その三 前世を偲んで反省する

 ところがそうした快楽の日々も、長くは続かなかった。はじめは三日と置かず陰間茶屋へ通ってはましらの如く腰を振っていたが、ものが勃たぬほどではないにせよ次第に飽いて悦びも薄れていったのだ。今にして思えば、まず堂々と男と交わるのがまずかったのであろう。リチャードの頃は人目を忍んでまぐわい、フィリップへも想いを焦がすだけで胸が満たされたように禁じられるが故の嬉しさもあったのだ。また何より陰間茶屋というのも余を萎えさせたに違いなく、相手は稚児といっても初めから男に尻を差し出すのを商いとする男娼であり、よって心の交わりなどなくただ身体を開いてくるのみ。これでは熱が冷めるのも当たり前で、途端に白け大枚をはたいて通うのさえ面倒になった。

 もうこうなると何の愉しみも見いだせず、一転して魂から生気が奪い去られてしまう。せっかく男色のために神の世界を捨てたというのに、これでは生まれ変わった甲斐がないではないか。かといって自害する気にはなれず、どうしても湧き上がる血の滾りを抑えるには当て付けとばかり女色に奔るしかない。幸か不幸か美男に生まれついたおかげで女どもも挙って余に身を差し出して来、たびたび遊郭に通っては絹のような肌をまさぐり世の無情を忘れようとした。

 それでも虚しさは埋まらず、風狂と喧嘩に明け暮れた。あるときは派手に着飾り人目を引きつけ、道端の小屋で行われる相撲、ギリシア式にいえばレスリングのような闘技に加わり、相手を地面に叩きつけ憂さを晴らしたりもした。またあるときは編笠で顔を隠して酔漢の前に立ち、というのもそいつは水戸藩邸に出入りしている旗本の子息であったのだが、抜き身を突き出してくるや笠を取り、愚か者、余の顔を見忘れたかと正体を明かして跪かせたりもした。さらにはこの国で用いられる片刃の剣の大変な斬れ味の鋭さに、前世でかの円卓の騎士に憧れ自らの愛剣をエクスカリバーと称したのを思い出し、一度きりではあったものの路上で生きた人間を相手に刀の試し切りまでした。

 むろんこれらの行状は瞬く間に家臣の耳に入り、若さまお改め下さいませとか、嘆かわしゅうございまするなどとみな口々に諫めてきた。しかし誰も胸の内の苦しみを掬おうともせず、表向きの行いばかりを咎めてくるため従う気など毛頭なかった。おまけに業を煮やした父までもがわざわざ旅行に連れ出し説教を垂れはじめたが、そもそも余がこうした格好、振る舞いに出たのは徳川頼房なる良き先例があったからで、その真似をしたのも件の派手な衣装がきっかけであったのだ。何より父自らもかつて同じような傾奇者であった揺るぎない事実を掴んでいたゆえ、いくら声を荒げられようともまったく屁の河童であり、むしろ右から左に受け流した後でそのことを淡々と穿り返してやるとだんまり口を噤んでしまった。旅から帰る道すがらも余の顔を見ようともせず、ひどくばつの悪そうにしておったよ。

 父を完膚なきまで言い負かした余に口でも敵う者はなく、しばらく好き放題に振る舞い続けたがそれも十八歳で終わる。イングランドやフランスで貴族の子弟がギリシアの古典を学ぶように、ここ日の本でも武士はシーナの古典を学ぶ。余も習慣としてそれらに触れるうち、あるとき一つの物語に出くわしたからだ。その話の大筋は次の通りだ。

 昔むかしシーナにある貴族の兄弟がおり、父は跡目を兄にと定めていた。そうとは知らぬ兄は父の亡き後に弟に位を譲り国を出たが、弟も本来は位を継ぐのは兄だからと後を追うように国を出たという。

 もうこれを読んだときは目から鱗が出る思いであり、生まれ変わって初めて深く反省したのは今でもよく憶えている。なぜなら実は余には頼重なる兄がおって、こいつが品行方正と世間でも専らの評判を受け、水戸徳川家の跡目は一応かの傾奇者になっているけれども、やはりこの兄の方を後の藩主に据えるべきではないかとの声が上がっていた。何より省みれば頼重と余は前世の余とジョンの間柄と瓜二つであり、このままでは愚弟が賢兄を差し置いて国を治める結果となってしまう。すなわち今では愚弟である余が、賢兄リチャードの死をよいことにイングランドを貶めたジョンの二の撤を踏む羽目になってしまう。くわえて前世の余は男色のために甥を跡目に就けようとしただけであるが、古代シーナの兄弟は道義のために自ら進んで君主の位から身を退いたというではないか。

 かといって父は幼少の砌に見せた力を未だに非凡としているらしく、今さら何を言おうとも跡目は動かぬようであった。しかし余も人の手を煩わせなかった兄を差し置き、次なる藩主に選ばれるがままで何もせずにいるのは忍びない。そこでまたリチャードであった頃を思い出し、甥のアーサーを王位に就けられなかった代わりに、せめて今生ばかりは兄の子を余の跡目にしようと決めた。つまり余が次の君主となるのは避けられぬけれども、その次を誰にするかは変えられる。そうして後を継げぬ兄の頼重へのせめてもの償いにしようと決心したのだ。むろんそれには余の指図は尤もであると家臣に納得させねばならぬから、己を厳しく律して傍若無人の振る舞いを止め、公子に相応しい言動を取るよう努めることにした。

 そのためにまず手をつけたのが学問であった。折しもこの国では平和が続き、しばらく戦が起こる見込みはなく、弓馬の心得こそ必要とはいえ力が第一ではなくなりつつあった。かような世の流れに逆らい、喧嘩に明け暮れ学問を蔑ろにしては家臣の信は得られまい。前世ではかつてギリシアの科学やローマの技術が打ち棄てられ、アレキサンダー大王やカエサルの詳細な業績が後世に伝えられなかったのを残念に思っていたところもあった。

 さらに君主となって一層に学問を広めようと決意したのは、多くの者の耳目に残るある大事件に遭ったのも大きかったろう。江戸に留まっていたとき途轍もない大火事が起こり、街はおろか城までも焼け多くの民が命を落とした。前にも述べたが日の本では家々の多くが木で造られており、ましてやそれらが所狭しと並ぶ江戸の都であれば尚更で、一向に消えぬ火の燃えさかりようたるやかの暴君ネロが竪琴を弾いたローマの大火もかくやという有様であった。同時に幕府の書庫に収められていた歴史書一万冊ももろともに灰燼と化してしまい、学問に目覚めてよりかねてから親交を深め、また教えを請うていたあの羅山が悲しみのあまり程なくして命を落としてしまったのだ。

 余はこれを契機にいっそう学問の道を歩まんと、とりわけ羅山が力を傾けていた史料の収集と編纂に励むべく、藩主となった暁には自らその事業を行う史局を江戸小石川の藩邸に開くこととした。実に齢も三十に達し、シーナの学問式に言えばちょうど立志の時に当たる歳であった。


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