少女は太陽の味を知っている

レオ≒チェイスター

第1話 冬空の下のヒトデナシ

 *金城華芽*朝*駅前大通歩道*


 ほう、と白い煙みたいな息を吐き出して、私はマフラーで再び口元を覆う。12月も半ば、朝の七時となればそれはもう肌を刺す寒さというやつなわけで。


「さむ……」


 ついぼやいてしまって、余計に寒さを意識する。ミトン型の手袋を擦り合わせながら、三年目になる慣れた通学路を歩く。自転車専用道まで設けられたきれいな歩道、手入れの行き届いた並木道と、それに挟まれた片側二車線の大通り。いつもどおりの、朝の通学風景だ。私と同じように制服を着て歩く女子高生が、二、三人で固まって歩いているのも、子連れの主婦やスーツ姿の会社員がやたらと自転車を飛ばしているのも、いつもどおり。


「よ。おはよう金城かねしろ


 そしてこいつが私、金城かねしろ 華芽はなめに後ろから挨拶してくるのも、いつもどおり。


「……おはよう、生食いけじき。いっつも言ってるけど後ろから声掛けないで」


「いや、悪い悪い。けどお前足早いんだもん」


 悪びれた様子もなく軽い調子で答える生食にため息をつく。

 生食いけじき勇人はやと。去年からの私のクラスメイトの男子だ。身長168センチ、体重不明だけどやや痩せ型、髪の色黒で毛質硬めの短髪。あまり特徴らしい特徴もないけど人当たりはいいしクラスでは友達が多い方、そんな男。通学路が一緒になる友人がいないせいか、毎朝私に声をかけてくる。べつに仲がいいわけでもないのに。


「私の足が早いのと、あんたが後ろから声かけてくるのは関係ないでしょ。第一そんなに早足で歩いてない」


「そうか?周りのやつぐんぐん追い越して歩いてるんだし早いほうだろ。てか前から聞いてるけどなんで後ろから声かけたらだめなんだよ」


 隣に並んで歩く生食にいらついてつい足が早くなる。質問に質問で返すな。


「……別に理由なんてなーー」


「短髪だから振り向いた拍子に髪ぶつけるからとかじゃないだろうし、眼鏡が吹っ飛ぶとかでもないだろう?背丈……は関係ないよな」


 こっちが答える前にあれこれ喋り倒す生食をギロリとメガネ越しに睨む。確かに私は髪は肩口くらいまでしかないし丸メガネをかけてるし身長も155センチぐらいだがどれも関係ない。

 私の視線を受けて生食は苦笑いを浮かべてやっと黙る。ふん、と鼻を鳴らして先を行く私に、すぐ追いついてくると肩をすくめてまた喋りだす。


「悪かった悪かった。で、今日もまた徹夜明けか?」


「……明けじゃなくて徹夜中」


「よく眠くなんねえな。俺絶対夜は寝る派だから徹夜とかやろうとしたことすらないわ。また昼休みに昼寝?」


「の予定。午前中に数学あるから寝るかも」


「ははッ、あの授業寝るやつ多いからな〜」


 やっぱり悪びれている様子なんてないのもいつものことで、だから私もそういうやつなんだとわかってる。多分こいつも私が本気で怒ったりしないのはわかってて、なんとなくそんな距離感で話している。話題が変われば気分も変わる。

 歩きながらどうでもいい学校の予定の話をして、30分しないくらいで学校へ着く。学校についたら生食は他の友達に囲まれて、私は一人で教室の自分の席に着く。

 いつもと変わらない朝。どうってことない、誰にでもあるありふれた日常。今日も始まる、私の平穏。



 *生食勇人*昼休み*教室*


「ナマショ〜、今日ヒマ?帰り遊ぼーぜ」


 昼休み。購買に駆けていった友人たちを見送って、弁当片手に席を立った俺を遊び仲間たちが呼び止めた。


「あー、今日はバイト。わりいな」


「なんだー、最近多くね?ちょっとは遊ぶ時間取れよー、もう高校生活長くねーんだし」


「はは、考えとくわー」


 軽く流して教室を出る。確かにアイツらの言うとおり、高校生活も残り三カ月。進路も決まってる奴らがほとんどだし、遊ぶ時間に回すのも普通のことだ。俺だって進路が決まってはいるからその点の不安はないし、生食いけじきをナマショクと読み違えた彼らがつけたナマショーなるあだ名を聞ける機会がもうあまりないのだと思うと寂しい気持ちもある。


(まあでも。長い付き合いにはなんねーだろうしな)


 そう思う。アイツらとは生きてる世界が違う。そんな気持ちがどこかであるから、深入りしないし肩入れしない。あいつらだって多分同じだ。なんとなく顔を合わせれば話もする、遊びにも行くし一緒にいれば楽しい。でも、多分この先関わって生きることはない、そういう奴らだ。だから無理に時間は割かないし合わせもしない。

 ぼんやりとそんなことを思いながら、教室から出た足を屋上に向ける。階段を登ってロープに下げられた警告など目にも入れずに屋上の扉を開く。もちろん出入り自由な場所などではないが、去年からここに定期的に侵入しているやつがいるのでそれに便乗するようになった。


(……っと、今日はもうおねむか)


 鉄の扉を開けると広々とした屋上の真ん中で横たわる女子が一人。傍らには未開封のコンビニ弁当が置かれている。多分昼食を摂ってから寝るつもりだったんだろうが、今日は眠気が勝ったらしい。最近は減ったが、会ったばかりの頃は寝てることのほうが多かったくらいだ。こうなるとなかなか起きない。


(ま、眼鏡外してるだけ頑張ったほうか……)


 枕元に置かれた彼女の眼鏡を見つけて苦笑する。穏やかな寝顔を見ながら、隣に腰を下ろした。一緒に昼食を摂るのは諦めて、ひとりで食事を始めることにする。


(……こいつは、どうなんだろう。変なやつなのは確かなんだけど)


 ふと、そんなことが頭に浮かんだ。

 金城華芽かねしろ はなめ。席が近くて通学路が一緒で、しょっちゅう徹夜してるおかしなやつ。クラスで浮いていて、友達も見ない。たしか入学してすぐになんか騒ぎを起こしたとかなんとか。興味がなかったから詳しく聞いてないけど、ともかくそんなやつだ。

 そんなやつだから、やっぱり他のやつとは生きてる場所が違う感じがする。


(もしかしたら……こいつも)


 なんて。余計なことを考えかけて首を振った。なんて、センチにしたってタチが悪い。

 もう考え事しているのも怖いので、さっさと昼飯だけ済ませてしまうことにした。ひょい、と金城の横に置いてあったコンビニ弁当をとって味わいもなくかっ食らう。最後のひとくちを飲み込んだところで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。


「ごっそーさん……」


 未だ起きる気配のない金城の横に、自分が持ってきた弁当を置いて俺はその場を後にした。

 果たしてその後一時間以上経っても金城は教室に現れず、再会したのは六時限目の始まる直前だった。



 *金城華芽*放課後*駅前大通歩道*


 カッカッカッ、と石畳を叩く踵の音に苛立ちを表しながら歩く。授業が終わるなり私はさっさと帰路についた。眠気が未だ強いせいもあるが、それ以上に苛立ちが強くてあの場にいられなかった。


(くっそ、また寝過ごした……確かに昨日も夜通し動いてたから寝たら起きづらいのはわかってたことだけど……それでも寝たのは私だけど……!)


 どう言い訳したとて自業自得。他人に八つ当たりなど言語道断。そんなことはわかりきっているが、それにしても、それにしてもだ。


「お、いたいた。ほんとはえーなお前」


「ッ……!」


 後ろからかけられた声に勢いよく振り返る。あっけらかんとした様子の生食勇人のふぬけた顔が余計に私を苛立たせた。私の視線に動じることもなく生食はひらひらと手を振る。


「何の用……ッ?」


「いやほら、昼飯のお礼をな、してなかったから……」


「イヤミかッ……」


「幕の内弁当ごちそうさま。うまかったよ」


 眉根にシワが寄るのがわかる。こいつは毎回そうだ。私がご飯を食べずに昼寝してしまうと、あとからやってきて私の弁当を平らげていく。しかもただの窃盗というわけでもなく、代わりに自分の弁当を置いていくのだ。


「ちなみに今日のおかずは鮭のチーズ焼きと、えのきのーー」


「説明しなくていい。どうせ後で開けるから」


 はじめはわけがわからず置いていかれたお弁当に手も付けなかったが、何度か同じことがあるうちに悪意でやってるわけじゃないのもわかったし、べつに生食のもってきた手製のお弁当が美味しいわけでもないがなんとなく毒気を抜かれてしまって止めずにいる。

 というか、食事というものそのものに楽しみを見いだせない私には食べるものなんてどれでもいい。


「ていうか……なんで昼休み終わるのに起こしてくれなかった……ッ!」


 ぎろり、と睨みつけるが生食はどこ吹く風。きれいな目のまま返事を返す。


「面倒だったから」


「このひとでなしぃ……!」


 恨み節を漏らすが生食が責められる謂れはないわけで、それ以上の追求はできない。八つ当たりも格好悪いのでそっぽを向く。


「で、用はそれだけ?なら私は帰るけど」


「まあうん、俺も帰るからこの道歩いてんだけど。用ってほどのはないな」


「……あ、そ」


 そう言ったきり、私も生食も黙って歩く。車の音、雑踏、鳥の鳴き声、風の音。黙っていたら世界に飲み込まれていきそうな感覚が嫌で、口を開く。


「生食、あんた進路決まってるの?」


「ん?ああ、まあ決まってるね」


「そ。……」


 しばらく黙っていたが、それ以上答えは返ってこなかった。違和感を感じはしたけど、追求するほどの話でもない、と会話を打ち切った。どうせそのうち、話すだろうし。


「じゃあな、金城。ちゃんと飯食えよ」


「え、ああ、うん。おつかれ」


 なんて考えてるうち、分かれ道の交差点に着いていたらしい。手を振る生食に挨拶を返すと、彼はそのまま横断歩道を渡って道の反対側に消えていった。


(……どうせ、そのうち耳にすることになる)


 普段は聞いてもいないことを話す生食が答えなかったことへの違和感を自分に納得させて、交差点を右折する。

 あんまり、昼のことに気を取られてるのは良くない。日の落ちてきた空を見ながらそう思う。昼よりずっと長くてずっと濃い、私の活動時間昼間はこれからだ。



 *???*深夜*ビル街路地裏*



 走っていた。ただ無我夢中で走っていた。普段は人通りの絶えない駅近くのビル街だが、深夜二時を回った今、辺りに人影はない。


(くそ、くそッ……!なんでこんな……!)


 必死に脚を動かしながら、この状況への怒りで体が熱くなる。俺はただちょっと腹が減って、うまいものが食べたかっただけだ。だというのにどこの誰とも知らないやつに邪魔されて、殴りかかったら返り討ちにされた。のみならず、慌てて逃げたのに今なお、追われている。

 そう、まだ追われている。つまり、逃げている。


(なんなんだ、あいつ……あいつはッ……!)


 後ろから迫ってくる気配は消えない。なんなんだ、あいつは。なんで、俺を追いかけてくる?


(いやちがう、そもそも、だ……!)


 脚を踏み込む。メキ、と地面の軋む音がして、体を正面へと跳ね飛ばし加速する。速度はもうとっくに車より速い。

 だというのに。

 あいつは、追ってくる。俺のほんのわずか後ろ、二メートルくらい後ろを走って追いついて来ている。


(なんで、追いつける……!?)


 わからない。こんなことは今までなかった、当たり前だ。そもそも追われることなんてなかったんだから。

 混乱しながらも脚はさらに加速して、なんとかあいつを引き剥がそうと足掻く。だがその足掻きをあざ笑うように、あいつはあっさりと、俺の足首を掴んだ。空に浮いた体はそのまま勢いよくアスファルトの地面に叩きつけられる。


「ご、あッ……!」


 腹の空気を吐き出すような嗚咽が漏れる。体に走った久しぶりの痛みと混乱。弾んで地面を転がった俺の視界の先で、黒いコート姿がゆっくりと近づいて来ていた。


「……て、めえ、なにもんだ……!」


 幸いに体の怪我は大きくない。ちょっとすればくらいのものだ。掴まれたときひび割れた足首さえ治れば、また逃げられる。そう思った俺は時間稼ぎに声を上げた。


「……教える必要ない。どうせあんたは死ぬから」


「ふざけやがる……俺が何したってんだ?てめえとは初対面のはずだが?」


 じわじわと骨の繋がる感触を感じながら黒いコートを睨みつける。顔はフードで見えないが、背丈は高くない。160センチくらいか…?女の声だったのは驚いたがどうだっていい。再生まではあと十秒くらいだ、それまで稼げればい。


「……あんた、人間を襲ってたでしょう。それも何人も」


「あ……?」


 一瞬、疑問が顔に出た。こいつ、何を言ってる?


。血を吸わなきゃ生きてけない、てめえもそうだろうが」


 そう、当たり前だ。俺は吸血者なんだから。そして人間では持ち得ない身体能力に追いついてくるこの黒コートの女だって、同じ吸血者だ。人間の血を吸って生きてる俺たちが人間を食っていて、何がおかしい。


「……ふざけるな、当たり前なわけあるか」


「何言ってやがるてめえ。まさか人間がカワイソウとか思ってんのか?それこそふざけてやがら……!」


 鼻で笑う。ギチ、とあいつの拳が握られる。そうだ、怒れ怒れ。


「ッ…!」


 勢いよく振りあげられた拳が、俺の顔めがけて振り下ろされる。


「バカが!見え見えなんだよお!」


あまりに単調な攻撃。狙い目も動きも丸見えなおかげで、再生した足首で地面を蹴れば簡単に避けられた。狙いを外した女の拳は暗い路地裏の地面をバキン、と砕いて穴を開けた。それを見ながら両足を踏み込んで、一気に高く高く飛び上がる。ビルの狭間から屋上へ、そこから跳んで数十メートル。さっきまでいた路地裏は遥か彼方へ消え去った。


「っハハあ!イカれ野郎が!余裕かましてっからだバーカ!あ、女だから女郎かあ!?」


バタバタと風ではためくジャケットの音に負けない大声で叫ぶ。聞こえやしないだろうが思い切り言い捨てておかなくては。なにせせっかくの食事を邪魔されたんだ、いくら言っても物足りない。

 二度、三度跳躍をして、もう街一つ分も離れようかというくらいだ。腹立たしいがまあ逃げ切った。追ってくる気配はないし、今からではいくら吸血者だって見つけ出すのは困難だ。とんだ夕飯になったものだが、こうして逃げ切れたならまあ悪くない。話の種にもなるだろう。気分を良くした俺はもう一度高く跳び上がって、彼方の街を見下ろした。



*黒いコートの女*深夜*男の逃げた路地裏*


 一瞬で飛び去った男の姿を視線で追いかけて、地面にめり込んだ拳を持ち上げる。指にできたいくつもの切り傷の痛みを感じながら眼を細めて視界を集中する。


『何やってるんだい?そのままじゃ逃げ切られるよ』


 耳に着けたワイヤレスイヤホン越しに聞こえてきた少年の声には答えずに、コートの裏地に留められた道具を抜き出す。腕一本分の長さの金属棒が三本と、平手二枚くらいの大きさをした三角の刃。バラバラだったそれらの部品は、手元に握った棒を中心に輝く赤い糸に引かれて上下つながり、一本の槍を形成する。


(距離と、速度……角度は、このくらい……)


 視界に捉え続けている吸血者の姿がどんどん遠くなる。右手に握った槍をくるりと回して逆手持ちに。右肩を引いて、右足に重心を乗せる。

 振り上げた左足を、地面に叩き落としながら右手の槍を投げ放つ。

 地を割る衝撃、空を駆ける轟音。放たれた槍は街の夜空を裂きながら、捉えた男の背中へ迫る。


『だめだ、外れる』


 機械越しの少年の声にしかし、焦ることはない。当然わかっている。この距離から正確な位置への投擲なんて、機械でもない限り不可能だ。そして少年の言葉通り、放った槍は男の右横を掠めてそのまま闇夜に吸い込まれる。


『どうするの、今から追っても君の脚じゃ間に合わないよ』


「……うるさい、


 少年の言葉に、不機嫌に聞こえるように答えながら背を向けた。ここからは見ないほうがよくわかる。

 右手の中指と人差し指を数度動かすと、槍がくるりと向きを変えたのが伝わってくる。

 男は気づかなかっただろう。脚を掴んだその時に、私が印を付けたのを。

 男は気づけなかっただろう。私がいつでも止めをさせたのを。

 男は最後に見ただろう。自分の心臓と槍の矛先が、一直線に赤い糸で結ばれているのを。

 グ、と拳を握りこむ。掴まれた糸は力強く引き込まれ、繋がれた糸の先にあった槍が男の心臓を貫いた。左手で飛び込んできた血塗れの槍を受け止める。


『……なるほど、もう勝負はついてたと』


「勝負じゃない。これはただの……駆除よ」


 私の言葉に少年は答えず、しかし通信の向こうで肩をすくめているのは気配でわかる。


『まあともかくお疲れ様。こっちに戻ってきなよ、華芽』


「気安く呼ぶな、ヒトデナシ」


 血塗れの槍を仕舞った私は、メガネを掛けながら毒づいた。



*金城 華芽あるいは黒衣の吸血者*深夜*地下倉庫*


 夜明けの迫った深夜、町外れの森近くにある地下倉庫に戻った私が倉庫の扉を開けると、山積みされたコンテナの隙間に挟まるように立っていた少年が、スマホから顔を上げた。


「やあ、華芽。お疲れさま。ゆっくりな帰りだったね?」


 ダボついた蛍光色のパーカーにジャケットとジーンズ姿の少年は、

一見するとそこらの不良少年みたいに見える。その姿とは相反する涼やかな声と綺麗な顔立ち、しかし子どもらしい丸い瞳が目深に被ったキャップの奥から楽しそうに私を見る。私が何をしてきたかわかっているくせになにも知らないような言い方をする少年に、舌打ちしそうになるのを抑えながら答えた。


「他のヤツがいないか探してた」


「いつも熱心だね、成果はあった?」


「あったら言ってる。わかってるくせに確認しないで」


苛立った声にも彼は肩を竦めただけで動じない。こんなことで怯えるようなら私とこんな関係にはなっていないだろうけど。

少年は肩を竦めてからスルリと抜け出すように歩いてくると私の前に立つ。背の高いわけではない私の肩くらいまでしかない身長で見上げてくる彼はやはり少年なんだ、と思う。


「さて、雑談はこのくらいにして。今日は何がいるんだい?」


「これ、直して。投げたら壊れた」


答えながらコートの裏に留めていた槍をバラバラと床に落とす。金属音を立てて転がった部品たちは先程使った際に衝撃で変形したりひび割れたりした箇所がいくつもある。


「やれやれ、そうやって雑な扱いするから壊れるんだよ」


ため息を付きながら少年は部品を拾い集めると手のひらで転がして眺め回す。

これが彼の仕事だ。私の必要なものは全部彼が用意し、代わりに私はあいつらを狩る。そういう約束、ううん、もっと割り切った、契約だ。完全な利害関係だけで繋がっている、それ故に信用できる関係性。彼の素性は知らないし知るつもりもない。同様に私の素性も話していないし話す気もない。ただ、わかっていることは彼が私の要求に応えられる力を持っていること、そしてーー


「次は壊れないように作って。できるでしょ、ヒトデナシ」


「まあ、できるけどね。手段を選ばないいつもどおりでいいなら」


彼が私と違って人間で、私同様ヒトデナシということ。徹底して利害だけを計算し、一切手段は選ばない。だからこそ私のような存在と巡り合うし利用する。そんな名前も知らない彼を、私はヒトデナシと呼んでいる。


「じゃ、明日には出来上がるから。それまでは派手にやらないようにね」


「……ん」


渋々うなずくと、私は倉庫の端に置いていた鞄から弁当を取り出す。


「いつものかい?昼間の君はほんとに無防備だね」


「うるさい、いらないなら捨てる」


昼間置いていかれた生食の弁当を、ヒトデナシはひょいと受け取ると包を解いて食べ始める。

生食の弁当は、いつもこうして処理していた。人間の摂る普通の食事が難しい私には、生食の弁当は食べられない。それは私だけじゃない、今夜も人を襲っていたあの吸血者たちも同じだ。

吸血者。文字通り生ける者の血を吸う者たち。夜の間だけ活動する、強靭な身体を持ち変形・変質させられる、人間を狙い生き血を吸う……その特徴だけでいえば伝説上にある吸血鬼のそれだ。

だが吸血者は吸血鬼ではない。銀に弱いわけでもなく十字架を見ても何も思わない。流水に抵抗もないしにんにくなんて気にも留めない。伝説上のそれとは明確に違うのだ。弱点らしい弱点はたった一つ。心臓は再生できないという点のみ。個体によって再生できない部位は増えはするけど、心臓は明確に蘇生不能の弱点だ。


「しかし、本当に君は吸血者が嫌いだね?君自身がそうだっていうのに。同族殺しに嫌悪感とかないのかい?」


「なに、今更。そんなのあるわけ無いでしょ、あるとしたら、その吸血者そのものに対する嫌悪感だけよ。同族なんて思ってないし」


弁当をつまみながら投げかけられたヒトデナシの言葉に、吐き捨てるように答える。食事をはじめるヒトデナシを尻目に、私も適当なコンテナに寄りかかって体を休める。鞄から輸血パックを取り出し口に含んだ。瞬時に広がる鉄の味を意識しないようにしながら飲み下す。舌に残る感触と鼻の奥に戻ってくる血の匂いに、慣れてきてなお眉根に力が入る。


「そんなに不味そうに血を飲んでるところを見ると、本当に君が吸血者なのかって疑いたくなるよ」


「……ほんと、なんでこんなまっずいものを飲めるんだか」


妙に楽しそうな彼に背を向けて、空にしたパックを乱暴にかばんに押し込みコンテナから離れる。どうせ彼が食べ終えるまでは帰れないし、朝まで時間もある。黒いフードをかぶり直すと、倉庫の出口に向かう。


「訓練、いつもの場所でしてるから。食べ終わったら連絡して」


「ああ、それは構わないけど。訓練なんかしてていいのかい?」


「?どういう意味」


「明日の課題、まだ手を付けてないんじゃないの」


聞きたくない言葉と一緒に、倉庫の扉を閉めて蓋をした。


*生食勇人*深夜*駅前通り*


「お疲れ様でしたー」


自販機前に屯するバイトの先輩方に挨拶をして帰路につく。腕時計を見て深夜2時過ぎであるのを確認すると、我知らず白いため息が漏れる。朝まではまだ時間がある。早く体を休めたいが、この時間はまだ家に行くには早すぎる。


(仕方ない、どっかで時間潰すか……)


今度は意図してため息を吐いて、重い足を動かし始める。とはいえ、金を使わず時間を潰せる場所なんて限られてる。そこらの路地で眠りこけてしまうと通報される恐れもあるし、必然やることは絞られた。

道路工事のバイト上がりだというのに元気なもんだと苦笑しながら適当な路地に足を向ける。荷物は着替えの入ったリュック一つ、身軽だ。


(普通なら、とっとと帰って風呂入って寝るんだろうな……てかそもそもこの時間までバイトとかしないか?)


つい、考える。「普通」の家庭というやつを。すぐに頭を振って思考から追い出す。そんな、失くしたものの方を見ていても仕方ない。俺のもとにはもう、それは戻らないんだから。

母さんが死んでしまってからというもの、親父も家の中も荒れ放題になった。俺のいられる場所なんてないし、お金だって稼がなきゃいけない。蓄えが多少あったとはいえ、食い潰したらすぐだろう。


「さむ……」


つい口に出して、余計に寒さを自覚しながら手をすり合わせる。息を吐き掛けてわずかばかりの暖をとるが、吹いてきたビル風にすぐ熱は奪われる。


「……はやく朝、こねえかな」


溢れた言葉は、吐息とともに握りつぶした。俺の在りたい姿は、こんなことで弱音なんて吐いたりしないのだから。


*金城 華芽*翌朝*通学路*


革靴が歩道を叩く音だけを聞きながら通学路を歩く。騒がしい朝のおしゃべり、自動車の走る音、すれ違う自転車が風を切る音。聞きたくない音ばかりだらけだから、自分の立てる音に集中して。そう、靴音に集中して。


コツコツ、コツコツ。


欠伸を殺して歩を進める。本当はもう少しゆっくり歩きたいけど。ゆっくり歩くと眠気に負けてしまいそうだから。


コツコツコツ、コツコツ。


靴音が、混ざる。近づく音が聞こえる。


「おはよ、金城」


声に、振り向く。眠気で歪んだ私はきっと、いつもひどい顔をしてるんだろう。わかってるのに、こいつだって。なのにどうしても少し、怯えてしまう。


「……おはよ、生食。いっつもいってるけど。後ろから声掛けないで」


つい、警戒してしまうから。そんなことしたくないのに。


「あー、わるいわるい」


悪びれない声も顔もいつもどおり。腹立たしいけど、ちょっと安心してしまう。そんなことなど、こいつは知りもしないだろうけど。

眠たい目を閉じないように、話しながら、学校に向かう。


こうしてまた今日も、ひとでなしな私の無防備な時間よるが訪れる。


第一話 了

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少女は太陽の味を知っている レオ≒チェイスター @Shimokami-yuusa

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