第2話鶏卵理論

「とりあえず、話を聞こうか……えーと、瀬美さん?」

「ノー。どうか瀬美と呼び捨てでお願いします」


 よく分からないまま、蝶次郎は自分の住む家――町人長屋へと瀬美を招いた。家というよりも小屋のように小さな建物だったが、住めるだけましと蝶次郎は考えている。何故武士である蝶次郎が武家屋敷ではなくここに住んでいるのかと言うと、彼の生家が数年前に火事で焼け落ちてしまったからだ。以来、一人寂しく暮らしていた。


 だから目の前に女性、しかも相当な美人がいるのは、少しだけ違和感があると彼自身考えていた。女性とあまり接したことの無い蝶次郎はやや緊張しながら瀬美に問いかける。


「じゃあ瀬美と呼ばせてもらうが、あんたは一体何者なんだ? 道中いろいろ聞いてはいるがほとんど不明瞭だ」

「イエス。私もあなた様に言わなければならないと思考しております」


 内心は酷く混乱している蝶次郎だが「とりあえず、俺が分かっていることを言う」と冷静さを強いて、額に手を置きながら言う。


「瀬美は六百四十年後の未来から来た」

「イエス。そのとおりです」

「その理由は俺に仕えること」

「イエス。そのとおりです」

「……そんで、俺に仕える理由は、俺を死なせないためだったな」


 瀬美は機械的に頷いた。蝶次郎はうな垂れたくなった。訳の分からぬこの状況を、冷静な第三者に説明してほしかった。しかし今の目の前にいるのは、正体不明の女性、瀬美だった。


「イエス。そのために私は開発されました」

「開発って……まるで、その……」

「人間ではない、ですか?」


 聞きづらいことをずばりと言う瀬美に戸惑いつつ、蝶次郎はゆっくりと頷いた。


「ああそうだ。まるであんたは自分が人間じゃないと言っているようだが」

「イエス。私は人間ではありません。この時代の言葉で言うのなら、絡繰人形が適当でしょう」

「絡繰……で、でも、どこから見ても人間みたいだぞ?」

「ノー。蝶次郎様もおっしゃるとおり、人間みたいなものなのです」


 すると瀬美は自分の『機能』を説明しだした。


「製品名はChildren-Kind offices、Domestic chores、Android。略称はC-KDA。人工皮膚にセラミック骨格。内部は特性の金属で作られ、特殊な液体でコーティングされております。たとえ人工皮膚が燃え尽きても、行動は可能です」


 蝶次郎には瀬美が何を言っているのか、まったく分からなかったが、とりあえず人間ではないにしろ、『物の怪』ではないことに安堵した。


「そうか。物の怪ではないのか。一安心だ」

「質問よろしいですか?」

「うん? 俺はまだまだあんたのことを知りたいが……まあいいだろう」

「この時代には、物の怪、つまり人外のようなものがいるのですか?」


 蝶次郎は「まあ未来から来たあんたが知らなくても当然だな」と言って説明をする。


「今から二十年前、先代藩主の天道馬虫てんどうまむし様は物の怪に襲われて亡くなったのだ。多くの家臣の目の前でな。まあその物の怪は馬虫様を殺した後、近習の者に討ち取られたのだが」

「なるほど。それはデータにはありませんでした」

「でーた? ……まあそういうことだ」


 先ほどから聞き慣れない単語を言っているが、蝶次郎は気にしないことにした。

 まだ彼に酔いが残っている証拠でもある。


「それで今の当主の蛾虫がむし様が物の怪を見たら斬り捨てよという御触れを出している。だからもし、あんたが物の怪だったら命に代えても斬らねばならない」

「理解しました」

「でも物の怪じゃないのなら、斬らずに済むし命を懸けずに済む。だから一安心と言ったのだ」


 瀬美が頷いたのを見て、蝶次郎は「今度はこっちから質問だ」と言う。


「どうやって俺は死ぬんだ? どうして俺を死から救ってくれるんだ? そして俺を救うことで何の利益が未来にあるんだ?」

「イエス。まずは一つずつ答えましょう」


 瀬美は指を三つ立てた。


「まず一つ。蝶次郎様がどうやって死ぬのか。それは不明です」

「不明? 分からないってことか?」

「イエス。ある事件がきっかけで、蝶次郎様はこの世から消えてしまいます。その原因を探ることも私の使命です」

「……この世から消える?」


 それは死と同じではないかと蝶次郎は思ったが、瀬美は機械的に説明をする。


「イエス。この時代――世界から消えてしまいます。遺体すら残さずに」

「訳が分からん……まあ未来でも分からんことを、起こってもいない今考えても、仕方のないことだが」

「この説明では納得できませんか?」

「できるわけがない。しかし……続けてくれ」

「それでは二つ目の問いに答えさせていただきます」


 薬指を折り曲げて、瀬美は言う。


「どうして死から救うのか。それは――研究のためです」

「研究?」

「未来では、行方不明者――この時代では神隠しが適当でしょう――の失踪原因を究明することで技術革新に昇華させる学問があります」


 訳が分からない蝶次郎。

 六百四十年後の未来では壮大な学問が興っているのかと思うと気が遠くなる。


「つ、つまり、ただの研究で俺は助けられるのか?」

「イエス。言葉を選ばずに言えばそうなります」

「……本来なら何か言うべきだろうが、自分の命には代えられん。無理矢理納得するしかないな」


 自分の命というか、運命を弄ぶような研究に一言言いたい蝶次郎だったが、結局何も言えないことに気づく。そんな胸中を察することなく、瀬美は中指を曲げた。


「そして最後の問い。利益の話ですが、それは蝶次郎様と関係の無いところで発生します」

「……すまん。俺の頭が悪いせいか、理解できない」


 先ほどから頭痛が止まらない蝶次郎。

 もちろん、二日酔いではない。


「俺の死因というか、失踪原因が研究になっているんじゃないのか?」

「ノー。それはそれですが、本来の目的は別の実験です」

「その実験ってなんだ?」

「未来に不足するであろう物資を過去から届ける実験です」


 とうとう蝶次郎の理解を遥かに超えた話になってきた。

 それが分かった瀬美は「未来に移動するためには、過去にも移動しなければならないのです」と説明しだした。


「往来で真正面からぶつかったら、どうなりますか?」

「そりゃ、尻餅突くかよろけるだろう」

「イエス。その場合、倒れる方向は同じですか?」

「いや、逆だけど」

「タイムスリップ……時空移動にも同じことが言えるのです」


 瀬美は蝶次郎にも分かるように言う。


「一方通行で過去か未来に行こうとすると莫大な力が必要です。しかし、過去に行こうとする力と未来に行こうとする力を同時に行なうと、半分の力で済むのです」

「…………」

「これは鶏卵理論と呼ばれる方法なのですが、未来の時空移動では一般的になっております」


 蝶次郎は今までの話を必死にまとめようとする。


「えっと。つまり、未来に移動するときは同時に過去へ移動しなきゃいけないってわけか?」

「ノー。それで言うのなら、二つのものが同時に未来と過去に移動することで、労力を半分にできるのです」

「そ、そうか。その理論とやらは分からんが、つまり未来に何か送るついでに、俺を助ける研究をしようとしているのか?」


 瀬美はにこりともせずに「イエス。そのとおりです」と答えた。


「以上、三つの問いに答えましたが、ご理解いただけましたか?」

「いや、はっきり言って全て理解したとは言えない。だが――」


 蝶次郎は瀬美に向かって言った。


「あんたは俺を守ってくれるんだな? 物の怪でもないんだな?」

「イエス。そのとおりです」

「なら俺にとってはありがたい話だ」


 蝶次郎はそう言って瀬美に笑いかけた。

 その笑みは力のないものだったが、瀬美は何も反応しなかった。


「とりあえず今日はもう休もう。ええと、布団はあったかな?」

「ノー。不要です。私はこのままで大丈夫です」

「……まずは、人間を真似ることから始めてくれ」


 蝶次郎はそう言って、押入れから二組の布団を取り出した。


「俺は武士だ。女に布団もやらずに自分だけ寝るなどできぬ」

「…………」

「だから布団で寝ろ」


 瀬美は武士という生物をデータでしか知らない。

 だから武士の行動として、蝶次郎の行ないは『武士の情け』に分類できるものと認識した。

 そしてそれを断ることは無礼だと判断して――


「イエス。分かりました」


 命令どおり、布団に包まる瀬美。

 蝶次郎も同じく自分の布団に入る。


 これからどうなるのか分からないが、とりあえずは休もうと彼はうとうとしつつ思った。

 明らかな問題の先送りだったが、これは誰も責められないだろう。

 既に蝶次郎は、自分の運命の歯車を狂わせられたのだから。

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