第5話「任せとけ!」

「打てー!」

「任せたぞ!」

「行けー!」


「「ア・イ・バ!ア・イ・バ!!」」


 5回裏、8組の攻撃。

 0対1で1点ビハインドかつ2アウトランナー1塁の状況で打席に向かう俺に、ベンチのチームメイトから声援が飛ぶ。


 小学生の時に入っていたスポーツ少年団での試合を思い出して、懐かしさに胸が熱くなる。嬉しいし誇らしいんだけど、ちょっぴり恥ずかしさが勝ってしまって。

 俺もふざけて「無茶言うなってw」とでも笑ってしまえばいいんだけど、せっかく応援してくれているんだ。その期待に応えたい。


「任せとけ!」

「「ウオォォーーーー!!!」」


 想像していたより、俺のクラスはノリがいいらしい。

 気合を入れて打席に入ろうとした時――


「相波くん経験者だから打席逆だよなー!」


 セカンドの根治だ。さらに6組の数人が根治の指摘に乗っかった。


 いい加減「うるせー水差すなモヒカンにするぞツーブロック」と言い返してやろうかと思ったが、今回はむしろ都合がいい。

 俺は二度、左打ちで素振りをする。


 根治の要求通りに左打席に入って、癖でベースをバットでコンコン叩いていると、6組のキャッチャーが「すげえな」とつぶやいた。


「ありがとう……?」


「なんで微妙に疑問形なんだよ」


「何のこと言ってるのか分からなかったから」


「ハハ、たしかに。わり、邪魔した。また後で時間あったらその時話すわ」


 えー超嬉しいんですけどまさかモテ期来たか?と浮かれて緩む口元をむっと引き締めていると、「あとさ」とキャッチャー君は言葉を重ねた。


「ごめんな。たぶん、あいつ逆打席でも手加減しないわ。」


 視線をマウンドの五十嵐に向けて、その一挙手一投足を見逃さないよう固定した。


「全力でいいよ。ほんとは左バッターだから。」


 ***


「へっ、そうか。そんじゃお手並み拝見と行くか」


 左打席に入った相波を見て、ああ、なるほどな、と思った。

 バットの先でホームベースをこづいたり肩に寝かせたバットを立てて構えたりする動作の一つ一つが、中学の野球部で見てきた強打者たちと重なる。


 こいつは本気で打つ気だ。


 なぜこれまでの授業で力を隠していたんだろう。

 ソフトボールはやっていたのか。なぜ野球じゃなくて陸上に転向したんだろう。

 根治が茶化していたのが本当なら、なんでその陸上部を辞めたんだろう。


 風切り音を立てて糸を引くように伸びてくる五十嵐の豪速球がミット越しに手のひらを叩く。球速は今日一だ。


「ストライク」


「速ぇー……」


 思わずといった口ぶりで相波がこぼす。

 流石にこいつでも五十嵐の全力は打てないのか。何か起きるんじゃないかと期待していたぶん余計にがっかりした。


 でもまあ五十嵐が相手じゃ無理もないか。

 もう、ミットは適当に構えていていいだろう。コースなんて関係ない。球速だけでねじ伏せられるだろう。


 しかし続く2球目、相波はバットをきちんと振ってきた。

 ボール気味のストレートに相波のバットがかする。


「ッ!」


「すっげ」


 思わず声が出た。

 座っている分、目線を上げるようにして相波を見ると、ボールがバット先端に当たったようで、痺れた手をさすっていた。

 たしかに当たった。

 まぐれ……かもしれないし、そうではないかもしれない。

 時々いるんだよな。速球にめっぽう強い動体視力イカれたやつ。


 だが2ストライクに追い込んだ。

 バットにボールを当てたことには驚いたが、当てることと前に飛ばすこと、もっと言えばヒットを打つことの間には、参加賞と入賞くらいの大きな差がある。


 ランナーは1塁で、0ボール2ストライク。少なくとも3球はコースを気にせず力任せに投げ込める。圧倒的に有利な状況だ。


 3球目、外角にボール2、3個分外れてボール。


 4球目もオーソドックスにミットを外角に構えて待つ。


 よし来た外角ギリギリのナイスコース!体から遠い位置にこの球速のボールを投げられてしまったら手が出るはずはない。


 ボールがミットに収まって「ストライク、バッターアウト」をコールするすぐ先の未来を信じて疑っていないときだった。ボールとミットの間に予想外の銀色が割り込む。


 ギンッ!


「わっ!」「まじで打った!」


「嘘だろ!」

 弾かれたように打球の行方を見る。

 鈍い金属音はバットの芯――当たればよく飛ぶスイートスポット――から外れている証だ。

 詰まったにも関わらず、打球はサードが手を伸ばせば取れるくらいの高さを、サードが反応できないほどのスピードで、レフト線長打コースにかっ飛び――バットの先端でこすったような回転がかかっていたのだろう、ファウルゾーンに流れていった。


 五十嵐と相波の勝負が始まってからずっと続いていた緊迫が途切れて、フィールドで守備する6組もベンチで応援する8組も溜めていた息を吐いている。


 一塁に向かって走っていた相波が戻ってきたので、落ちていたバットを拾って渡した。


「あんがと」


 さっきまで俺と話していたときの、様子を伺っておどおどしていた軟弱さはもう消えていた。勝負に没頭しているヤツの目をしている。俺のことが意識から飛んで口調が砕けている。


 既に体育の授業のレベルを超えていた。

 男子はもちろん、グラウンドの奥でやっている女子もこの勝負を見ている。


 2ボール2ストライクからの6球目は、ベースの手前でボールがワンバウンドした。

 これでフルカウントだ。


 マウンドの五十嵐が腕で荒々しく汗を拭っている。

 バッターボックスで相波が肩にバットを乗っけている。


 例えばこの勝負を10回したら、そのうち8回はどこに投げても打ち取れる気がするし、残りの2回はどこに投げても打たれるような気がする。


 だから俺は今までよりもボール1個分真ん中に構えた。


 コースが少し甘くても、フォアボールにさえしなければ、根拠なんてないけどある程度打ち取れるような気がしたからだ。


 そして運命の6球目が投じられる。


 俺はストライクゾーンに入りさえすればいいと思った。


 でも五十嵐は勝負に行った。

 ストライクゾーンに入れることを重視して力をセーブした置き球なんて許さなかったし、外角にフォアボールになってもいいからと――ある意味守りの姿勢かもしれない――厳しい攻めもしなかった。

 ただ相波を力で捩じ伏せようと、持てる力のすべてを使って自分の最高に挑戦したんだ。


 外角に構えたミットを、慌てて内角に……更に内角に持っていく。

 全力で振り切られた腕から放たれたボールが、バッターに向かって飛んでいき――


 ***


 防衛反応の掛けた急ブレーキに振り落とされて、勝負に没頭していた意識が真っ白になった。


 ボールの当たった右肘から、ずむっ、と鈍い音が鳴る。

 肘を押さえて、地面にしゃがみ込んだ。


「ぐあッ!」


 勝負を懸けて五十嵐の剛速球に負けないように力いっぱい踏み込んでいた俺は、体に向かって飛んでくるボールへの対処が遅れてしまった。


「おい大丈夫か!誰かスプレー持ってこい!あ――」


「どれ、相波、当たったとこ見せてみろ」


 6組のキャッチャーの焦った声が聞こえたと思ったら、いつの間にか女子の方を見守っていた体育教師の上杉教官が近くに来ていた。


「押すぞ、痛かったら言えよ」


「ウッ!?」


「…………」


「だいじょうぶです。」


「……はぁ。」


 そこに、ベンチに居た大黒がサロンパスを持ってきて処置してくれた。

 アドレナリンがいい具合に抜けて興奮状態が落ち着くと、デッドボールが当たった場所が意外と痛くないことに気がついた。


「ったく、バカどもが。体育で熱くなるなとあれほど言っているだろう。これに懲りたら……」


「頼む、今日だけ、いやこの打席だけでいいから。お願いします先生。」


 上杉先生は「はぁ……わかった。でも次何かあったら即刻中止にするからな。」とだけ言い残して去っていった。


「本当に大丈夫かよ」


 サロンパスを持ったまま大黒が俺に聞く。


「おう、この通り。応急処置サンキュー」


 左手でデッドボールの当たった右肘をバシバシ叩いてみせると頷いてベンチに戻っていく。


「すまん、またせた。」


「いやいいけど……続けんのか?デッドボールは出塁とノーカン選べるけど」


「もちろん勝負で。五十嵐もいいよな?」


「ああ……でも手加減しねえから次は避けろよ?」


「お前こそピッチャー返しで怪我すんなよ」


 勝負の続行にグラウンドが沸き立った。


「勝負続けるんかーい」「しゃあこっち打って来ーい!」「行けー!」「抑えろ五十嵐ぃ!」「打てー相波ァ!」


 五十嵐がマウンドに戻る。俺は具合を確かめるように素振りをしてからバッターボックスに入る。五十嵐が投球モーションに入る。俺が足を上げる。


 7球目――


 これまでずっと無失点を貫いてきたんだ。いまさら自分から投げ出せないよな。

 理由は俺がくれてやるから、安心して終わらせようぜ。


 そしたらその後は、バカスカ打ち合う乱打戦をしよう。

 エラーもあって、走塁ミスもあってゲッツーなんて存在しない球遊びをしよう。

 俺とお前はホームランか三振かしかないフルスイングをしよう。


 甲高い金属音が鳴り、ボールが空高く飛んでいった。どよめきと歓声を受けて、遠く、高く、どこまでも――



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