書く事は「今日を楽しく生きた証」

日記が習慣だったり、自分で小説書いてみる!って人は結構居ると思います。

主観で見たモノを膨らませてオリジナルのストーリーを思いつく。

好きな映画やアニメをちょっとリスペクト。色々あると思います。


「悪魔の徒然草」と「悪の組織の損害保険」を

一話1,000文字前後のストーリーに纏めてる今日この頃です。

何でもお笑いにしてやろう。ちょっと小難しくしてやろうと思うと

色んなものが楽しいんですよね。何でもネタになる。

本来書き物をしてなかったら特に何もイベントが無いまんま

消費者としての日常を送るワケですが、問題はその「消費者」と言う点です。

生きてく上で人は色んなものを消費してると思います。

それがお金だったり精神だったり体力だったり・・・


だけど消費してリカバリーが効かない事っていっぱいあると思います。

何か気持ちの整理が追い付かないな。それなのに世の中は

目まぐるしく変わっていくな。あれ?置いて行かれてないか・・・

この置いて行かれる感じが焦りに変わる。片付けてないのに明日が来る。

まだ何もこの世界に伝えてない。この世にいる意味を。

その繰り返しの中で、ぶっちゃけ人っていつ死ぬか分からないんですよ。

私は交通事故で生身で車に当てられても骨折しない様な頑丈な健康体ですが・・・


「明日死んでしまうかの様に生きろ。永遠を生きる様に学べ。」

マハトマ・ガンジーの言葉です。


人は理想を思い浮かべるけど、そればっかりやってると疲れると思います。

だって自分でハードル上げちゃうから体力が要る。

「努力は人を裏切らない」って言うのは「生きていればそれでいい」

って置き換えると急に息苦しさが無くなります。

努力して勝ち取る人もいるけど永遠に息苦しさを抱えたまんま

荷物降ろさないで高い山を登る様なモンなんです。


それって地球上の人類みんながそうできるかって言ったら

価値観とか生きてく上で必要なスキルが違う以上

他人が語る努力って概念が呪いみたいに自分の首を絞めたりするんです。


「なんだコイツ、目標の無いヤツだな」と言われても仕方ありません。

それは努力を勝ち取って夢の途中のアドレナリンを感じてて

実際に感じてる痛覚が麻痺してる様な超人なんですよ。

どこで死ぬか分からないのにずっと忍耐と言うのは

みんなが出来る事ではありません。何と戦うかによって

ファイトスタイルみたいなモノが変わるんですから。

努力の話題になると人ってかなり喧嘩すると思います。

人は同じ言葉を共有してるのに解釈は違うんです。

特に努力と言う概念においてはお互いの理想と言う呪いの麻縄で

首を絞め合ってるんですから。

目標や目的はあるに越したことはありませんが

それが高すぎると明日が見えなくなったりする・・・


そんな理想に届かない絶望感って言うのは私自身かなり体験してきました。

でも色んな言葉に例えるとそれが面白おかしくなったりする。

要するにユーモアです。絶望する前に笑ってしまいましょう。

なる様になる。と言うよりなる様にしかならない。


自分の明日なんて神様仏様他人様だって知りえません。

悪ささえしなければ生きてるだけで偉いんです。

なんか今日面白いモノ無いかな?

つまらないなら面白く進化してやる!

そういう気持ちで感じた出来事を面白おかしく書いておくと

「今日は楽しかったな」と思える次第です。

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