2-5


 目的地に辿り着くまでが、永遠かと思うほどに長く感じた。

 無言のまま過ごすのは、やっぱりキツイ。二人っきりになる時の相手は、気の置けない友達に限る。それを痛感する機会が二度とないと信じたい。

 ともかく、職場体験の場所である、かがみがはら保育園に到着した。

 カラフルな色彩の花が描かれた塀の中には、クリーム色の小ぶりな建物。中からは「きゃあきゃあ」と子供達の甲高かんだかい歓声が響いてくる。

 外装のイメージもあるせいか、目映まばゆく光る暖色のオーラが園から出ているようだ。どんよりした僕達二人には不釣り合いな色である。


「ようこそ、学生さん!」


 職員室で出迎えてくれたのは、ハートがいっぱいあしらわれたエプロン姿の若い女性。髪の毛をポニーテールで纏めている、まさに働く女性といった出で立ちだ。


「きょ、今日はよろしくお願いします」

「お願い、しま……す」


 僕に続いて、胡桃沢さんが消え入りそうな声で挨拶する。お辞儀をした拍子に長い髪の毛が全部垂れ下がって、ホラー映画の幽霊みたいになっていた。縛った方がいいと思う。


「私はさかき絵美えみ。榊先生って呼んでね」


 そう言って、榊先生はフェルトで出来た名札をビシッと見せつけてくる。パステルカラーで作られたそれには、平仮名で名前がアイロンプリントされていた。子供にも読めるように配慮したのだろう。


「今日は私のクラス……もも組に入って、子供達と遊んだりお仕事を手伝ってもらったりしてもらうね」

「は、はいっ」

「何か分からないことがあったら、遠慮なく私に聞いていいよ♪」


 説明はそこそこに、榊先生に連れられて、僕達は保育室まで移動する。

 廊下には子供達が廃材で作ったオブジェやクレヨンで描いた絵が飾ってある。自分の子供時代を思い出して、懐かしい気持ちが湧いてくる。僕にもこんな時期があったんだ。今は見る影もないけれど。

 他のクラスからは廊下に顔を出している子供が多数。僕達に興味津々のようで、「しらないひとだー」「だれなのー?」と口々に騒いでいる。案の定、室内の先生に叱られていた。

 その中に梨々花ちゃんらしき姿はない。名前が書かれた作品も見当たらない。ということは鉢合わせするなんてのはただの杞憂、取り越し苦労ってことだったみたいだ。

 良かった、一安心だ。


「ここがもも組だよ」


 榊先生が立ち止まった場所には画用紙で作られた桃が貼られている。誰が見ても一発で分かる見た目だ。


「はい。みんな~、おはようございま~すっ!」


 榊先生はよく伸びる大きな声で子供達の元へと向かう。さすがプロの保育士、声量もテンションも特大級だ。余計僕達のハードルが上がった気がする。


「今日は近所の学校から、高校生のお兄さんお姉さんが来てくれたよ~っ!」

「わ~いっ!」

「どこどこ~?」

「あっ、ろうかにいる~」


 室内にいるのはざっと二十人くらいだろうか。歓声の圧が半端じゃない。思わず怯んでしまったくらいだ。

 今から、この子達と一日過ごすのか……。気後れしてしまう。

 でも、怖がっている場合じゃない。

 勇気を出すんだ、僕!


「行こう、胡桃沢さん」

「……う、うん」


 子供達の前へ、パワフル極まる場所へと踏み出す。

 緊張で高鳴る心臓が、血流を体中に送り出している。肩で息をしていて、指先は震えている。

 まるでサウナの中にいるかのように、全身が熱くなっていた。


「か、鏡ヶ原高校から来ました、犬飼悠都ですっ。よろしく――」

「あっ、ゆーとさんだ」


 でも、即座に瞬間冷凍。

 血管が冬場の水道管並に凍り付いた、なんて錯覚してしまうくらいの衝撃。


「嘘……でしょ?」


 冷や汗が一気に噴き出した。

 目の前に梨々花ちゃんがいる。

 体操服姿で癖っ毛のツインテール頭にくりくりお目々。見間違えなんかじゃない、本当にいる。ちょこんと可愛らしく体育座りしている。

 最悪だ。

 杞憂なんかじゃなかった。

 安心したところにクリティカルヒットをかまされた。

 よりにもよってピンポイントで当たってしまうなんて。想定した内一番あってほしくなかったパターンが、見事に起きてしまうなんて。

 神は僕を見放したみたいだ。


「あら、梨々花ちゃん。お兄さんとは知り合い?」


 更に追い打ちをかけるように、榊先生が余計なことを聞いた。

 やめて下さい、これ以上面倒なことにしないで下さい。

 ほんと、勘弁して。


「うんっ!ゆーとさんはね、りりかのおむこさんなのっ!」


 だけど、その願いは叶わず。

 梨々花ちゃんから衝撃の一言が炸裂して、保育室全域が氷河期に突入した。

 まごうことない、僕史上最大の天変地異である。

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