第15話 バスケ部のハルトくん

 朝倉のおかげでなんとか事態は収拾し、決断できずにもたつく気まずい時間を切り抜けることができた。できたのだが……


「結局焼きそば、か。」


 無事に迎えることができた昼休み、俺はソフトボールの日の再現のように大黒に誘われて食堂で新田たちと昼飯を食べていた。

 ちなみにオーダーは全員肉うどん。真似したけど何でなのか?


「お?焼きそばに文句あんの?」


「別に、ありきたりだなって。」


「文句じゃん。でも言うほどありきたりか?高校で食材扱えるなんて自由すぎて珍しい方だろ」


 それは新田の言う通りだ。蓮華祭の出店場所は大きく2つ、1つは校舎内でもう1つは校門から校舎への道沿い。ガスを扱って煙が出る焼きそばなら出店場所は屋外、つまり校門から校舎への道沿いになるだろう。敷地面積がそれなりに広く校舎の周りに十分な土地があり、かつこれまで先輩方が積み重ねてきた信頼があるからこそできる出し物だ。

 そうはいっても、大学の文化祭ならありきたりだろう。


「高校ではね?」


「そういう相波は何が良かったの?」


「俺は……等身大ボードゲーム」


「あぁ、なんかそういうの好きそう。」


「そういうのって?」


 ボードゲームが好きそうな雰囲気がわからない。


「深い考えはないよ。気にしないで。」


「それはそうと、焼きそばならガッポリ稼ごうぜ!」

「それな!」

「打ち上げ」「焼肉」「タダ」


 松景の言葉に釈然としないが、5人の連携に問い詰める雰囲気ではなくなってしまった。


「……高校生の出し物で荒稼ぎなんてしたら怒られるから無理だよ」


「あぁ、なんかそういうの気にしそう。」


「まあ稼げないより稼げるに越したことないじゃん!楽しもうぜ!」


 なんとなく自分の考えが雰囲気に合っていない気がして居心地が悪い。そのあとはおれから話すことはなく、5人の会話に相槌を打つだけに留めた。そもそも全員何か競っているかのようにうどんを啜っていて、遅れないように必死で食らいつくのに精一杯だった。

 それはそうと松景、やっぱり深い考えあるだろ。


 ***


 5分で昼食を終えた大黒、須藤、新田、羽馬、松景の5人と俺は体育館に来てバスケットボールを始めた。


 5人は昼休みに体育館でバスケか、駐輪場横の空きスペースでサッカーをしているらしい。バスケの時は男子バスケ部員の須藤がハンデとして2人側になるのだが、いくらバスケ部といっても2人だと攻撃も守備もやることが限定されすぎてゲームが成立しない。

 ゲーム開始前には、「相波が来たおかげでやっと3on3できるね!」と須藤が嬉しそうだった。


 そして15分位遊んだところで、須藤の敵チームになった大黒、羽馬、俺はぼろぼろになった。大黒と羽馬は床に仰向けに転んでいる。


「ぜーっ、はーっ、ぜーっ、はーっ」


 顔を滴り顎に到達した汗を手の甲で拭きながら体育館全体を見回す。

 体育館には独特な雰囲気がある。

 小学校は途中で工事があったので記憶に残っているのは真新しくてニスの匂いがする黄土色の床の体育館。中学校は日当たりが悪くて床が軋む湿っぽい匂いの茶色の体育館。そして蓮高はどこか落ち着いた雰囲気のある埃の匂いがする体育館だ。


「疲れた、ちょい休憩……」


「オッケー、にしてもいい汗かいたぁ〜!ってか相波、体力あるね!」


 須藤はカッターシャツの胸元をパタパタとしながら笑っている。


「ありがとう……陸上やってたから」

「短距離?長距離?」

「短距離。100と200。」

「おぉーすごい。じゃあさ1on1やろうよ。」

「よろしく」


 現役バスケ部員との1on1の機会なんて滅多にない。勝てるはずないしいい経験と思って気楽にやろう。


「じゃあ先に3本決めたほうが勝ちでどう?」

「オッケー。先攻後攻は?」

「んー……じゃんけんで決めよう」

「ハンデで譲ってくれないの?」

「譲って欲しい?」


 俺が首を左右に振ると須藤は笑った。いいやつだと思った。


 じゃんけんで負けた俺はリングに背を向けて須藤に相対す。ディフェンスの俺から須藤にワンバウンドでボールを出してゲームが始まった。


 ウォーミングアップとでも言うかのように、須藤はその場でボールをつく。手にボールが吸い付くような滑らかなタッチと変幻自在のリズム。片手のドリブルだけで魅了される。


「相波!俺たちの仇を取ってくれ!」

「勝手に殺すな」


 ––––まずは見ることから入ろう


 須藤のどんな動きにも一歩目で反応できるように、両足のつま先に体重を乗せて重心を落とした……まさにその瞬間須藤がドライブで切り込んできた。


「シッ!」

「なっ!?」


 あっという間に左手側から差し込まれたが、ゴール下にだけは入らせないように距離を空けていたことが幸いして追いつけた。


 ––––このままリング下に潜り込まれないように進路を遮れば……


「よっ!と」


 俺の思惑と裏腹に、須藤はドリブルしていたボールを両手で持ってシュートモーションに移った。体がバネでできているかのように伸びやかなジャンプ。しかし必要最小限の動きで軸は一切ぶれない。

 慌てて前に詰めながら腕を伸ばしてシュートコースを遮ろうとしたが須藤の素早く打点の高いシュートを止めるには遅すぎた。


「中に切り込ませてくれなかったから、ごめんね?」

「ああ、うん全然。」


 バスケ部だから2ポイントシュートは安定して入れてくる。そう考えたら、なおさら1on1でシュートを撃つのはどうかと思ったが、離れすぎるとこうなるぞと、そういう例を見せてくれたのだろう。俺に気を遣いながら。


 その後の俺の1本目。須藤は絶妙な距離感を保ち、レイアップシュートを撃つためにゴール下に潜り込むことはおろか、須藤の1本目のように2ポイントシュートを撃てるくらいの距離にすら入れさせてくれない。いつまでも前に進めないことに俺は焦って自分の能力以上の素早く正確なボール捌きを要求するドリブルをしようとして、ボールを弾いて自滅した。

 須藤の2本目。1本目の反省を活かして須藤に2ポイントシュートすら撃たせないように距離を詰める。ドリブルのリズムと強弱の変化、視線、息遣い、フェイント。距離が離れていた時は無視できた一つ一つの小さな、しかし膨大な駆け引きに対応できず、あっさりと躱されて2点目を決められた。

 俺の2本目。1本目の反省を活かして焦らないように意識しながら自分の能力の範囲内でドリブルをするも、今度は須藤が距離をピッタリ詰めてきた。しつこく強烈なマークに焦って、体の軸がブレた不安定な姿勢でほとんど3ポイントラインから2ポイントシュートを撃つがリングにすら掠らずコートを割った。


 球出しのためにボールを取りに行く。俺が勝つには、最低でも須藤を3回連続で止めないといけないが、まあ無理だ。それなら3本目は無意味だ。諦めて棒立ちするのは嫌なヤツだから論外として、現実的なところだと須藤に気を遣わせない程度に最善を尽くすか。


 手のひらで額の汗を拭い、髪を掻き上げるとベタついた。

 髪についたワックス––––挑戦の証だ。


 ––––最善ってなんだそれ?今、何を考えた?


 必死に喰らいついた感を演出したキレイな負けが、俺の尽くす最善なのか?そんなのて、納得していいはずがないだろう。


「須藤。」

「なに?」

「3本目止めたら俺の3ポイントにしてくんね?」

「えっ……」


「がんばれ相波ー!」

「陽斗、手加減してやれよー」


 突然の俺のハンデの要求に、須藤は呆気に取られ、退屈そうに座っていた外野は賛成してくれる。

 須藤がカラカラと笑った。不安になって見ていると須藤が「ごめんごめん」と言う。


「先攻後攻もじゃんけんで決めたのにいきなりハンデ要求してくるからさ。俺はいいけど……いいの?」

「お願いします。」

「わかった。それで行こう」


 須藤の1本目と2本目の攻撃に対する自分のディフェンスを振り返る。

 1本目は防戦一方になった。須藤の動きに合わせようとしたつもりが後手に回っていたからだろうか。

 2本目は須藤のフェイントに引っ掛かった。相手の自由を奪おうと守備を押し付けて、一か八か短期決戦を仕掛けたが、距離が近すぎて須藤の大小問わず全てのアクションに反応しないといけなくなった。それが俺のスペックを超えていたからだろうか。

 では3本目は――


 須藤にボールを出した後、3歩分の距離を空けたままほぼ動かない俺を見て、須藤が「へぇ」とこぼした。


 1on1でコート下周辺にはいられないようにするのでは相手が自由すぎる。かと言ってビタビタマークではリターンも大きいが抜かれたときのリスクも大きい。


「学習速いなー」

「ごめん、真似させてもらった。」

「いいよ。でも結構キツイよ、それ。長期戦になるし力の差がでるし。」

「一本くらい苦しもうかなって。」

「はは!そっか、じゃあ遠慮なく!」


 右手に持ったボールをついて左手に持ち替える。そのまま左から切り込むのかと思いきや必要以上に大げさにボールを受け止めたのを見て気づく――2本目で引っかかったフェイントだ。

 果たして須藤は即座に右に持ち替えて切り返し、ダダダンと素早く右から切り込んだ。しかし3歩進んだところで俺がついてきたのを確認すると急停止した。

 お互いに無言で視線が交錯するがそれも一瞬、須藤は視線を右に――向かい合う俺にとっては左に向ける。

 須藤はゴールポスト向かって右側から切り込んできたので、更に右側を攻めるとスペースに余裕が無くなる。しかし須藤なら不可能ではないだろう。故に右からさらに深く切り込むという意図が籠められた須藤の視線を無視することはできない――たとえそれがフェイントでも。


 須藤のフェイントは体の動作だけではなかったのだ。視線を右に向けたまま何食わぬ顔で左手にボールを持ち替え急加速する。


 ――やられた!


 完全に虚を突かれて抜かれるタイミングだった。必死で思い足を動かして須藤を追っていると、キュッと音を立てて須藤がバランスを崩したので追いついた。


「はぁ~!すごいや、よく追いついたね」

「いやラッキーでしょ。めっちゃ滑ってたじゃん」

「モップがけが足りないって1年怒らないとな」

「それは……手加減してあげて」

「あはは、冗談だよ」


 そこから先、須藤のオフェンスはドリブルとフェイントを主体にしたものになり、ドライブで強引に抜こうとしなくなった。

 直線を全力で走る短距離と比べて反復横跳びのような小刻みな俊敏性が要求されるバスケットボールに慣れていない俺にはありがたかった。何度もフェイントに引っかかったが。


「まじかよ、相波、須藤と競ってるんだけど」

「須藤が遊んでるだけでしょ」

「ふたりともがんばれー」

「体力回復したしそろそろ終われー」


「確かに、そろそろ終わらせないとね」


 そして状況が動いた。

 須藤は身をかがめて強烈なドライブをしてきた。一段ギアが上がった速度に反応が遅れたが、およそ3歩の距離を空けていたので後ろに下がりながら対応する――つもりだったが事情が変わって前進する。須藤の足元に向かって後ろからボールが転がってきたのだ。


「あっ!後ろ!」


 誰かが切迫した声を出すが、ドライブから突如として減速してジャンプシュートの体勢に移行した須藤はもう止まれない。


 ――あっ。これ取れるやつだ。


 フェイントには完全に引っかかっていたものの、偶然転がってきたボールを止めようと前に出ていたので、結果として完全にシュートコースを潰せるタイミングになった。


 興奮状態に特有のゆっくり、そしてはっきりとした視界の中で、須藤が目を見開いていた。


 ――今跳べば止められるかも。


 そしてシュートが放たれた。須藤の手からボールが離れた。


 須藤の脇を通り抜けて、リングに掠らずボールがリングをくぐった時のパシュッという乾いた音を背中で聞きながら、転がってきたボールを蹴り飛ばした。


「わりぃわりぃ、邪魔したな……っておい、何蹴ってんだよおま――相波じゃねえか」


「ああ、竹富先輩だったんですね、咄嗟のことだったのでつい蹴っちゃいました。ボールの扱いはちゃんとしてくださいよ。」


「チッ。まあいいや、なぁ俺等も混ぜてくんね?場所が埋まってるからさ。こっちも3人だし、3対3しようぜ。」


「嫌です。俺等6人で十分間に合ってます。」


「あ?休んでるだろうが。」


「今から再開するところだったんです。」


「面倒くせぇなぁ。ボール蹴ったこと許してやるから混ぜろや」


「プレイ中にボール転がして邪魔したこと許してやるから帰ってください。」


「……っ、てめぇ!」


「おうおう竹富言われてんぞ?」

「でもさ、確かにちょーっと言い過ぎなんじゃない?」

 竹富の連れ二人が近づいてきた。上級生であることと、1対3であることを笠に着た発言に、もう辞めた陸上部での一件を思い出して腹が立った。


「ほらよ相波、今なら許してやっから一緒に遊ぼうや、な?」


 竹富はさらに圧力をかけてくる。そこに、「相波、どうしたの?」と須藤が近づいてくる。さらに休憩していた4人も歩いてくる。


「あれ、船木先輩?どうしたんですか?」


 須藤の男子バスケ部の先輩がいたようだ。須藤は事態をある程度理解しているのだろうが、何も知らないかのように飄々としている。


「す、須藤……」


 そして船木先輩とやらは後輩の須藤に対してなぜか及び腰だ。もしかして、2年の須藤の方が上手くてレギュラーだとか、そういう展開か?


 さらに大黒も首を突っ込む……というか見下ろす感じで参戦する。


「で、なんすか先輩たち?」


「いや、なんでも……なぁ?」

「あぁ……」


 坊主頭の180cmオーバー。そんな奴に凄まれたら気圧されて当然だ。


「悪いな竹富先輩。こっちにも味方がいるんだ。」


「陸上部やめてバスケ部にでも入り直すのか?はんッ、信念がないな!」


「……さっさと行ってくれよ、怪我したらどうするんすか。個人種目もリレメンもあるでしょ」


 他にも言いたいことはあったが飲み込む。


 部活を引き合いに出されて冷静さをとり戻してくれたのか、竹富先輩は最後にひと睨みしてきたが連れを引き連れて立ち去っていった。

 残された俺たちは仕切り直しで3on3を軽くして、5限目5分前のチャイムが鳴って慌てて体育館を後にした。


 ***


 教室に戻る道すがら階段を登っているときに、前にいた須藤が歩みを遅めて隣に並び話しかけてくる。


「相波って負けず嫌いだったんだね」

「えっ?そんなこと……ないと思うけどな。」

「うそだぁ!たかがって言ったらアレだけど、だって昼休みの、しかも何も賭けてもないゲームで、ルール変えてまで勝とうとするやつが負けず嫌いじゃなきゃなんなのよ!」


「ほんと面白いなー」と須藤はひとしきり笑う。


「相波の下の名前なんて言うの?」

「えっ、真也、だけど……」

「よろしく、シンヤ!僕はハルト、改めてよろしくね」

「よ、よろしく……ハルト」


 俺は照れくさくなった。おそらく須藤も。二人とも無言で、1段飛ばしながら階段を登った。


 次の日ひどい筋肉痛になった。






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