その四 自ら領地に赴き政を行う

 かくして余は意気込んで藩主となったが、初っぱなから思わぬ決まりが横槍に入った。それというのも大半の諸侯は半年ほど江戸の屋敷に詰めれば、残り半年は領地に帰り直に政を執れるというものである。しかも例外は老中などの要職に就く宰相と水戸徳川家のみであって、むろん宰相はある程度の年月で替わるから、諸侯の中で常に江戸に貼り付かねばならぬのは水戸藩主だけということになる。余はあらかじめ藩主となればほとんどを江戸で過ごすものと聞かされていたせいで、他の諸侯たちも同じだと勝手に思い込んでおり、これを耳にしたときは少なからず気勢を挫かれた。なお単なる公子であった頃は田舎住まいを嫌い、江戸に留まれることを喜んでいた余の考えがこうも変わったのはやはり前世で君主としての務めが相当に不十分であったせいもある。

 というのも余がリチャードであった頃は戦に明け暮れ、政は家臣に任せきりで領国にいたのは一生涯で半年ばかりであったため、肝心の王がノルマン・フランス語しか喋れず、サクソン語を話す民と意を通じ合わせることも出来なんだ。今からすればジョンに陰謀を抱かせたのも国許を空けすぎたせいのように思えて仕方なく、せめて生まれ変わったからには領地に腰を落ち着けようとしたのである。然るに前世で為し得なかった責務を今度は果たせるかと思ったのに、定められた血筋のためにそれを妨げられるとは何とも皮肉な話ではないか。しかしまったく領地に戻れないのではなく、父の頼房がそうであったように届出をすれば多くの場合は認められるからまだ救いがあった。むろん他の諸侯より国許にいる間は短く、水戸と江戸の間も目と鼻の先と呼べるほど近くはないにせよ行くと行かぬとではまったく違う。

 よって余は原則としては江戸に留まるよう命じられながらも、出来る限り領国の水戸で政を執るよう努めた。おそらくこれが実際に幕府から認められ、途中で特に咎められもしなかったのは、多くの有能な家臣を得て多忙な中にも目立った失策はしなかった故であろう。特にこのときはもっとも信頼に値し、なおかつ頭角を現すこと目覚ましい、名を藤井紋太夫という一人の才子を取り立てたのが大きかった。

 さて多少なりとも当初の思惑と違ったとはいえ、ともかく余は領国を収めるため次々と事業を打ち出した。まず手を付けたのは水道の建設で、前世では古代の遺物が残骸として残るのみであったこともあり、江戸で目にしたときから是が非でも我が領地にと考えておった。前にも述べたように水戸はひどい湿地でありながら、かといって飲み水に不自由がないわけではなく、とりわけ城の東側は低地で井戸を掘っても悉く飲むには相応しくない水ばかりが汲み上がる始末であったのだ。

 そこで城からほど近い南の一点に湧泉を見出し、城下の東にかけて地下に管を通し水を引くよう命じた。むろんフランスはニームに残存していたように傍目から分かる水道橋までは造れなかったものの、完成したとき家臣や民からはこれこそ名君の為せる業と諸手を挙げてまで讃えられた。前世で武功を挙げるたびに誉めそやされたときも余は快さを覚えたが、政によって民の心を掴むのはまた格別であったと言えよう。

 なぜなら馬上槍試合トーナメントや戦で勝てば名は上がる一方で負けた方は財物や命を奪われてしまうのに対し、国を治めるのに成功すれば余も満足、民も満足となり不利益を被る者は誰一人としていないからである。まこと政とは君主が戦に明け暮れるなどして男色よろしく己ばかりが喜びを得るべきではなく、民草を慈しむなどして互いに喜びを与え合えるように慮らなければならぬと確信したよ。「政は男色でなく女色のようにあらなければならぬ」。これは余自ら口にしたあとで、民の上に立つ者ならば皆が心得なければならぬと思い家臣に書き留めさせた。もっとも当時のこの言い表しようが正しかったかどうかは、後で振り返ってみると甚だ疑問ではあったのだが。

 ともかく政の醍醐味を得た余は、それから次々と治世に乗り出した。城を囲む沼に堤を設けては民を労るべく柳を植えたりもしたし、貧しく医者の手も及ばぬ者のために食物の摂り方まで教えてやった。また家臣が失敗を犯したときも度が過ぎたときこそ容赦しないとはいえ、大抵は寛大な心を見せ再起の機会を与えてやり、あるときなどはいちど捕らえた小八兵衛なる盗賊を許し、手足として領国内外を問わず密偵に遣わしたりもした。

 だが後々まで強く憶えているのは、遠い北の島に船を遣わしたある試みであろう。そもそもの動機は余が前世でフランスと戦を交える傍ら、イングランド国内においてもジョンをはじめ身内の反乱、家臣同士の内紛にたびたび悩まされていたことにある。くわえて当時はブリテン島でもウェールズやスコットランドといった蛮族たちに囲まれ、奴らは良くて異端者であり、多くが全能の神ならぬドルイド宗教を奉ずる獣であったから、触れるもおぞましいあまり余をはじめ敬虔なイングランド人は平定する気にならなかったのだ。今からすればその傲慢な態度が、イングランドの弱体化を招き遂には大陸領土を喪失するという転落の道を招いたように思える。

 片や日の本は海を隔てて大陸にシーナがあるにも関わらず、攻めに出たことも攻められた試しも過去に数えるほどしかない代わり、八洲やしまの内ではとうの昔に熊襲や隼人らの夷狄いてきを屈服させておるではないか。学問の一環としてこの国の成り立ちを辿っていくうち、そのようなことが分かってきたのだ。

 しかしまったくの盤石とは言い切れぬ、というのも海を隔てた蝦夷地にウェールズやスコットランドと同様、王に従いきらぬ輩が未だ息をしておるからだ。現にこやつらはどうも前世で噂に伝え聞くラップ(サーミ)人に近いらしく、国を創れぬ烏合の衆のくせに我ら日の本の民へ幾度となく謀反を試み、徳川本家を王と戴いて後も松前藩の家臣や民を三百人も殺戮するに及ぶ明らかな反逆を起こしていた。寛大なる王は叛徒の首領シャクシャインを仕留めて鎮圧の手を緩めたが、幸先ひいては御国みこく四方よもを慮ると仕置の程が少々手ぬるい。

 そこで余はこの蝦夷えみしなる蛮族を平定せんがため、兵を率いて攻め込まんと決意して快風丸なる巨大な船まで拵えた。続いてリチャードの時のように自ら先陣を切って今なお叛意を抱く残党を血祭に上げるのみならず、見せしめとしてその一族郎党を根絶やしにしてやろうとしたが、この国の君主はよほどの理由がない限り江戸と領国以外に足を踏みいれることは許されぬ。数度ばかり理由を偽って斥候に出したもののそもそも思うように兵を集められず、現地の松前藩に本意を見破られたうえ力添えを乞うても腑抜け同然にも穏便に済ませたいと拒否され、結局は軍を繰り出せずに頓挫してしまった。もっとも幕府へは船の建造と出航を交易のためと届け出ており、松前藩も怯懦と誹られるのを恐れ余の野心を秘匿にしておったから他の誰からもお咎めはなかった。後世にもそのように、表向きの理由しか記されておらぬに違いない。

 まあ大軍をもって蝦夷を征伐するのは、他の諸侯の頭にさえなかったからうまくいかずとも仕方がなかろう。しかし余がリチャードであった頃ついぞ成し遂げられなかった蛮族ならぬ異教については、ほんの僅かの妥協もなしに全身全霊を傾け排除に乗り出した。これを語るには、まず前世とは大きく違う日の本の信仰について記さねばなるまい。古来よりこの火の本には神道なる教えがあり、神は何柱もおってその数なんと八百万と口を揃えて皆は言う。光国として生まれ変わって後はじめて耳にしたときは面喰らったものの、男色を嫌うという話はどの神についても聞かぬのでたちまち熱烈な信徒となった。言うまでもなく前世を牛耳っていた神は男色を禁じ、余に耐え難い苦痛を与えたばかりか天国入りも拒む糞ったれであったから、乗り換えるのに微塵の憂慮もなかった。

 ところが学者たちの申す分には、この教えに天竺からシーナを経て伝わった仏教なる異教が複雑に混じり、元々ある神道の形がいつの間にか歪められているというではないか。現に八百万やおよろずの神を祀る神社と仏を据え置く寺院が往々にして一つに纏められ、時には神官と坊主を一人の者が兼ねる場合さえあった。これはキリストの教えがサラセンの地で捻じ曲げられたのと極めて似ており、余は気づいた瞬間にかつての異教徒狩りの血が滾ってな。どうにかして正しい教えを取り戻そうと決意した。

 ただサラセンの地やイベリア半島のように異教がはっきり異教と認識され、もしくは別途の信者を得ているのではなく、ここでは知らず知らずの内に民も受け入れているのが厄介であった。もし相容れぬ異教徒であれば十字軍のときのように皆殺しにすれば済むところを、領民が感化されているゆえそうもいかぬ。そこで余は手始めに互いに混同されている神社と寺を別々に分け、さらに坊主どもが聖職にかこつけ碌に役目を果たさぬのに目をつけ脅し、反論の余地がないよう特にけしからぬ寺を選り抜いて潰してやった。その数は実に七百を超え領内の四割強、元の土地は残らず分捕り目出度く藩のものとしたのだ。

 これらを含め諸々の手を以て領国を治めると、多少なりとも奇異の目で見る輩はいながら、政の手腕が果ては遠国にまで響き渡った。余は前世では戦場で獅子心王と恐れられたが、生まれ変わっては名君と称せられるようになったのである。ただそれは嬉しくもあり悔しくもあった。なぜなら生まれ変わってこれだけ国を治められるのだから、もし前世でも戦に明け暮れることなくイングランドを治めていれば評判はまた違ったであろうからである。しかしもはや日の本のいち諸侯である以上は現在の領地を豊かにし、家臣と民を安らかに従えるのに専念すべく政に精を出し続けた。

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