その七 男色でもう一人の相手と交わるが

 さて前に述べたように巨悪と対峙する傍ら、余は介三郎の他にもう一人の男色の相手を見つけた。その者の名は安積覚兵衛という、出会ったとき歳は四十と聞くものの、見た目は三十よりもさらに下としか思えぬほどの色白でたおやかな男であった。むろん家臣のうち覚兵衛よりも若い美男はいたやも知れぬが、はじめから史局勤めのこの男を前にしたときの胸の高鳴りは見目がどうこうではなく、介三郎と同様に理屈を通り越して魂が運命を感じ取っていたように思える。そして予感は見事なまでに当たり、鎌をかけるまでもなく覚兵衛の方から近づいて来、互いに何をと言わずとも交わりあった。

 その時の情景を記すと、夜に覚兵衛が入るなり余は流れのまま押し倒して衣装を剥ぎ取り、月光に照らし出される白い身体をまず余すことなく愛撫した。続いて相手を求めに求めて猛り狂っていた逸物を覚兵衛の菊門に捻じ込み、思う存分に犯し尽くして腸に精を放ったのだ。

 この覚兵衛の尻というのがまたとない絶品で、交わりが初めてというのもあってか搾り取るように締め付けてきておって、なおかつ痛みもあろうというのに献身的に精を飲み込み受け止めてくれたのだ。さらに絶頂を迎えた覚兵衛が男とも女ともつかぬ細い声を上げて果てたとき余は生まれ変わって二度目の快楽を覚えたものだ、というのもこのときすでに男色の相手であった介三郎は攻めるばかりで受けが出来ず、余は攻める愉しみだけは未だ満たされていなかったからである。そこへ来て覚兵衛が現れたものだから、もうその日から狂ったように交わり続けた。

 しかし覚兵衛は介三郎とは反対に攻めは出来ぬときておって、同時の満足は叶わず実に歯痒い思いをした。そこで余は傍にいるどちらか一人とだけ交わるようにし、二人とも近くにあるときはなるべく偏りが出ぬよう、または史局の仕事にかこつけて遠国などへ使いに遣らせ、決して二人が余のもとで同時に出くわさぬよう心掛けたのだ。

 これには歴とした理由があり、以前から史局でも派閥が二つに分かれていたうえ、こともあろうに介三郎と覚兵衛は重役に就きながらそれぞれ別の派閥の先頭に立って相争っていたからである。そのため当然ながら介三郎との間柄も覚兵衛との間柄も外にはいっさい漏らさず、余は藩と史局の平穏を思えばこそ二人の動向に気を向けながら花咲く男色を満喫していた。ところがいつの間にか気の緩みが生じ、さらには旅で片方を遠ざけるというやり方が裏目に出たのであろう。ある夜に覚兵衛と交わろうと身体を重ねていたところ、誰も近寄れぬはずの部屋の扉が突如として開かれ介三郎が現れたではないか。このとき介三郎は本来であれば遠国へ古書の収集に出ているはずで、なればこそ覚兵衛と交わっていたのだが、道中が恙なく進み予定より早く役目を終え帰ってきたという。

 余は慌てふためきどうにか取り繕おうとするも時すでに遅く、甘美なる褥は瞬く間に凄まじい修羅場となった。前世で数多の戦を潜り抜け、この国でもまた艱難辛苦を乗り越えてきた英傑でさえかつて目にしたことのない争いであった。二人は激しく互いを罵り、その矛先も学問や余との間柄にまでありとあらゆるものに及び、言葉の至るところから憎悪と怨嗟が溶岩のように噴き出し、いつ絶えるとも知れぬもののように長く続いた。だが史局でも高位にある二人がさらに対立を深めれば、政もままならなくなり国を割ったかつての愚を再び繰り返してしまう。そこで余は喧嘩を作った原因でありながら、心苦しさを噛み締めつつ懸命に二人を宥めた。

 二人ははじめ各々の批判を止め、余に対し二股を掛けるとは何事かと非難した。しかし反論する由はある。そもそもこのような事態を招くに至ったのは介三郎は攻めるばかりで受けに回らず、逆に覚兵衛は受けるばかりで攻めに回らず余を寂しがらせた故であると堂々弁解してみせた。そして先頃成敗した綱吉ら悪党三人の間柄を思い出し、二人とも揃ってこの老公の男色のよしみであるのだから互いの異を攻撃し仲を違えるのではなく、それぞれの足らぬところを補い合って共に力を携えるべしと説いてみた。その証として三人でまぐわいを交わす、すなわち介三郎が余を掘り余が覚兵衛を掘る、また掘り掘られるの間柄が一致しているのだから、介三郎が覚兵衛を掘り三人揃って睦まじく交わろうではないかと強く諭してみたのである。

 すると二人ともまんざらではない様子で是非とも試みたい、ついては狭い屋敷の中で細々と落ち合うのではなく、どこか遠くで人目を憚らずに致したいと口を揃えて申し出たのだ。もうこれを聞いたときの余は胸躍らんばかりで、こうも濃密な快楽を得られる二人と、おそらく世にまたとないであろう三人での男色を味わえるかと思うと天にも昇る心地で、約定した出立の日が来るのを一日千秋の心で待ち望んだよ。

 だがその日は訪れなかった。出立を前にして介三郎が急病に倒れ、そのままあっけなく息絶えてしまったのだ。それからこうして覚書を記しているが、あのように愉しい日々は二度と来るまい。おそらく現世に留まるのもそう長くはなく、冷たい石の墓に入る日も近いことを覚りつつ、ここで筆を置くとしよう。


 気づくと、余は辺りに雲の立ち上る光の中にいた。今や七十余年にわたる地上の生も短かったか長かったか、また幕を閉じてどれほど経ったか、それさえしかとは分からぬ。しかし神の世界を追放されたはずであるのに、改めてまじまじと自らの姿を眺めてみると甲冑に剣を携え、三つ獅子スリー・ライオンズの紋章が縫いつけられた外套を羽織ったなりのままでいる。しかもなぜか目の前にあの審判の門の番人がいた。向こうも何やら覚えありげと見え、余は近づいて問うてみる。

「余は生まれ変わって後、徳川光圀としての生涯を終えたはず。何ゆえ再びここにいるのか」

「お前は遠くシーナの東に転生した。そこで奇しくもまた君主に生まれ落ち、今度は責を全うした。まあ完全とまでは言えないが、民の心をその手に掴み、名君とも呼ばれるようにはなった。これを全能の神もお喜びになり、お前さえ良ければ天国に迎えてやろうとの思し召しだ」

 今になって天上入りの申し入れとはどうしたことか。ただ番人の口振りが前と比べ幾分か柔らかいところからして間違いはなかろう。しかし答えはすぐさま決まり、口に出すか否か迷うまでもなく胸の内から声となって湧き出る。

「悪くない話だが、断らせてもらう」

「せっかくの機会だというのに。以前はひどくしょげていたが、七十年も地上に降りて心変わりしたというのか」

 番人は表情からして残念そうであったが、これが偽りのない余の心持ちであった。

「イエスの父なる全能の神は、なるほど素晴らしいかも知れぬ。しかし男色の趣が魂の髄まで浸みておる余には、ちとばかり相性が悪い。手を掛けさせてかたじけないが、また地上に降り立ってみたい。それに平穏安泰な天国の暮らしなど、どうも退屈そうに思えてな」

 ここから先は魂が天に昇る。形ばかり繕ったところで騙せはせぬし、だいいち潔くあるまい。決心の固さが伝わったらしく、番人はしばらくして頷く。

「そこまで言うなら強いて止めはしないが、行く前にひとつ教えてやろう。お前は死んでしばらく経ってから、水戸の中納言なる〝水戸黄門〟の呼び名を授かり、人々の間で語り継がれる。東洋のリチャードと言うよりは、正しくはリチャードがイングランドの、いやブリテンの水戸黄門と呼ばれるように、正体を隠して諸国を巡り民を助ける英雄となるのだ。そして多くの書物に記され、物語の中で未来永劫に生き続ける。私はそのお前をまた神の許から追いやるのが、心苦しく仕方がない。だから完全にあちらの世界へ旅立つ前に、いくらか望みが叶うよう口添えをしてやろうと思ってな」

「では、余の頼みを聞いてくれるか」

「私がどこまで出来るかは分からないが、話してみるがいい」

「余は晩年になって二人の男と交わりを重ね、三人連れだってこれからのときに愉しみを断たれてしまった。もし許されるというのなら、次はどこかで供ふたりを連れた、気ままな旅を叶えさせてはくれまいか」

 思えば余は君主として、前世で為し得ぬ多くを為し得た。放り投げていた政を直に執り、望みどおりの跡継ぎを据え、転生の本懐も果たした。だがまだまだやり残したことがある。結局は借金を綱條に背負わせてしまったし、蛮族狩りも野心半ばで潰えたままだ。何より夢にも想わなかった三人交えての男色の旅を、これからというときに挫かれたのが悔やまれる。適当に区切りを付けて現世に満足し、未だ手つかずの希望を諦めるのではなく、魂に刻まれた欲がさらなる愉しみを渇望している。もし次があるのであれば、いや志したからこそ是が非でも続きを願って止まぬ。

「望みはたったそれだけか」

「ああ、それだけだ。次にいつ、どこへ生まれ変わろうと構わぬ」

「では行け。天国行きを拒んで、なおここに留まり続ける用はあるまい」

 番人が手を払い終えるより早く、惑いなく首を縦に振る。するといつしか身体は二つに分かれ、片方がリチャードのまま遠くへ歩きだした。さらに余が纏っていた鎧は紫の羽織りへ、頭に被る兜は黄色の頭巾へ、腰に差した剣は木の杖へと変わる。外套は何処かに消え、縫いつけられていた三つ獅子スリー・ライオンズは三つ葉葵の紋章と化し懐の印籠へ乗り移った。両脇には介三郎と覚兵衛の、いや助、格と名を変えた供の姿も見える。さて次は、どんな愉しい旅になるのかのう。

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君主転生 新宮義騎 @jinguutakeru

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