第9話 絶叫とコンクリートブロック

 山田さんの手を取って逃げる僕に、野良犬は安易と追いついて来る。

 山田さんはハァハァと息を切らしながらも僕の手を離す事はしなかった。


 僕の頭によぎったのは、この汗ばんだ手をふり払って、山田さんが犠牲になっている間に僕ひとりが逃げ延びる事だった。


 そうだ。この役立たずな女さえいなくなれば、自分は生き残ることが出来る。


 しかしどうしてか、山田さんの手を振り払うことは僕には出来なかった。それどころか僕は気づいたら野良犬の顔面めがけてハイキックをかましていた。

 しかし、僕の脚は空を蹴った。ふくらはぎに野良犬が食いつく。鋭い牙が肉の内側に入り込んでくる感触がする。まるで足が引きちぎれたかのような痛みだ。僕はたまらず絶叫した。


「痛い!痛い!痛いよ!助けて!」


 僕は全身全霊を込めて野良犬を振り払おうとしたが、野良犬は前足で僕の右足をガッチリと掴み、鋭い犬歯でふくらはぎの肉を噛みちぎろうとしていた。


 あまりの痛みで訳の分からない悲鳴を上げた。朦朧とする意識の中で僕は気づいた。山田さんの姿がない。さっきまで繋いでいたはずの手がいつの間にかほどかれ、彼女は僕の近くから姿を消していた。

 馬鹿な事をした。とっととあんな女置いて逃げればよかったんだ。


「くそ!くそ!」


 僕は自分の愚かさと山田さんへの恨みと、死んでたまるかという感情を入り乱しながら野良犬の頭部を殴る。

 しかし野良犬は決して僕の脚を離そうとしなかった。やがて僕は立っていられ無くなって、硬い地面へと仰向けに倒れ込んだ。

その瞬間、野良犬は右足を離すと、僕の顔面をかじりつこうとする。

僕は両手で犬の頭部を押さえ、必死に抵抗する。ギョロギョロとした二つの瞳が飛び出さんばかりに僕の方に向けられている。激臭がするよだれが顔面に垂れ下がってくる。


もうお終いだ。


 次の瞬間野良犬の頭に何かが直撃し、野良犬はキャンッと甲高い声を出すとビクンと痙攣する。さらにまた野良犬の頭に何かが振り下ろされる。野良犬の頭部はかち割れ、血が吹き出す。三度、四度と繰り返されると野良犬はこときれて、ばたりと僕に覆い被さるように倒れると動かなくなった。


 野良犬を力を振り絞って動かし、体を起こす僕を、角ばった大きなコンクリートブロックを両手で持った山田さんが見下ろしている。コンクリートブロックの角には野良犬の肉片がこびりついていた。


山田さんは僕を見て尋ねる。


「大丈夫そ?」


僕は俯き気味にああと返事を返す。


「食料ゲット。」


山田さんのこの言葉に僕の胸には感謝とともに恐れのような畏怖のような感情が湧き起こった。

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