2-4


 そして次の日。

 職業体験ということで保育園に行く、恐怖の一日の始まりだ。

 現在僕は、高校の校門で待ち合わせ中。共に保育園に行く相手を待っているのだ。

 相手は哲君……ではない。

 彼の行き先は近場の有名なお菓子工場で、これまた顔とイメージが合わない場所だ。それに今回はクラスメイトの男女ペアで行くと決まっている。

 つまり、よく知らない相手と魔の空間に向かうという状況であり、心許こころもとなくて震えが止まらない。

 もし隣に哲君がいたら、少しは気が楽になっていたかもしれない。だけどない物ねだりをしても仕方がない。それに哲君の強面じゃあ、園児達が大泣きしてしまうだろうから、人選としては当然の結果なんだ。諦めよう。

 気持ち悪い。吐き気を催すほどに、心の底から不安が湧き上がってくる。

 運が悪ければ梨々花ちゃんと鉢合わせ、しかも同じクラスの子の目の前で。いつもの調子でスキンシップしてきたらドン引きされること必至。それ以上に園の先生から変な目で見られそうだ。ロリコン不審者の類いと思われるだろう。

 ああ、何事も起きませんように。


「お、遅れて……ごめんなさい」


 後ろから、ボソッと小さな声が聞こえた。風が吹いたら飛んでいってしまいそうな、か細い声だ。

 振り返るとそこにいるのは、腰まで伸びた髪の毛を棚引たなびかせる、前髪で隠れた目元が特徴的な女の子。制服の紺色と相まって、どんよりとした空気を纏っている。

 同じクラスの胡桃沢くるみざわここねさんが、申し訳なさそうにうつむいて立っていた。


「待った、よね……?」

「ううん、来たばっかだよ」


 本当は待ち合わせの時間をオーバーしているけど、言ったところで険悪ムードになるだけなので話題にはしない。

 胡桃沢さんは僕と同じで、クラスの隅っこにいる目立たない子だ。オシャレなんて全くと言っていいほどしてこないし、会話の中に入ろうともしない。人付き合いが苦手なのだろう。ちょっと責めただけで心が折れてしまう恐れがある。


「きょ、今日は……よろしく、です……」


 何かに怯えるように体を縮こまらせて、自信のない声を絞り出している。絵に描いたような陰キャ……と言ったらショックを受けそうだ。僕も人のことをとやかく言えるような人生を送ってないけど。


「こ、こちらこそ……よろしく」


 凄くやりづらい。

 胡桃沢さんのことは、クラスに|馴染なじめず背景に徹している子というイメージ以外、詳しいことは全然知らない。正直、今日初めて会話したくらいである。

 これから一緒に同じ場所で職業体験をするというのに、ギクシャクしたやり取りしか出来ない。クラスの女子との会話なんて大抵減るものだけど、全くない状態は本当に困る。何を話していいのか、頭を抱えたくなる。


「あ、あのー……今日は、いい天気だね」

「そう……ですね」


 保育園に歩いて向かう道中、こんなテンプレートな言葉が出てきてしまうくらいだ。誰がどう見ても酷さが丸わかり。語彙力ごいりょく以前の問題だ。


「く、胡桃沢さんは……子供の相手って得意……かな?」

「ダ……ダメダメです」

「そっかぁ…………うん」


 会話が続かない!

 恐ろしいくらいに続かない!

 沈黙の間がすぐにやってくるので、気まずい時間が長い。とにかく長い。どうにか話題を絞り出しているけど、一言回答で即終了だ。キャッチボールになっていない。

 これが梨々花ちゃん相手だったら、聞かれていなくても延々としゃべり続けるんだろう。僕とお話出来ることが楽しくて、時間も忘れちゃうくらいに。

 って、何で梨々花ちゃんのこと考えているんだ。これじゃあまるで、僕が意識しているみたいじゃないか。ばったり会っちゃうかも、という意味ではビクビクしていまるのは事実だけどさ。


「大変だよね、苦手な場所に行くなんて」

「……そうですね」

「子供って、嫌いだったりする?」

「き、嫌いじゃない……ですけど、私なんて暗くて……誰も相手してくれなさそうだから……」


 そしてこの自己肯定感の低さである。

 僕以上に重症。そして雰囲気がすこぶる暗い。

 話している通り子供が嫌いなのではないだろうけど、こんな陰気な空気感をかもしていたら本当に誰も近づかないだろう。

 今から陽気さ溢れる幼児が大量に生息するゾーンへ行くというのに、このままで大丈夫なのだろうか……。


「あ、あの……犬飼君」


 と、その時。

 今度は胡桃沢さんの方から話しかけてきた。


「犬飼君は……子供って、好き?」

「えっ。そ、それは……」


 お返しのように質問されて、僕は答えに詰まってしまう。

 別に嫌いかと聞かれたら、別にそんなことはない。とはいえ大好き過ぎて困っちゃう、なんてこともない。好き好きオーラを出されて困り果てているのは僕の方だ。

 それに答え方をミスしたら、ロリコンの烙印らくいんを押されてしまいかねない。

 胡桃沢さんも答えづらいところを突いてきたな。


「ふ、普通……かな」

「そう……なんだ」


 以上。

 いや、僕の回答も悪かったかもしれないけど、それだけですか!?

 話が全く膨らまない!


「ほら、子供ってさ、可愛いけど元気過ぎるっていうか……その、振り回されて大変っていうか……」


 会話を繋げようと、言い訳みたいに無理矢理言葉をつむいでいく。しかも出てくる理由がほとんど梨々花ちゃんのことだ。子供のイメージがあの子で固定されている。


「あー……うん、大体そんなかんじかな……あはは」


 再び沈黙タイムに突入。

 頑張って話を途切れさせないようにしてみたけど、僕には無理でした。

 しゃべり倒せる人って凄い。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る