第14話吐露

「それで、その子はなあに? 瀬美さんに懐いているようだけど」

「おら言わなかったっけ? 拾ったんだよ、瀬美さんが」


 たまが指差したのは、瀬美に擦り寄っているタダシだった。とん坊が説明をすると、瀬美が「名前はタダシといいます」と教えた。


「へえ。可愛いわね。まだ幼いみたいだし」

「イエス。おそらく一才か二才だと推測されます」

「ほら、おいで。タダシ」


 たまがしゃがんで両手を広げると、タダシはわんと鳴きながら胸の中に飛び込んだ。勢いが強かったので、たまは尻餅をついてしまったが、嬉しそうにはしゃぐタダシの頭やら首やらを撫でる。


「あっは! 本当に可愛いわあ! 瀬美さん、羨ましい!」

「良ければ飼いませんか? 実は飼い主を探しているのです」

「そうなの? でもうちでは飼えないわ」


 瀬美の申し出にたまは残念そうに首を振った。


「知ってのとおり、私の家は町医者だから。犬が薬を食べたり、棚を滅茶苦茶にするかもって、前にお父さんに言われたの」

「そうですか。なら仕方ありませんね」

「でも時々、タダシを見に行くわね」


 抱きかかえたタダシを瀬美に返すと、たまは「今、散歩中なの?」と訊ねた。


「イエス。タダシには必要かと思いまして」

「じゃあいいところ知っているわ! 七伏川の河原! あそこならタダシも思いっきり運動できるし!」


 たまの提案にとん坊が「でもあそこ、コドク町の近くだよ」と苦言を呈した。

 瀬美は七伏川やコドク町を知らなかったので、黙って二人のやりとりを見守る。


「大丈夫よ。近くって言っても寄らなければ安心だわ」

「でも水汲みにコドク町の住人が来るって噂もあるし」

「噂でしょ? それに瀬美さんも一緒なら平気よ! ねえ、瀬美さん!」


 きらきらと虹彩が輝くたまの瞳を見つめる瀬美。機械には再現できない、少女特有の美しい目。瀬美は「コドク町とはどういう場所なのでしょうか?」と最優先すべき事柄を質問した。


「コドク町は七伏川の近くにある貧民街だよ。あそこは人を襲ったり、盗んだりする人が大勢いるんだって。父ちゃんから絶対に近づくなって言われているんだ」


 とん坊が神妙な顔つきで、まるで怪談のように語る。

 瀬美は「コドク町になるべく近づかなければ危険はないでしょう」と機械的に言う。


「もしコドク町の住人がやってきても、私が二人を守ります」

「やったあ! ねえ、とん坊。瀬美さんもこう言ってくれているわ! 行きましょうよ!」

「でもなあ……うーん……」


 とん坊が渋るのは、父から禁止されているだけではなかった。

 もし自分が断っても、二人と一匹が七伏川に向かうと分かっているからだ。

 瀬美がいくら大人で、冷たい川を何の抵抗も無く泳げるとしても、コドク町の凶暴な住人には太刀打ちできないと彼は考えた。


「……分かったよ。一緒に行く」


 最終的にとん坊も同行を決めたのは、二人がコドク町に近づくのを防ぐためと、女二人で行かせるより、自分もいたほうがいざというとき、なんとかなるかもしれないと判断したからだ。子供の自分でも、いないよりいるほうが良いだろうとも思った。


「決まりね。じゃあ行きましょうか!」

「イエス。案内してください」


 とん坊の不安を余所に、瀬美とたまは足取り軽く七伏川へと足を進めた。

 続いてタダシも嬉しそうにわんと鳴いて後を追った。



◆◇◆◇



 七伏川の河原は石よりも草木が多く、仔犬が駆け回るのに十分な広さがあった。

 川の流れも美しく、魚やそれを取る鳥も見られた。冬に近い季節ではあったが、輝く日光に温かみを感じられる。


 河原でとん坊がタダシと一緒に駆けていた。最初は警戒していた彼も、コドク町から遠い川岸にいることで安心したらしい。すっかりタダシと遊ぶのを楽しんでいた。大人びいた考え方をするとん坊も、六才の素直な子供なのだ。


 そんな彼らの様子を土手の中腹に座って瀬美とたまは眺めていた。たまは始め、とん坊と一緒に遊んでいたが、少し休憩することにしたようだ。回復したとはいえ、まだ本調子でないのも理由みたいだ。


「ねえ、瀬美さん。聞かせてほしいことがあるの」


 眺めながら瀬美とたまは二人でお喋りをしていた。たまが一方的に話すだけで、瀬美が相槌を打つだけのやりとりだったけど、二人に不満はなかった。そんな折、唐突にたまが真剣な表情で瀬美に問う。


「なんでしょうか?」

「瀬美さんは、蝶次郎さんのこと、どう、思っているの……?」


 たまの言葉は後半小さくなって、聞こえづらいものになってしまったけど、瀬美には届いたようで、彼女は機械的に答えた。


「蝶次郎様は私が仕えるべきお方です」

「ううん。そうじゃないの。好きか嫌いかってこと」


 瀬美は問いの意図が分からなかった。

 ロボットに人間への特定の感情があるはずがない。

 だから瀬美は蝶次郎のことを好きでも嫌いでもないとしか言いようが無かった。


 しかし目の前の少女――たまがそんな答えを望んでいないことも分かった。

 たまが蝶次郎に好意を抱いていることは、瀬美に搭載されているデータから判断できた。

 だからここで『好きではない』と言えば、たまが安心すると分かっていた――


「分かりません。私には、分からないです」


 瀬美の口から出たのは、肯定でもなければ否定でもなかった。

 彼女自身、理解できない気持ちで占められていたのだ。


 蝶次郎は警護対象でそれ以上でもそれ以下でもない。自分を作った今野忠博士に命じられて、この時代に来た。自分の自由意志に基づいて守ると決めていない。でも蝶次郎のが自分を気遣い、ロボットではなく人として接してくれるのは分かっていた。


「私は、蝶次郎様に何を思えばいいのか、分からないのです」

「……そっか。ありがとう。本音で話してくれて」


 たまは改めて、瀬美を不思議な人だと思った。同時に可哀想だとも思った。

 何の事情があるのか分からないけど、好意や感情を伝えられないのは苦しいし悲しいと思った。


「私、いい女になれると思うの。瀬美さんに負けないくらいのね。十年したらそうなるって」

「イエス。私もそう思います」

「だから、悔しいの。どうして蝶次郎さんと同じ時に生まれなかったのかなって」


 たまは今まで誰にも打ち明けなかった、心につかえていたものを吐き出した。

 瀬美が正直に言ってくれたのもあるが、言うことで瀬美の後押しになれば良いとも思った。たまは蝶次郎のことを諦めていない。でも瀬美にも幸せになってほしいと願っていた。


「おおい。見てよこれ!」


 二人の間に沈黙が訪れて、少し経った頃、タダシと一緒にとん坊が何かを持って近づいてきた。きらきらと光る、親指くらいの大きさのそれは、まるで黄金のように輝いていた。


「えっ!? なにそれ!? まさか……」

「うん! 金かもしれないよ! タダシが見つけたんだ!」

「凄いじゃない!」


 子供たちが騒いでいるのを余所に瀬美は鉱石の解析を始める。

 そして「残念ながら違います」と答えた。


「これは黄鉄鉱ですね。硫化鉱物の一種です」

「おうてっこう……? 金じゃないの?」

「ええ。別名に愚者の黄金がありますから、見分けは難しいでしょう」

「そんなあ……」


 二人はがっくりと肩を落とした。瀬美はタダシの首輪を取って、黄鉄鉱を取り付け始めた。器用に針も糸も使わずに付けられて、再び首輪をタダシに嵌める。


「おお! なんか立派になった気がする!」

「良かったわね、タダシ!」


 落ち込んでいた子供たちは、タダシの首輪を見て元気になった。

 タダシも嬉しそうにわんと鳴く。

 瀬美は自分でもどうして付けたのか、判然としなかったが、みんなが喜んでくれたことを機械的に受け止めた。

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