第12話 下の名前
野良犬を食ったのは生まれて初めてであった。もちろん美味くはなかった。
それはそのはずだ。僕は今まで飽食の時代に生きてきて、辛いものも、甘いものも、しょっぱいものもなんだって食べれたのだ。そしてそれがいつまでも続いていくと思い込んでいた。
僕が食べたのはただの焼かれた肉だった。サバイバルもののテレビ番組でも見たことがない野良犬の肉だ。味は焼けた肉の味だとしか言いようがなかった。鶏肉に似ているとか、言われればそんな気がしなくもないが、食レポをする余裕などない僕には味を上手く言語化する事はできなかった。
しかし、腹が満たされていく感覚は幸福そのものであった。思えば僕は生まれてこのかた、こんなに腹が減った事がなかったかもしれない。今まで気づきもしなかったが、それはある意味で幸せな事だったのだ。
「ごちそうさまでした。」
すっかり平らげた後、山田さんは両手を合わせて言った。僕もそれにならって、
「ごちそうさま。」
と言う。
「あんた、名前は何て言うんやっけ?」
山田さんの不意の質問に僕は言葉を失った。
「は?」
「だから、名前。」
僕は山田さんのその言葉に怒りを覚えた。山田さんは僕の名前すら覚えていなかったのか。
「中山だけど。」
僕はぶっきらぼうに言った。
「いや、ちゃうんよ。上の名前は覚えてる。下の名前なんて言うんやっけ?」
僕はその言葉にふつふつと沸き起こっていた怒りが急激に鎮まっていくのを感じた。
「下の名前?カズヒトだけど。」
「ふぅん、そなんや。いや聞いただけやけども。」
「何だそれ。」
僕は山田さんの意図を図りかねて首をひねった。
「ね、カズヒト君。」
「は?」
僕は急に下の名前で呼ばれて驚く。
「一緒に地球の裏側目指さへん?」
「は?」
僕は再び間抜けな声を出した。
「下の名前呼びって、しかも地球の裏側って、なんで?」
山田さんの全てが謎だった。せっかく少しは分かりかけてきたかと思ったのに。
「下の名前で呼ばれるの嫌やった?」
「いや、そんな事ないけど。なんで地球の裏側?」
「地球の裏側やったら生きとる人おるかもしれんやん?」
山田さんの言葉に僕はなんと答えていいか分からなかった。
「一千万年もあったらたどり着けると思うんよな。」
「たしかにそうかもしれないけど、」
「地球の裏側やったら隕石も降ってへんし。」
山田さんは遠くの空を指差して言った。そこでは未だに空から銀色の尾を引いた隕石が降り注いでいた。
「そんなの分からないじゃないか。」
「いや、降ってへんよ。夜中は隕石降らへんもん。」
山田さんの言葉に僕はたしかにと納得する。
夜中は隕石が降らない。しかし、地球は一回転しているのだから、地球の裏側に行ったところで昼間は隕石が降り注ぐ事に変わりはないだろう、と思ったが口には出さないでおいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます