【15話】魔導物質って

城の中からもう一人の兵士が現れ、その手にはイオの手首ががっしりと握られていた。俺とリコが走り抜ける姿を不審者とみて、すかさずイオをその一味だと判断したのだろう。

イオは厚みのありそうな金属の手からは逃れることができないようで、力を込めたためか握られた手の痛みか、表情は苦悶に歪んでいた。


「アルヒラさんっ、イオちゃんがっ」


追ってきている一人を撒きながらイオに近づくことはできる。しかし近づいたところで、そこにも剣を持つ兵士が待ち構えているのだ。何ができる?


「貴様ら、その格好はなんだ!もしや盗賊か!」

「この娘はお前らの仲間か?言え!」


万事急須。するとイオが突然「せえのっ!」と言ったかと思えば、掴まれた左腕を軸に後方宙返りを決めた。


「ああっ!」


引き気味の小さな叫びを上げたリコは、両手で顔を覆った。乾いた音は彼女の耳にも届いたのだろう。直後にイオは走り出した。

イオを掴んでいた方の兵士も焦りを隠せないでいた。イオは突然宙返りしたのだ。あるいは彼女がもっと大きな身体を持っていれば兵士の体勢を崩すこともできただろう。しかし積極的な意思によるものか分からないが、イオの全体重は彼女の腕一本によって支えられてしまった。


「イオっ!お前、腕が……」

「大丈夫っ、よっ。ほれ、走れっ」


俺達を追っていた兵士の横をすり抜け、苦痛の表情のイオが走ってきた。彼女の左腕の肘から下はあらぬ方向に向いていた。



鎧の兵士2人はイオの走りにも追いつくことができず、跳ね橋を渡り切った俺たちは街中をジグザグに走り、途中見かけた細い路地に逃げ込んだ。


「はぁっはぁっ。こ、ここまで来れば、もう追ってこれないだろう」

「はぁっふぅっ、イオちゃんっ、腕は……」


イオの左腕は、さっき骨折か脱臼をしていた。音からすると骨折かもしれない。すると今頃は腫れ上がるか、それでなくとも変色くらいはしているはず。

そう思ってイオを見ると、なんと彼女は壁に両腕をついて肩で息をしている。


「イオ、お前……」

「はぁっ……ん?ああ、これっ……、もう大丈夫っ。治った」

「治った!?」


そんなバカなと思ってイオの左腕を見ると、関節にも骨にも確かに異常はない。


「治癒魔法か?」

「いや?そんなん私には無理よっ。この身体のおかげやね」


イオは人間ではないということをすっかり忘れていた。彼女はミイラの姿から泡経つスライムを経て復活した謎の存在だったのだ。


「……お前は何者だ?」

「だから、イオは、イオなんよ。身体は魔導物質でできとるの」

「魔導物質?」


聞きなれない単語にリコの方を見ると、彼女も分からないという意思を首を振って示してきた。


「魔導物質は、なんて言うかね。ああ、空気とか水とか、石ころにも入っとるヤツよ。もちろん生き物にも」

「生き物にも?」

「なーんも知らんのね?全部の物に含まれてて、世界に満ちてるって言い方もできるんよね。アタシらは『エーテル』って呼んでたけど、ほかの言い方だと魔力って呼ぶ方が分かりやすいんかね?」


するとリコがシャツの裾を引っ張って来た。


「もしかして放射線みたいなものでしょうか?」


恐ろしいことを言う少女だ。しかし気にはなる。


「なあ。イオに触ったりして、俺達の健康が損なわれたり、しないか?」

「そんなことないよっ」


そんなことないらしい。ふくれっ面を作られた。


「あ、すまん。それで、けがはもういいのか?」

「うん。アタシは死なん。ホムンクルスだから。けがをしてもすぐに治るんよ。痛いけど」


また聞きなれない単語だ。


「ホムンクルス?」

「ああ、エーテルで組成された生き物やね。錬金術って言うんかしら?」

「あ、それ知ってます!石炭を金に変えたりできるんですよね?」


急にリコに活気がみなぎった。


「石炭を金に?そんなんできるん?」

「あ、いや何でもないです……」

「それより、アンタらの名前を教えてよ」

「そうだった。俺はアルヒ――」


ここで俺は少しだけ躊躇した。前世からともにあった名前か、それとも文字通りの神様が付けた名前か。


「俺は、アルヒラだ」


俺の名前は村の牧師によって付けられた。気に入っているわけではないが、育ての親への恩というものもある。


「あたし、リコです」

「アルと、リコだな。わかった」

「いや、アルヒラだ」

「めんどくさい。アルで十分よう」

「くっ……」


思い虚しく、アルと呼称されることとなった。リコが、リコーダーがどうとか言ってクスリと笑った。



街からの出口まではすんなりと辿り着いた。追手の心配もしていたが不思議と門番から先は兵士の姿を見ることもなく、リコお得意のご都合主義かと思うほどだった。そしてさらに驚くべきは、出入口の兵士すら見当たらないということだった。警戒して情報を集めようとその辺の人に尋ねると、どうやらバルムは戦争に突入しており、ほとんどの兵士が出払っているということだった。


「つくづく、アホな国やね」


イオの呆れは理解できた。どちらが攻めているのか知らないが、戦争で王都の守りをここまで極端に減らしてしまえば、いざ別動隊に侵入された場合に内側からガタガタになってしまう。街を取り囲むような陣形でもとっているのだろうか。

リコの顔が真っ赤だが、何も言わないでおいてやろう。


「こんなことしてたら、バルムももう終わりやね。逃げ出せて良かったー」

「ま、まあ、楽に出られそうだから幸運なんじゃないか?よし、行くぞ」


こんな危ない国で1年も過ごしていたかと思うと肝が冷える。早々に立ち去るが吉だとは思ったが、また問題が浮上した。


「っと、危ない危ない。また同じ轍を踏むところだった」

「どうしたん?」

「隣の街まで行くのに、歩けば最低でも2日はかかる。道具やら食糧やら、なにも装備がないぞ」


喉が渇いて腹が減り、雨でも降ろうものなら身体が冷える。前回の失敗を思い出していた。


「大丈夫よう。この感じだとこれから3日間は雨なんか降らないし、食べ物だってアタシが用意してあげるわよう」

「そうは言っても……」

「大丈夫、大丈夫。長く生きとるから色々知っとるんよ」


その言葉にリコが少しだけ反応した。イオは自分のことをどれほど知っているのだろう。あまり反論すると墓穴を掘りそうな気がしたので、俺達はイオに従って街を出た。

バルムの王都が少しずつ遠ざかり、緑の草原に佇むその姿がとてもちっぽけなもののように感じた。


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