4-2


 視界いっぱいに広がる土砂降りの大雨。雨粒が傘を激しく叩き、飛沫しぶきが跳ねては落ちていく。

 道路のへこんだ部分には水たまりが出来ており、表面には波紋がいくつも波打っている。雨量が許容量を超えたせいで側溝からは泥水が溢れ出ており、出し渋る噴水みたいになっていた。


「……これ、帰りは気を付けないといけないな」


 子供と一緒に歩くには悪条件としか言い様がない状況だ。甘く見ていると事故に繋がりかねない。気を引き締めて行かないと。

 そんな覚悟で園に向かったのだが、到着する頃には天気が更に悪化。滝のごと怒濤どとうの降雨に、全身ぐっしょりの吸水スポンジになっていた。


「や、やっと着いた……」


 梨々花ちゃんが通うかがみがはら保育園。職場体験以来、久しぶりに来た。カラフルで明るく見えた外観は、大雨のせいで暗くくすんでいる。電気も一箇所しか点いていない。

 玄関先でインターホンのボタンを押し、中からの応答を待つ。防犯で鍵が閉まっているためだ。最近は不審者も多いので、どこも細心の注意を払っている。今の僕なんてずぶ濡れジャージ姿なので、まさに絵に描いたような不審者の様相だ。職務質問されても文句は言えないだろう。


『はい、どちら様ですか?』

「えっと、梨々花ちゃんのお迎えで来ました。遅れてすみません」

『分かりました、少々お待ち下さい』


 ぷつっと通話が切れて数秒後、園内から一人の女性が駆けてくる。棚引くポニーテールにハートまみれのエプロン。見覚えのある女性だ。


「お待たせしました~……って、君は」

「あ」


 思い出した。梨々花ちゃんのクラス担任の榊先生だ。

 職場体験の時にお世話になった、僕のことをロリコンかと疑っていた人。偶然にも休日保育の担当だったようだ。


「梨々花ちゃんのお母さんから、代わりに知り合いが来るって聞いてたけど、悠都さんのことだったのね」

「まぁ……はい、そうです」

「私てっきり、彼氏さんかと思ったから……」

「え?」

「ううん、何でもないわ」


 いやいや、何を言っているんですか。

 僕が千夏さんと恋愛関係になっている訳ないじゃないですか。全然眼中にないって、この間はっきり分かったばかりなんだから。


「あ、そうだ。よかったらこれ使って」

「ありがとうございます……」


 榊先生は濡れねずみな僕に、大きめのバスタオルを渡してくれる。園の備品のようで、『かがみがはら保育園』と太字の黒いマジックペンで名前が書かれている。大雨の中の迎えということで、僕のことを気遣ってくれたのだろう。

 僕はありがたく使わせてもらい、わかめみたいに平たく貼り付いた髪の毛を拭いていく。すぐには乾かないだろうけど、ずぶ濡れを放置するより幾分かはマシになった。


「一応確認なんだけど、悠都君ってもしかして梨々花ちゃんのお母さんと、その……お付き合いしていたりする?」

「ぶふぉっ!?」


 不意打ちで、榊先生が話を蒸し返してきた。

 おかげで思いっきりむせてしまった。呼吸が苦しい。


「げほっ、ごほっ……!つ、付き合うなんて、そんな……!」

「そ、そうよね。学生相手と恋愛なんて、そんな昼ドラみたいな関係になるなんて……」

「ないです、ないですって!僕と千夏さんはあくまでもお隣さんってだけで……」

「で、でもでも、梨々花ちゃんとは一緒にお風呂入るんだよね?」

「だからっ、そ、それは頼まれただけで……――あー、確かに普通じゃないですね……」


 冷静に考えてみれば、榊先生が疑うのも無理はない。

 ただ隣近所だからという理由だけで、その辺の高校生に全裸の娘を任せるなんてあり得ない話だ。あまりにも信用され過ぎていて、逆に怪しまれる親密さである。

 だとすると実は千夏さんの彼氏で、将来再婚を考えているから娘との関わりも濃密、と想定する方が自然だろう。理屈としては納得がいく。

 でも実際はそんなことない。むしろ気があるのは梨々花ちゃん自身で、千夏さんはそれを応援する立場。そして僕は哀れにも恋敗れた男子なのだ。千夏さんの彼氏ポジションならどれだけ良かったことか。残念ながら、僕にそんな甲斐性かいしょうは全くないんだけど。


「じゃあ本当に、悠都さんはただのお隣さんってことでいいんだよね?」

「そ、そうですよ。それ以外あり得ませんって……」


 疑り深い人だなぁ、榊先生。ロリコン疑惑の一件も千夏さんに電話確認するくらいだったし、今回も根掘り葉掘り深掘りしてきそうだ。

 まぁでも、預かっている子供の状況を知るためにも、家庭の事情を把握しておく必要があるんだろう。そう考えれば疑われるのも仕方のないと思えてくる。仕事熱心ということにしておこう。

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