第6話優しい誤魔化し
「それで、たまの様子はどうだ? 大丈夫なのか?」
「問題ない。すぐにそちらの……瀬美さんが川から引き上げてくれたおかげでな。後遺症も特に無い」
蝶次郎の問いに厳格な顔で答える源五郎。娘の無事が分かり、一安心しているという風には見えない。おそらくその原因は、老朽化した橋を直さない天道藩にあるのだと、蝶次郎は思った。だから余計なことを言わずに「そうか」とだけ答えた。
「たまは今、起きているのか? 帰る前に話しておきたいことがある」
「それは心配しているからか? それとも、瀬美さんのことか?」
源五郎の指摘に蝶次郎は「今、言われて気づいたよ」と腰を上げた。瀬美も同じく立ち上がる。
「瀬美の身元を探るような真似は見逃せないからな」
「すみません。蝶次郎様」
「謝ることじゃない。少し話せば分かってくれるだろうよ」
胡座をかいたままの源五郎が「話すのは問題ないが、あまり長く話すなよ」と注意をする。
「死にかけたんだ。身体も弱っているが、心もだいぶ弱っている。長話はあまり良くない」
「分かっている。そのぐらいの気遣いはあるさ」
蝶次郎と瀬美が部屋を出て行くと、源五郎は深い溜息をついて、天井を見上げた。
あの瀬美という女は人間ではない。しかし物の怪とは思えない。なんと表現していいのか分からないが、どうも作り物――人間の偽物のような感じがする。
「蝶次郎め。何を隠しているんだ?」
源五郎は蝶次郎が子供のときからの付き合いである。その姉、さなぎとも親しかった。
言ってしまえば、彼にとって蝶次郎は弟のようなものである。それが善悪定かではない女性と一緒にいるのは、不安であり心配であった。
たまが寝ている部屋に行くと、とん坊が枕元で正座していた。
入ってきた蝶次郎と瀬美に気づくと、とん坊は「あ、えっと、その……」と口ごもった。
たまは布団に入ってぼうっとしていた。眠れないのかもしれない。
「たま。大事無いか? とん坊も楽にしていい」
優しく子供たちに呼びかける蝶次郎。
瀬美は黙ったまま蝶次郎の隣に立つ。
「蝶次郎さん……たま姉さんはもう大丈夫です」
「ああ。源五郎殿から聞いたよ。でもまあ、一応聞いてみたんだ」
「……瀬美さん、ありがとうございました」
とん坊が頭を深く下げた。あだ名のわりにそういう礼儀作法がなっているなと蝶次郎は感心する。そう言えば、とん坊の家は大きな商家だと思い出した。
「私は当然のことをしたまでです」
「でも、瀬美さんはどうして元気なんですか? あれだけ冷たい水の中にいたのに」
とん坊の疑問に蝶次郎が誤魔化そうとしたとき、たまが「私も、気になっていたの」と呟いた。慌ててとん坊が「たま姉さん! まだ喋らないほうがいいよ!」と言う。
「そうだぞ、たま。無理して喋らなくていい。俺たちはただ、お前の様子を見に来ただけなんだ」
「…………」
「元気になったら俺のところに訪ねてこい。またとん坊と一緒に遊んでやるから」
蝶次郎が優しく笑って言うと、たまは小さく頷いた。
それからとん坊に「お前もよくやってくれたな」と言いながら頭を撫でる。
「たまの面倒を見てくれたんだろう? 源五郎殿が褒めていたぞ」
「おらはただ、必死にやっただけで……」
「家まで送るよ。外はすっかり、暗くなっちまっている」
そのとき、たまが淋しそうな顔をしたのを瀬美はセンサーで感じ取った。
この場合の最適解を考えて、導き出した結論を口にする。
「蝶次郎様。私がとん坊さんを家まで送ります。あなたはたまさんの様子を見てあげてください。私はそのまま家に帰りますので、折を見て帰ってください」
「はあ? 様子見ろって……源五郎殿が来るだろう?」
「ノー。どうかよろしくお願いします」
すると瀬美の言葉に同調するように、とん坊が「おらもそれがいいと思う」と言う。
「美人のお姉さんと一緒に歩きたいし」
「お前六才だろ? 色気づくのは早いんじゃないか?」
「いいから。それじゃ行こうよ、瀬美さん」
「イエス。行きましょう」
瀬美ととん坊がそそくさと部屋を出て行く。
なんなんだと蝶次郎は思いつつ、たまのほうを向く。
「よく分からんなあ。まあいい。それでたま――」
「……私、誤解していたかも」
「うん? 何を誤解していたんだ?」
たまは布団で顔を隠しながら「瀬美さんは、蝶次郎さんの親戚じゃないんでしょ」と言う。
蝶次郎は始め、否定しようとしたが、たまが布団からひょっこり出した顔の上半分を見て、その瞳の中に確信を感じているのに気づき、これは嘘はつけないなと思い直した。
「ああ。そうだ。瀬美は従姉妹じゃない」
「……じゃあ恋仲なの?」
「それも違う。説明が難しいんだが、そういう関係でもない」
まさか六百四十年後の未来から自分を守るためにやってきた女だとは、とても言えなかった。たまが信じる信じない以前に、蝶次郎もまた半信半疑だったからだ。
人間ではないのはたまを救ったことや源五郎の脈がないという言葉から分かった。しかし未来からやってきたという言葉は疑わしかった。よくよく冷静に考えれば、未来から来たというのは、瀬美が勝手に言っていることだ。それに彼女が説明した内容にも根拠が無い。それに下級武士である蝶次郎を助けたところで、技術革新になるとは思えない。
「とにかく、お前ととん坊が邪推するような間柄じゃないんだ」
「そうなの……少し安心した……」
「何に安心したんだ?」
「えっと……蝶次郎さんが騙されていないと分かったから」
自らの嫉妬を口に出さずに、偽りの理由を述べたたま。蝶次郎は少しだけ違和感を持ったが、ほんの僅かだったので気づく素振りは見せなかった。
「あはは。騙されるような男だと思うのか?」
「うん。悪い人に騙されそうな顔をしている」
「……言うじゃないか。生憎、俺は騙されたことなど一度も無い」
「前に酒場でぼったくられたって言わなかった?」
「あれはぼったくられたんじゃない。少しだけ御代を高くされただけだ」
二人は楽しそうに会話をしているのを、襖を挟んで源五郎は聞いていた。
長話は良くないのだけど、楽しそうならそれでいいと思い、源五郎はゆっくりと別室に向かった。たまに飲ませる薬を調合するためと、しばらく二人きりにさせてあげたかったからだ。
◆◇◆◇
「瀬美さん。おらはあなたが何者でも良いんです。たとえ性格が悪くても、怪しい出自でも構いません」
黄昏から漆黒の帳が下りてくる時刻。
とん坊は瀬美の隣を歩きながら語り出す。
「でも、たま姉さんと蝶次郎さんに何か悪いことが起こるのなら、すぐに離れてほしいんだ」
「ノー。私が二人の不利益になる行動を取ることなどありえません」
機械的に答える瀬美に対し、六才の子供とは思えない、真剣な表情でとん坊は言う。
「おら。二人が大好きなんだ。二人が幸せになってくれると嬉しい。ま、そのためにおらが死んだりするのは嫌だけど」
「正直なお方ですね」
「瀬美さんはどうなの?」
とん坊の問いに瀬美は一拍おいて「私は蝶次郎様をお守りします」と言う。
「そのために私はここに来ました」
「……おらにはよく分からないけど、瀬美さんは蝶次郎さんのことが大好きなんだね」
こりゃたま姉さんも大変だ、という呟きは風と共に消え去ってしまった。
瀬美はとん坊の言っていることがあまり理解できなかった。
恋愛感情どころか、感情すら人間に入力された作り物だ。そんな瀬美が人間を好きになるなどありえないことだった。
蝶次郎が瀬美に気を使っていることは、彼女自身も分かっていた。
それどころか、ロボットだと知っても優しく接してくれている。
実に不思議だと瀬美は思った。未来では優しくされるどころか、気を使われることもなく、必要最低限の言葉しかかけられなかった。
「蝶次郎様は、私がお仕えするに値するお方です」
とん坊は瀬美の言い方を不思議に思って振り向いた。
相変わらず瀬美は無表情だったけど。
不思議とどこか笑っているように見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます