」


 そう言って俺は不合格を告げる手紙に向かって魔法の詠唱を口ずさむ。


「――『火の精霊よ、我に灯の炎を与えたまえ』――ささやかな灯タイニーライト――」


 火属性の初級魔法――ささやかな灯タイニーライト、俺が使える数少ない魔法の一つだ。


 刹那、ボッと音を立てて、手紙が燃え上がった。


 ぱちぱちと音を立てながら煤へと変わっていく手紙を見つめ、俺は感傷に浸る。


「……初級魔法しか使えない奴がどの面下げて魔導学園に通うというんだろうな」


 魔法を発動するには『詠唱』によって魔術式を編み込み、魔力を行使する必要がある。


 これらは――『詠唱魔法』――と呼ばれる。


 詠唱魔法は、発動までの時間が短く、場所も選ばない臨機応変さから、幅広いジャンルで発展を遂げており、現存する魔法の「%」がこの詠唱魔法に該当すると言われている。


 初級の魔法ほど詠唱は短くて済み、上級の魔法になるほど詠唱の時間は長くなる。 

 もちろん詠唱さえすれば全ての魔導士が魔法を発動できるわけではなく、魔法の発動にはその者の魔力量や資質が大きく作用する。

 駆け出しの魔導士がいきなり上級魔法を詠唱したからといって魔法が発動できるわけではないのはこの道理だ。


 俺は手紙が完全に燃え尽きたのを見届けると、本棚に手を伸ばして一冊の魔導書を手に取った。


『魔法陣の極意』


 経年劣化によって赤いビロードが所々剥がれかけている魔導書には、金色の文字でこう書かれていた。


 この魔導書は偶々この山小屋に残されていたものだ。


 詠唱魔法が現存する魔法の「九十九%」だとして、現存する魔法の残りの「一%」は何かというと――『魔法陣』――と呼ばれるものだ。


 魔法陣とは、その名のとおり定型の紋様を描くことによって魔力を行使するもので、かつては教会などの要所に『空間転移魔法陣』や『回復魔法陣』が設置されていたとの話だがそれも遥か昔のこと。


 臨機応変に対応できる『詠唱魔法』に比べて、紋様を描くのに膨大な時間を要する『魔法陣』は使い勝手が悪く、今ではほとんど用いられることが無くなってしまったのだ。


 この山小屋には多くの本が残されていたのだが、随分と長い間手つかずだったようで、残されていた魔導書は古文書と言えるぐらいに古いものばかり。


 そのため、残されていた蔵書には『詠唱魔法』に関するものはほとんど無く、大部分が『魔法陣』に関するものだった。


 そんな過去の遺物が何の役に立つのだと最初こそ捨て置いていた俺だったが、山小屋生活には一切の娯楽が無い。

 

 それは本の虫であった俺には致命的なことで、ふと思い立った時には、俺は『魔法陣』の魔導書を熟読し、挙句、模写まで始めてしまっていた。


 特に何か理由があったわけではない。

 強いて言うなら、この燻ぶった気持ちをどうにか紛らわせたいという心の内が表出してしまっていたのかもしれない。


 ただ、この時初めて固有魔法【速記術】の真価を見ることとなった。


 なんと魔導書一冊程度であれば、一分もあれば模写ができてしまうのだ。


 これにはさすがの俺も驚いた。

 一瞬にして紙が文字で埋め尽くされるのを見たときには、本当にこれをやったのは自分なのかと疑ってしまったぐらいだ。

 

 最初はそれが面白くて、何度も何度も魔導書を書き写した。


 だが、ある時ふと我に返った。


 いくら速記ができようと、俺が模写をしているのは既に過去の遺物と化した『魔法陣』だ。家を追放されておいて……更には魔法陣にまで手を出すなんて……。


 そんなことも思ったが、俺には他にやることがなかった。

 詠唱魔法の魔導書もない、戦闘に特化した固有魔法もない、魔法の講師がいるわけでもない、魔法を高め合える友がいるわけでもない。

 そんな持て余した時間を……孤独な時間を……埋め合わせるように、俺は来る日も来る日も魔法陣の魔導書の模写をし続けた。


 紙が真っ黒に擦り切れる頃には、俺の手が……俺の身体が……魔導書の内容を覚えてしまっていた。そう。俺は山小屋に残されていた魔導書の全てを暗記するに至っていたのだ。


 ……しかし、それもやはり無駄な努力だったようだ。どんなに魔法陣の造詣が深かろうと、魔導学園の受験において何の結果にも寄与していないのだから。


 ――もうこんな無駄なことはやめよう。


 俺は既に身体の一部となりつつある魔導書を無に帰す覚悟を決め、瞑目する。


 そして、静かに詠唱を開始した。


「――『火の精霊よ、我に灯の炎を与えたまぇ……」


「きゃぁぁぁ――――!!」


 その瞬間、突如、ガサガサと草叢を走り抜ける音とともに、女性の悲鳴が聞こえてきた。


 俺は咄嗟に詠唱を中断し、窓の外に目を向ける。

 しかし、辺りは既に漆黒に闇を落としており、状況はよくわからない。

 悲鳴から察するに、声の主は若い女性のようだ。


 ここはそれなりに深い山の中。

 若い女性がわざわざこんな場所に分け入ってくるとは考えにくい。


 となると……何かに追われている?


 この辺りで魔物を見たという話は聞いたことはないが、俺が出くわしていないだけで野生の魔物がうろついている可能性もある。

 それに最近はなんだかんだ物騒な世の中だ。

 領内を衛兵が見回っているとはいえ盗賊の報告も後を絶たない。


 俺はゴトンと音を鳴らしながら、勢いよく椅子から立ち上がる。


 ――助けなきゃ。


 そう思うと自然と身体が動いていた。


 俺は聖人でも騎士でも貴族でもない。

 しかし、悲鳴を聞いておきながら、見て見ぬふりをするという選択肢は俺にはなかった。


 これはハズレ固有魔法を与えられ、家を追放され、魔導学園の不合格を連発したゆえの自暴自棄の感情からくるものなのかもしれない。


 ただ、そんな理由付けなどどうでもよかった。


 気付いたときには、俺は外に向かって走り出していた。



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