第3話二人の生活の始まり
「蝶次郎。どうしてあなたはいつも、諦めてしまうのですか?」
轟々と燃える武家屋敷の外で、蝶次郎は姉のさなぎの言葉を反芻していた。
飲み込むこともできず、かといって吐き捨てることもできないでいた。
半端者で何一つ成し遂げることができない、弱くて愚かで覚悟の無い男だと蝶次郎は自認していた。
「姉さん。俺だって……」
燃え盛る屋敷の前で口ごもる蝶次郎。
これ以上、被害を出さぬように尽力している火消を余所に、蝶次郎は呆然と見つめることしかできなかった。当時、彼は十六才でありながら、その年頃特有の全能感に満ちていなかった。だからこそ、それ以上の言葉は続けられなかった。
「…………」
蝶次郎はさなぎの教えのとおり、逃げなかった。
しかし立ち向かおうともしなかった――彼は立ち止まっていた。
戦うこともしなかった。ただ保留していた。
だからこそ、彼は後悔している。
どうしてあのとき、自分の身を犠牲にしてでも、姉と母を助けられなかったのだろう。
自分が死ぬべきだったと思わずにいられない。
それは生き残ってしまった者特有の心理だったけど。
今まで蝶次郎の歪んだ考えを否定してくれる人は誰もいなかった――
◆◇◆◇
「おはようございます。蝶次郎様」
機械的に発せられた無機質な声で蝶次郎は目覚めた。
冬が近いというのに、寝汗をかいているなとまず思った。
次に瀬美の声で昨日の出来事を思い出した。
「……おはよう、瀬美」
「今日は良い天気です。雨は降らないでしょう。お食事の準備もできております」
「なんだ。朝ご飯作ってくれたのか」
「イエス。あなたの健康管理も博士に言いつけられた私の仕事ですから」
布団から起き上がりながら「そういえば、博士ってなんだ?」と蝶次郎が訊ねる。
瀬美は素早く「私を作ってくださった方です」と応答した。
「
「ふうん。未来でも血統が重要視されるんだな」
今の世の中と変わらないなと自嘲気味に笑いつつ、布団を畳んで良い匂いのするほうへ足を運ぶ蝶次郎。そこには美味しそうな朝食が並べてあった。麦飯に味噌汁、メザシにおひたし。いつも食べているものと変わらないのだけど、どこか違う気がした。
「それでは、いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
まず味噌汁を口に含むと、その美味しさに驚く。
麦飯も炊き方がいいのか、ふっくらしている。おかずも食べたことの無いくらい美味しかった。
「凄いな。これほど美味しい朝ご飯は初めてだ」
「ありがとうございます」
「俺を守ると聞かされていたから、てっきり戦う絡繰だと思っていた」
正直すぎる物言いで、絡繰とはいえ女性に言うことではなかったが、瀬美は気分を害することなく「ノー。私は元々家事を得意としています」と言う。
「以前言いましたが、C-KDAとは子守りや家事などを行なうロボットのことです」
「……そうか。それは失礼した」
家事が火事に聞こえて、元気の無い声になってしまったけど、無理矢理気分を変えて「毎日でもあんたのご飯食べたいな」と明るく言った。
「毎日食べても飽きないだろうし」
「お任せください。蝶次郎様の健康も私はお守りいたします」
「うん? そういえばあんたの分は?」
遅れて気づく蝶次郎に対し、瀬美は「ご安心ください」と機械的に答えた。
「私はロボット――絡繰人形です。燃料は十分に内蔵されております」
「内蔵……食べなくても平気なのか?」
「イエス。詳しく申し上げるのなら『食べる機能』は付いておりません」
「…………」
「ご安心ください。味見はできなくとも調理は万全です」
食べなくても生きていけると聞くと、本当に人間ではないのだなと思ってしまう蝶次郎。
ご飯を食べ終えた段階で、蝶次郎は瀬美に言う。
「あんたも分かっているだろうが、俺以外に自分が……その、ろぼっとだとか絡繰人形だとか言うなよ。物の怪ではないにしろ、どんな目に遭わされるか分からんからな」
「イエス。十分に理解しております」
「ならいいか。それでは俺は城に出仕してくるから」
寝巻きから着物に着替えた蝶次郎は瀬美に「お金は持っているのか?」と訊ねる。瀬美が否定すると懐から財布を取り出し「これで服を買え」と言う。瀬美の今の格好は未来的でこの時代にそぐわなかった。
「本来なら俺が買うべきだろうが、生憎、女の着物のことは分からん」
「ノー。その必要はありません」
瀬美が服のボタンを押すと、一瞬で着物へと変化した。頭の角も引っ込んでしまった。
蝶次郎は目をぱちくりさせながら「なんだそれは?」と訊ねた。
「この時代の服のデータはインプットされております。ですので変換可能です」
「……よく分からないが、格好を変えられるということか」
まるで妖術だと蝶次郎は思ったが、今更なことだと思い直す。
財布を仕舞った後、昼ご飯の弁当を手渡されて、二人は外に出た。
「あら。青葉様……って、そちらの方は?」
「あらやだ! かなり美人じゃない!」
「青葉様もいよいよ所帯を持つのかしら?」
外に出た途端、同じ町人長屋に住んでいる年配の女性たちが声を上げた。
噂好きの女性三人で、おもんとおしろとおちょうだった。
蝶次郎はいきなりうるさくて厄介な女たちと遭遇したなと顔をしかめた。
「違う。そんなんじゃない。こいつは従姉妹の瀬美という。しばらく俺の家で厄介になるんだ」
咄嗟についた嘘だったが瀬美は上手く合わせて「蝶次郎様の従姉妹、瀬美と申します」と頭を下げた。
三人は顔を見合わせて「そうだったのー」と声を揃えた。
「勘違いしちゃってごめんなさいね」
「でも本当に美人だわね」
「ええ。青葉様と似ていないわ」
「おいおい。俺が不細工とでも言いたいのか?」
蝶次郎が笑いながら言うと、おもんが「そこまで言わないですけど、格好良くはないですね」とずばっと言う。
さらにおしろが「目が死んでいるし」と言い、続けておちょうが「覇気もないわね」ととどめを刺した。
「……なんで朝っぱらから傷つかないといけないんだ」
「蝶次郎様。そろそろお勤めに行く時刻ですよ」
瀬美の促しで蝶次郎は「それでは行って参る」と町人長屋を後にした。
彼が城に行った後、三人のおせっかいな女性は瀬美を問い詰める。
「青葉様の従姉妹なの? 本当に?」
「どうして青葉様の家に転がり込んだの?」
「何か悪いことされてない?」
それらの質問に丁寧に答える瀬美。
すると視界の端に女の子が見えた。
先ほどのやりとりを見ていたのか、衝撃を受けた顔をしている娘――たま。
「何か御用ですか?」
「――っ!」
三人の女性のやかましい質問を無視して話しかけると、たまは瀬美を睨みつけて、そのまま逃げるように立ち去ってしまった。
「あらやだ。あの子……」
「あの子は誰ですか?」
瀬美の問いにおしろが「町医者の源五郎さんの娘、たまちゃんよ」と答えた。
「あの子、どういうわけか青葉様を慕っていたから、盗られたと思ったんじゃない?」
「そうですか」
「可愛い嫉妬ね。ま、何かあったら私たちに相談しなさいよ」
瀬美はどういうわけか、たまのことが気になって仕方がなかった。
いや、気になってという人間みたいな言い方は止そう。
瀬美自身も知らないが、彼女の中には蝶次郎を守るためだけではなく、たまのことも気にかけるようにと今野博士にプログラミングされていたのだった。
そうとも知らない瀬美は解析できない不可思議な思考を抱きながら、三人に丁寧に挨拶した後、蝶次郎の家へと戻った。汚れている部屋の掃除と着物の洗濯をするためだった。清潔な環境は健康につながる。それは未来でも同じなことだった。
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