2-9


「つ、疲れた……」


 職業体験が終わり、へろへろで帰ってきてからずっと、僕は自室の床に転がったままだ。

 肉体的にも精神的にも満身創痍まんしんそういの負傷兵。これ以上動けそうにない。


「ゆーとさん。あーそーぼーっ!」

「ぐぇっ」


 梨々花ちゃんが帰ってきて即背中にのしかかってくるけど、それでも全然動けない。むしろとどめを刺されたくらいだ。


「こら、梨々花。お嫁さん目指すなら、悠都君にもっと優しくしないとでしょ?」

「あ、そうだった」


 千夏さん。気の回し方おかしくないですか、それ。

 普通「疲れている人には……」云々うんぬんって言いません?


「やっぱり遊び足りなかったの?」

「そうだよー。ゆーとさん、みんなとばっかりあそんでるんだもん」


 梨々花ちゃんは腰辺りにまたがったまま文句を言ってくる。時折体を揺らすせいで柔らかい尻がこすりつけられる。全体的にぷにぷにしていて心地良いけど、たまにゴリゴリとてい骨が当たって痛い。


「いつも遊んでいるじゃないか」

「だって、ゆーとさんがうわきしちゃうかもって、おもっちゃったから」

「浮気って……」


 独占欲強めだな、梨々花ちゃんって。もし大人になったら彼氏相手に「他の女の子としゃべるの禁止!」とか言ってきそうだ。女友達も敵視してしまうかもしれない。

 ただ僕との関係の場合付き合っている事実はないので、浮気でも何でもないと思う。ただの勘違いだ。


「それに、あのおねえさんのこと、きになるんだもん」

「お姉さん……ああ、胡桃沢ここねさんのこと?」

「そうっ!そのここねおねえさんのことだよっ!」


 職業体験終了直前に判明した、胡桃沢さんがずっと僕のことを見ていたという話。梨々花ちゃんが敵視して大騒ぎになった一件だ。


「僕をずっと見ていたってのは本当なの?」

「そうだよっ。あそんでるときも、きゅうしょくのときも、ちらちらみてたんだから」

「特に気付かなかったけどなぁ……」

「おんなのこはそーゆーの、とってもびんかんなの。りりかだって、ずっときづいてたんだもん」


 胡桃沢さんがずっと見ていたこと、梨々花ちゃんは最初から知っていたんだ。

 もしかして胡桃沢さんの不審な様子を観察していたから、保育園にいる間はほとんど遊びに来なかったんじゃないか?それに不満そうにしていたのは、単純に遊べなかったからって理由だけじゃなくて、浮気されるかもって危惧して不安だったからじゃないか?

 僕は気付かないうちに、梨々花ちゃんを悩ませてしまっていたようだ。


「大丈夫だよ。胡桃沢さんは僕のことなんか好きなじゃないと思うから……」

「ゆーとさん、どんかんすぎ~」


 もにゅっもにゅっ。

 小さな手が僕のほっぺたを両側に引っ張りこねくり回す。


「ひゃ、ひゃにひゅゆひょ!?(な、何するの!?)」

「すきじゃなかったら、あんなにいっぱいみたりしないよ?」

「へも……(でも……)」

「と・に・か・く、おんなのかんってやつなの!きっとりりかのライバルなんだからっ!」


 そんなに熱弁されても……。

 あと一番のライバルは君のお母さんだから。僕の心の大半を占めているから。

 もっとも千夏さん自身には恋愛する気も気付いている様子も、全然ないから困っているんだけどさ。


「ひょひょひょへ、ひょろひょろひゃへへふへひゃひ?(ところで、そろそろやめてくれない?)」

「あ、ごめんなさーい」


 梨々花ちゃんが手を離してくれて、ようやくほっぺたつねりから解放される。じんじんと両頬が熱を帯びている。ついでに背中から降りてほしかったけど、面倒なのでもう乗せたままでいいや。


 しかし梨々花ちゃんの言う通り、胡桃沢さんは僕に気があるのだろうか?

 今まで特に接点なんてなかったから、お互いに内面をよく知らない。だからずっと見ていたことも大して不思議じゃないんだ。僕にロリコン疑惑があったから「危ない人」って思い込み、過剰に警戒していただけかもしれないし。

 でも、もし本当に恋の矢印が向いていたら?

 いやいやいや、それはない……とは言い切れない。

 僕自身、千夏さんのことが好きだけど、当の本人はさっぱり。それどころか「娘をお嫁さんに」なんて言う始末だ。

 同様に僕も胡桃沢さんの気持ちに気付いていないだけ、って可能性だって十分あり得る。でもこれで完全に的外れだったら赤っ恥もいいところだ。

 人付き合いや恋愛経験が豊富な人なら、相手の気持ちもすぐに見抜けるんだろう。でも僕には無理だ。一度も磨いたことのない、錆び付いたなまくら刀みたいな感性なんだから。


「僕って鈍感……なのかなぁ」

「そうだねー」

「うぐっ」


 女子からのありがたいコメントいただきました。

 圧倒的に年下からなので、いまいち精度は低いだろうけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る