第16話「おっす真也!バスケ部に入るってまじ?」

 5月7日金曜日。


 ハルトとの1on1の翌日は筋肉痛がすごかった。体が重すぎる。今日を乗り切れば土日だっていう心の支えがなければ休んでいた。


 終礼が終わり、明日からの休みにクラスが浮き足立つ中、朝倉と蓮華祭実行委員会に参加する。

 クラスで決まった企画の申告と設備の申請、それから焼きそばを出す2-8含む飲食物を扱うクラスは特別に召集されて衛生管理や火器の扱いの注意事項を周知された。


 その分実行委員会の終了が遅くなり、もう午後5時を回っている。

 早く帰ろうと帰り支度を始めたときだ。


「そういえば去年も使ったテントがピロティーにあるかも。」


「それだったら見てきますね、私たち。」

「え?」

「行くよ」

「……」


 朝倉と部室棟近くの物置みたいなスペースに来ていた。俺たち学生はピロティーと読んでいる。由来は知らない。

 物置というだけあって雑にいろんなものが放置されている。テント、その骨組み、その錘、鉄板、火バサミ、バケツ、机、椅子などなど。卒業生の中には蓮華祭で綿菓子やクレープを出店したクラスがあったそうだ。俺たちはそういう備品を外注することになっているはずだが、なんであるんだろう……まあいっか。


 朝倉がテントの屋根に当たる布を指でなぞると埃がついた。


「汚れてる。」

「そうだな。」

「拭けば使えそう。」

「そうだな。」

「結構色々あるね。ないのはガスボンベくらいかな」


 朝倉が指に挟んだ冊子をヒラヒラ揺らした。加熱調理系で出展する班に配られた資料だ。朝倉は冊子から申請書と書かれた紙を抜き出し、冊子を土台にしてボールペンでレンタルしたい機器にチェックをつけていく。

 その間、俺はテントの数を数えて(こちらは蓮華祭実行委員への報告用の)紙に記入する。


 やることを終えたので教室に戻る。リュックが汚れないように置いてきたのだ。備品の個数を記入した紙は月曜日に朝倉が3年に渡してくれることになった。


 校舎に戻る途中、運動場の脇を通る。

 すぐそばで陸上部の短距離メンバーが練習している。事前に避けることもできたが、朝倉が先に歩いていったので後に続いた。引き止めて道を変えるのも不自然だし、俺が気にして避けるのは癪にさわったのもある……こんなに意識してる時点で負けか。まあいいや、誰も気にしていないみんな勝手に楽しんでるの精神だ。


「おっす真也!バスケ部に入るってまじ?」


 できる限り視線をまっすぐに誰とも目を合わせないように歩いていると、足元から声がしてどきっとしたが川本の声だ。地面にマットを敷いて補強(自重筋トレや体幹トレーニングのことだ)をしている。


 さっと周りを確認する。顧問や部員がいなかったのでホッと胸を撫で下ろす。


「どこ情報だよそれ」

「根治。」

「たぶん大元は竹富先輩だな。しかもガセネタだよ。」

「お前真っ直ぐしか走れなさそうだもんな」

「誰が猪だよプロテインゴリラ。」


 川本はゲラゲラ笑った。


「てか髪型どうした?高校デビュー?」

「……イメチェン」

「いいじゃん。でもちょっと崩れてるのが残念だな。」

「汗かいたからへたってるかも。」

「今度元気な姿を見せてくれよ。」

「任せろ……それにしても忙しそうじゃん。」


 練習着から伸びる川本の太い腕は日焼けしている。


「羨ましい?」

「いや、どうだろ……」

「素直になれよー。」

「いや、あっ……」

「どうした?」

「いや、ちょいタイム」


 川本に「素直になれ」と言われて、我を忘れるほどじゃないけれどカチンと来た。だから反論しようとして「いや、」と言ってしまったが……必要あるだろうか?無いな。


 正直、羨ましい。何が羨ましいのかはわからない。陸上部を辞めたのは自分で選んだことだし。

 とにかく本心を垂れ流すことがイヤだった。羨ましいと認めたら、陸上部を辞めた自分の決断が間違っていて自分が否定される気がしたからかもしれない。

 それを防ぐために、強引に本心を堰き止めて、取り繕うための持論を作る時間を稼ごうとした。


 羨ましいことは悪いことじゃない。改めて考えてみれば。

 選択肢があったんだ。陸上部を辞めないか、辞めて停滞している自分を変えるか。天秤にかけて辞める方を選んだ。

 どっちもメリットがあったし、どっちもデメリットがあった。

 わざわざ否定する必要なんてない。自分に嘘をつく必要なんてない。


 ……なんて小難しいことを考えるのはこれっきりだ。これからは意識的に本心を話すことも選択肢に入れよう。自分に嘘をついてまで自分を守ろうとする代わりの選択肢として。


「おい、めっちゃ黙り込んで大丈夫か?」と川本。朝倉も怪訝な顔をしている……早く話終わらないかなって顔かもしれない。


「やっぱ羨ましいわ」

「めっちゃ考え込んだ結果がそれ?頭大丈夫……?」

「いや、違くて!」


 本心の「いや」である。会話はテンポも大事だと学んだ。


「ねえ、私もう行っていい?」

「もともと俺は備品カウントしないで帰るつもりだったんだ。ちょっとくらい待ってくれよ」

「はぁ……」


「おい相波。そちらは?」

「なんで名字…?えーっと、こちら朝倉さん。蓮華祭実行委員の相方。」

「こんにちは、朝倉です。」

「どうもどうも」


川本がペコペコする。そしてヌッと俺を見る。


「ジュージツシテソウデヨカッタネ」

「なんだよ」

「べっつにぃ?俺と青山のことはもうどうでもいいのね!」

「なんで青山?」


 川本は「はぁー」と言ってグラウンドの方を見た。俺と朝倉もそれにならう。


 4人1組で80M走をしている。グラウンドが狭いので、ゴール後の減速区間を含めると100M走はできないのだ。

 ちょうどマネージャーが「よーい、はいっ!」と腕を振り下ろして女子の組がスタートを切る。その中には青山がいた。


 165cmの長身と長い手足のおかげでストライド——歩幅が大きい。豪快な走りだ。


「豪快な走り……?」


 辞めたとはいえつい最近のことだ。まだ青山の走りは記憶に残っている。

 大きな体に見合わぬ、効率的な走り。一歩一歩着実に加速し、一歩一歩大きくゴールに近づく——。


 しかし今目の前で走っている青山のフォームはどうだ。

 体が前に倒れて足は後ろに流れている。顔は険しく、肩にも力が入っている。

 見ていて焦りとか苦しさを感じる。


「なあ、青山ってテーピング増えた?」

「はあ?知らんよそんなの。保護者じゃあるまいし」

「冷たいな。仲間だろ?」

「部を辞めた奴が言うか?」

「それは……すまん」

「別に気にしてねえよ。深い意味ないから重く受け止めんなって。」

「……辞めたこと怒ってる?」

「ブッ!お前は俺の恋人か!気持ち悪い」

「なっ」


 川本はゲラゲラ笑った。ひとしきり笑い転げてから、笑ってはいるが真面目な顔つきになった。


「まあ正直なとこ、先輩も同期も後輩も、あんまり良い印象は抱いてないな。辞めた時期が時期だし、全員に挨拶もなしに消えたんだからしょうがないだろ。」


 改めて聞くとヤバいやつだな。胸が痛むが、今は、受け止めるんだ。


「んで俺個人はちょっとだけ寂しかったかな。1年以上同じ部活で頑張ってきたんだし。辞めるって決断してから話すより、辞めるか迷ってる時に相談してほしかった。」

「でも……」

「言いたいことあんならはっきり言えよ」

「迷惑……じゃないか?辞めるか相談されたら」

「そりゃちょっとはな。でも迷惑かけられた方がふらっといなくなられるより良いことだってあるんだよ。」


 川本の言葉に俺は黙り込む。川本はそんな俺を見て言葉を続けた。


「戻りたくなったら戻ってこいよ。補強とかウェイトとかなら一緒にやってやるし。」

「うん……ありがと」

「そうすりゃ仲間として好きなだけ青山に世話焼けるぞ。」

「……。」


 何か勘違いしている気がするんだよなぁ。青山と大した関わりないんだが。

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