第12話「むりぃ〜?怖いの間違いでしょ?」
——い、——っ!
肩を揺すられる。
「おーい。お客さん?お客さんっ!」
耳元でする声に意識を引っ張られて、眩しさに抵抗しながら目を開けると、すぐそこに会計をしてくれた女性店員が俺の顔を覗き込むようにして立っていた。
「もう閉店時間ですよー。その制服、蓮高生でしょ。学生は帰った帰った。」
「え、閉店?」
「ほら」
店員は卓上に置かれたスマホを指さした。
画面には21:46と表示されていた。
俺は何をしていたんだ?
確か……そうだ、蓮華祭の実行委員としての仕事が嫌で、学校の図書館で勉強して時間を潰した帰り道にカフェに寄って、催促からまた逃げて、不貞寝して——
全て思い出した。
「うわっホントすみません!すぐ帰ります!」
「まあ落ち着いて……ちょっと待ってて。」
そう言って店員さんはカウンターに戻り少ししてから戻ってきた。
「ほら、顔拭きな。」
寝ている間にヨダレ垂らしていたのだろう、店員が差し出した温かい濡れタオルを受け取る。
初対面の女性に指摘されたことが恥ずかしくて、俺はそそくさと顔を拭いた。
「目元もね」
目元?
意味が分からずポカンとしていると、店員は目尻から頬を人差し指でなぞって見せる。
見様見真似で頬に手をやると、一度濡れて乾いたような乾燥感に気づいた。
「え?は?」
嘘だろ、眠りながら泣いていたのか?
「なんか分かんないけどさ、話聞こうか?」
***
ホットミルクを注いだマグカップを両手に一つずつ持って来た店員は、そのうち一つを俺に渡して席に着いた。
業務時間は終わったからだろうか、焦げ茶色のエプロンを外して、第一ボタンを外した白無地のブラウスシャツと黒のスラックスのシンプルな装いをしている。
この格好で通勤しているのか?
「あ。そういえば親御さんから連絡来てない?」
はたと気づいた様子で店員さんが聞いてきた。
「俺一人暮らしなんで、大丈夫っす。」
「へぇー……」
「そっち……店員さんこそ」
「理彩。よろしくね」
「よろしくです……り、理彩さんこそ。俺店にいていいんですか?閉店時間10時ですよね」
「だいじょうぶ」と言いながらクイッと親指でカウンターの方を指す。
カップを布巾で拭いていた中年男性は俺たちの視線に気づくとそっと目を閉じて口角を上げた。
店長……というかマスター?今どき個人経営のカフェだろうか。珍しいな。
「許可も出たことだし始めよっか、お悩み相談」
「お悩み相談……って今日あったばかりなのにすか?」
「だっからこそじゃーん。金輪際関わることない相手だから、遠慮なく愚痴言えるしキッツゥいアドバイスもできるってもんでしょ。関係築く気あったら出来ないって」
エグいことを言い出した。
客と店員……ではないのか、業務時間が終わったんだから客と客?いやでも、うーん、どうでもいいか。
外見に騙されて変人に捕まったかもしれない。
「ワクワクするなぁ。ラジオのお悩み相談コーナーみたいな?やってみたかったんだよねー。」
キャッキャとはしゃぐ店員さんを見ると深読みするのが馬鹿らしくなった。
だがしかし気を許したわけではない。
「文化祭のクラスリーダーを押し付けられて落ち込んでいるんですぅ」だなんてかっこ悪すぎて相談したくない。
「ところで真也くんは何年生?」
「2年です……名前言いましたっけ?」
「ああごめんごめん、LINEに映ってるの見ちゃった。」
「あっ!へっ、へぇー……」
LINEが開きっぱなしだったのは俺の落ち度だけど、指摘しても全然動じないのか。
「ふむ。高校2年生の抱えるお悩みかぁ。さては勉強だな!もしくは進路!あるいは大学受験!」
「いや、違います。」
確かに、単振動で置いてかれ気味ではあるけど、勉強みたいに個人で解決する問題ならもっと気が楽なんだけどな。ていうか悩み全然絞れてないし。
「じゃあ部活か。なるほど、いい体をしておる。」
「違います。」
部活は最近やめたばかりだ。
でもいい線行ってる。関係がないこともないし。
「勉強も部活も違うの?おかしいなー、高校生の悩みのトップ1、3を言ったんだけど。」
「へー、そんな統計あるんすか。」
「うん。私調べだけど」
うん、薄々勘づいてたけどこの人真面目に相談乗る気ないな。
このまま居ても得るものはなさそうだし、早く帰ってLINEの返信考えるなりした方が有意義か。
「はぁ。用事思い出したんで帰りま——」
「ちなみにトップ2は人間関係」
リュックの取っ手を掴もうとした手がピクッと止まる。
理彩さんはニンマリとした。
「ごめんね、私少し浮かれてたみたい。でも悪ふざけしようと思ったわけじゃないんだ。私と話して真也くんの何かが少しでも改善したらいいなって思ったのは本当。」
よく分かんないけど、この人まずい。話の組み立て方とかなんかのプロっぽい。
「だからダメもとでさ、もう少し詳しく話を聞かせてくれないかな。毎回こんな調子でクイズしてたら夜が明けちゃうよ。」
朝倉から来ていたLINEのことを思い出す。
なんて返信したらいいのか、丸一日考えてたのにいいアイデアは浮かばなかった。
正直に悩みを話すのはとても癪だ。でもこのまま帰ったら、朝倉のLINEだけでなく
そうだ、「初対面でこれっきりの関係だから何でも言える」みたいなことをさっき
ここで色々吐き出して、そして二度とこかげ屋に行かなきゃ良い。次からは駅近のサイ○リヤのドリンクバーを使おう。そうすれば何も問題なんてない。
別に問題が解決することなんて期待していない。
スッキリして寝たい。
そのために相談して愚痴を吐く。
「はぁ……ラジオのハガキと違って、多分面白くなんかないっすよ」
「アドバイスその一。面白いかどうかも相談に乗ってよかったと思うかどうかも、決めるのは私だよ。安心して洗いざらい吐きな。」
「そっすか……」
中学の時、退部届を顧問の先生に渡したときと似た、後戻りできない浮遊感を感じながら話を切り出した。
「じゃあ結論から。どうやったら、押し付けられた文化祭のクラスリーダーを辞められますか?……できれば穏便に。」
理彩さんが目を見開く。予想を上回っていたのだろうか、興奮を一瞬にじませたが、すぐに振り払う。
「……っといけない。いけない。とりあえず、蓮華祭のリーダーになっちゃったまでに起きたことを教えてよ。」
言われた通り、俺が抱えている問題とその経緯について話した。
しかし不安やストレスで圧迫された頭では上手に順序立てて話すことはできず、説明しそびれた部分があると理彩さんはその都度質問して情報を整理して噛み砕くようにしていた。
「ふーむ。特に目立つところを並べたら、よく分かんないけど何だかやる気が出て。それで遅ればせながら高校2年で高校デビューしようとした。とりあえず何となく続けてた部活を辞めた。野球とかソフトやってた経験を活かして体育の授業でちょっと活躍しすぎちゃった。で、蓮華祭のクラスリーダーを押し付けられた。辞退しようにも部活は辞めちゃったから断る理由がない……こんな感じ?」
「うっ、はい。そんな感じです。」
理彩さんのまとめを聞くと、俺って結構情けない状況というか、意外と自分の抱えている問題はちっちゃい事なのかもしれないという気にさせられる。
そもそも初っ端から「何だかやる気が出て」って、小学校のソフトボールクラブのことを意図的に話さなかったのでそういう説明になったのだが、意味がわからなすぎて笑えてくる。
俺にとって意味不明なのだから、理彩さんももちろん疑問に感じた。
「はっきり言うと、何で蓮華祭のリーダーを辞退したいのか分からないかな。だって高校デビューしようとしてたんでしょ?辞退するどころか、逆に理想的な状況になったんじゃない?」
「うっ。」
手に汗が浮かぶ。
「い、いやぁ、はは、何なんですかね。ここまでの大役は想像してなかったていうか……無理でしょ、普通に考えて。責任重大すぎますって〜」
「目。逸らした?」
息が詰まった。
「真也くん、正直に悩みを打ち明けてくれてありがとね。分かるよ、いきなり蓮華祭のリーダーなんて無理だって気持ち。でも……」
理彩さんは一度間をとった。
「疑ってごめんね。実はまだ何か隠してない?」
「……」
額と背中に脂汗が滲む。
いろんなことが頭を覆って、心臓の辺りにいろんなものが渦巻いて、何も言えないまま店内の壁にかけられた時計の秒針が刻一刻と進む。
ふと、重くなっていた空気に香ばしくて甘い香りが混じった。
「こらこら、解決を急いたらダメだよ。はい、キャラメルラテね」
「え……」
この店のマスター……店長?が2つのカップを持ってきていた。
理彩さんはパンッと手を合わせて頭を下げた。
「ごめん突っ込みすぎた!あちゃー、お悩み相談で追い詰めるって何やってんだ私!」
「まだまだ甘いね。これはウチの店員が迷惑かけたお詫びってことで。後でバイト代から引いておくよ。」
「そんなぁ〜……まあ仕方ないか。ほんとごめんね?」
「いや、大丈夫っす。俺の方こそすみません。話してないことがあるってのは、その通りなんで。」
キャラメルラテを啜ってほっと一息つく。
無意識のうちに背筋がこわばっていたようだ。
「俺、高校に入ってからずっと静かで目立たない奴だったんです。それなのにたまたま、ほんとにたまたま体育の種目が得意なソフトだったってだけで、調子乗って、それで勢いで蓮華祭のリーダーを任されちゃって……誰も俺の言うことなんか聞いてくれないんじゃないかって。人望もないし。」
誰にも恥ずかしくて話せない弱音がこぼれてしまった。
——こんなこと言われても反応に困るよな。
恐る恐る伺うと、目を細めて柔らかい笑顔をしている。その緩急はずるいだろ……。
「悩みの相談って、実は本人の中で相談する前から答はあって、
「やっぱり人望のないやつがリーダーなんかやるもんじゃないんすね」
「あっはっは、分かりやすーい!」
あれ?今話が落ち着く流れじゃなかったか?
何で口開けて馬鹿笑いしてるのこの人。さっきの感動返せよ。
「なんすか?わけわかんないんすけど?」
「ふふ、真也くん、本当はやりたいんじゃん。蓮華祭のリーダー。」
「そっ、それは!でも無理っすよ……クラスの中心とかじゃないし」
「むりぃ〜?怖いの間違いでしょ?日本語正しく使おうよ蓮高生」
——この人マスターに怒られたのに全く懲りてないわ。
「ていうか背負すぎだってば。学校行事なんて、みんな勝手に楽しむんだよ。リーダーが楽しませなきゃって思い込んでない?」
「……」
「みんなは勝手に自分で楽しむ。だから真也くんは真也くんで楽しんでいいんだよ。」
リーダーはみんなにやる気を出させて引っ張るものだとずっと思って生きてきたのに、理彩さんは全く考えたことなかったリーダーの在り方みたいなものを示してきた。
「ちょっぴり責任感と思い込みが強いけどさ。十分あるって。リーダーの素質。やっちゃいなよ!」
脳裏に浮かんだかつての失敗がチクチクと心を刺してくる。
「なんで、今日会ったばかりのあんたに分かるんすか?」
暴れる感情を必死に押さえつけた声は、とても低くて震えていた。
それでも、目の前の人は全く引かない。それが心底鼻についた。
「もっと怒ってもいいんだよ?俺の何が分かるんだぁーって。でも分かるんだなぁそれが。真也くん、鼻くそ出てるよ。気付かなかったでしょ?」
パッと手で鼻を覆う。
「うっそー引っかかってやんのー。ほら、牛乳ひげ拭きな。」
「〜〜〜!」
キャラメルラテを一気に喉に流し込んだ。
ケラケラと理彩さんに笑われていると、何だか悩んでるのが馬鹿らしくなった。
***
夜の11時、外はもちろん真っ暗闇で、通行人はほぼゼロ。
まだやることがあるからと言うマスターにお礼を伝えて、俺は理彩さんとカフェの前で最後に少し話していた。
「ゴールデンウィークでしょ?折角だし美容院で髪切ったら?そしてワックスでも付けてみてよ。」
「そんな酷いすか?」
「どっちでも良いけど、それだけで案外気分アガるからさ。」
「でもなー……俺がそういうことしても似合わないっつーか、そういうキャラじゃないっつーか、イキってるっつーか、カッコつけてるっつーか……」
中学2年くらいから、野球部とかヤンチャなやつがシャツ出ししたりワックス付けたり眉毛整えてたりしていたのを目の敵にしていたから、なんとなく敬遠していた。
「カッコつけてるとかイキってるとか誰かが思うのはその人の自由。で、オシャレして自分をよく見せるのは君の自由。」
「あー……、うーん……、まあ、はい。」
「オシャレは武器よー。クラスの中心人物とかリーダーとか、主導権を握るために必要なの。あとは声が大きいとか身長が高いとかもね。」
2年8組のメンツや、これまでの人生で集団の中心に立っていた人物を思い浮かべてみて、腑に落ちた。なるほどそういうことだったのか。
「今度は身だしなみ整えて私服で来てよ。」
「考えときます。」
「ま、今はそれでいっか。じゃあその時は聞かせてね。本当の悩み。」
「ぜったい、いや」
「ちぇー、ケチだなー」
そのまま帰ろうとしたが、一度出した足を戻して理彩さんを見る。
「ん?なに?」
「その……ありがとうございました。……気が向いたら、また来ま——来るかもしれないっす」
「ふふ。またのご来店、お待ちしてます!」
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