第21話 海

 僕らは南に向かってひたすらに歩いた。僕は右の足を引きずっていたし、身体中が痛くて、凄まじい疲労感に襲われていたけれど、それでも歩みを止めようという気にはならなかった。踏み出す足を止めてしまったら、その瞬間背後の暗闇から、あの気色の悪い宇宙人が触手を広げて迫ってくるような気がした。

 

 僕は真っ暗な道で、何度も後ろを振り返った。しかし、そこには暗闇だけが途方もなく広がっているだけで他には何もなかった。その度に、僕は安堵のため息を漏らす。


「大丈夫やお。」


山田さんは僕に向かって優しい声でそう言った。


 もし独りぼっちやったらこんな冷静におれへん。


 山田さんの言葉が思い出される。その通りだ。もし山田さんが隣に居てくれなかったら、僕はとっくに恐怖と不安と絶望でどうにかなってしまっていたと思う。


 南から風が吹いてきた。その風が先程よりも冷たく、僅かにだが、潮の香りが漂う。


「もうすぐやね。」


 山田さんはそう言った。僕は走り出したい衝動に駆られる。もうすぐ海に辿り着く。だからなんだっていうんだ。海に辿り着いたらこの世界が元に戻るわけでもない。宇宙人達の追跡が終わるわけでもない。それでもここまで歩いてきて、ようやく一つの目的地へと辿り着くのだ。

 僕は身体だけが前のめりになり、危うく躓きそうになる。足がもういう事を聞かなくなってきている。躓きそうになった僕を山田さんが支える。


「急がんと、ゆっくり行こ。」


僕は頷く。一歩、一歩、夜の冷たい潮風を受けながら前へ進んだ。


 やがて目の前が開けると、海はその巨大な姿を表した。深い、黒に近い群青色をした海は、ところどころにしぶきを上げながら僕の眼前に広がっていた。真っ黒な空は水平線に向かうにつれて薄く青く、白んでいった。空に浮かぶ雲は影を作り、やたらに黒く見える。波の満ち引きの音だけが遠くから近くへ、近くから遠くへと規則的に聞こえていた。


「広いなぁ。こんな広い世界に、僕達だけしか生き残ってないのか。」


 潮風を真っ直ぐに顔に受けて、気づいたら涙が僕の頬を濡らしていた。


「そんなんまだ分からへんやん。」


山田さんが言う。それから僕の方を見てクスッと笑った。


「カズヒト君、ほんと泣き虫やな。全然男らしくないわ。」


「は?泣いてねぇよ!これは潮風のせいだって!」


 僕は噛み付くようにそう言ったが、それ以上の言葉が喉の奥から出てこなかった。それは山田さんの言う事が全くもって間違っていなかったからだ。僕は山田さんと行動して以来、何一つ男らしい部分を見せてこなかった。野良犬に襲われて助けられ、宇宙人に襲われ助けられ、泣き言を言っては山田さんに励まされてきた。情けない。


 項垂れた僕の頬に温かな一筋の光が差す。


「カズヒトくん見てみ。朝日が登ってくる。」


僕は山田さんの指差す方を見る。紅い太陽が水平線から顔を出していた。眩しくて、美しくて、暖かい景色。世界が色付いていくのを感じた。そうだ、世界はまだ死んでいない。僕達はまだ、生きている。

 

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