(6)ー①

「美咲は隣のクラスの子でした。きれいな子だったから、名前は私も知っていました。勉強も運動もできないわけじゃないけど、飛びぬけていいわけでもなかった。たぶん、できるんだけど、わざと普通に振舞っていた感じだったんだと思います。積極的に友達を作るでもなく、教室の端のほうで文庫本を読んでいる根暗なタイプの子というのが、私が知っている曽布川美咲の印象です。そういう子ならどこにだっているって思いますよね。でもなんていうか、あの子の場合はちょっと普通と違ったそうです。


最初は端っこで盗み見ているんです。それが一歩ずつ近づいてくる。じわじわ間を詰めてくる感じが気持ち悪かったと言っていました。だけどそうなると、今度は気になって仕方なくなるらしいんです。『入りたいの?』って聞けば、こくんと素直にうなずく。そんなときの顔は小さな動物みたいにかわいかったんだそうです。


あの子は輪に入るとすぐに打ち解けました。とにかく、些細なことでも彼女は褒めるんです。気分がよくなるようなことをさらっと口にする。そりゃそうです。たくさん観察していたから、相手の癖や嗜好もよく知っている。そうやって仲間の信頼を勝ち取ると、今度は輪の中心になるために少しずつ周りを侵食していくんです。


まず、ちょっとしたものをほしがるようになりました。消しゴムとか、鉛筆とか。そんなに高価なものじゃなくって、手ごろなもの。だから『まあ、いいか。新しく買えばいいし』って、ついついなんでもあげちゃって。そうすると、すごく喜ぶんだそうです。それこそ、泣いて喜んで見せて。あげた側もそんなに喜ばれたら、めちゃくちゃ気分がよくなって『いつでも言ってね』なんて返しちゃう。


でも、それこそが彼女の狙いだったんです。次に彼女は小出しにおねだりしながら、髪型や口調を真似ていきました。そうなってやっと真似されたほうは異常に気づきはじめるんです。でも気づいたときには手遅れになっている。それこそ最初のうちは自分のことを好きだから、憧れているからなんでも真似したがるんだろうな、かわいいなと好意的に捉えますよ。でも、あまりにも自分そっくりになっていったら? 恐怖心を抱くようになりますよね。そういう不安を仲間に打ち明けたら、逆に『なんでそんなひどいことを言うんだ。やっぱりあの子をいじめているというのは本当なんだ』って責められる。気づいたときには仲間のすべてが美咲の側についてしまっていたんです」


 麦田くるみは勢いよく話すと、手にしたワイングラスをぐっと傾けた。血のように濃い赤い液体がくるみの中へと流れ込んでいくのを、道子は真向かいからじっと見つめた。


 午後九時半である。仕事が終わって帰ろうかというところで知らない番号から連絡が入った。まさかと思って出てみたら、やはりくるみで、これから会えないかと誘われた。今のところは急になにか起こるような患者はいない。仮にあったとしても、連絡はすぐ入る。自分が産婦人科医であり、開業医であることを伝えた上で、途中で抜ける可能性があることも正直に伝えた。くるみはそれでも構わないと言う。もちろん、道子自身もくるみに早く話が聞きたくてしかたなかった。思っていたよりも早く連絡をくれたことに安堵もしたくらいだ。すぐに待ち合わせのバーへ向かった。


 バーは自宅の帰り道の途中にあった。聞けば、くるみの家はそこから目と鼻の先にあるらしい。仕事帰りで一杯やりたいときに寄るそうだが、若い女性が来そうな明るい雰囲気の場所ではなかった。ジャズが流れる店内を見ても、人はまばらである。近所で酒が飲める店を探したときにたまたま見つけたのが、このバーだったらしい。人生の酸いも甘いも知り尽くしたような老齢な白髪のバーテンダーがカウンターの向こうでゆったりとシェイカーを振っている。


 道子はノンアルコールカクテルのグラスに口をつけた。ブルーハワイシロップの鮮やかな青色のグラデーションに、ライムの香りと酸味が効いたカクテルはさっぱりとしていて、疲れた体にしみるようだった。


「さっきから聞いていると、あなたの話じゃなくて、誰かから聞いた話のように聞こえるんだけど? これはあなたの話ではないの?」

「はい。おっしゃるとおり、これは私が彼女の被害にあった子から聞いた話です。私の……幼馴染……いえ、親友でした。彼女は美咲のせいで死んだんです」


 そう語るくるみの眉間に昼間見たときと同様の深いしわができた。彼女はワインで口を湿らせると、ふうっとひとつ息を吐きだした。それから手帳を開くと、古ぼけた一枚の写真を取り出して道子の前に置いた。中学生くらいの女の子がふたり、笑顔で並んでいる。


「名前を瀬川美月と言いました。こっちの、右側の子です。明るくて、面白くて、やさしくて。オシャレでスタイルがよくて、そのうえ頭もよかった。誰もが彼女に憧れていましたし、私の自慢の幼馴染でした。クラスが別々でも、ときどきは一緒に学校へ行ったり、お互いの家に行って勉強の教え合いなんかもしてたり。美月は本当にクラスの中心人物で、彼女のことが嫌いな子はいなかったと思います。


彼女はみんなに『みっちゃん』って呼ばれていました。そんなみっちゃんが突然死んでしまった。ハッキリ言って、信じられませんでした。でも、彼女の机にはお花の活けた花瓶が置いてある。ああ、みっちゃんは本当に死んでしまったんだって……そうやって誰もいなくなった放課後の教室で、私はひとり悲しんでいたんです。そこへ美咲が来ました。


私の間をすり抜けて、みっちゃんの席に座ったんです、あの子。『なにするの。そこはみっちゃんの席よ』って言ったら、あの子はなんて答えたと思います? 『だから座ってるのよ』って。それからこう付け加えたんです。『私がみっちゃんなんだもの』って笑うんです。それも私がよく知るみっちゃんと同じ笑い方で。美咲はそれからみっちゃんのように振舞いました。みっちゃんからもらった物で固めて、笑い方も話し方もそっくりそのままで。前のように教室の端で文庫本は読まなくなりました。私は怖くてたまらなくなりました。先生に『あの子は頭がおかしい。なんとかして』って言いました。


だけど先生たちは喜んだんです。きっと美咲もさみしいんだ。落胆するみんなをあの子なりになぐさめようとしているんだって。瀬川のおかげで美咲は明るくていい子になった。瀬川には感謝しなくちゃなって。私はみっちゃんが死んだのはぜんぶ美咲のせいだって食い下がりました。でも取り合ってもらえなかった。それもこれも、美咲が先手を打って、大人たちを懐柔していたからです」

「その……瀬川美月さんはどうやって亡くなったの?」

「交通事故です。自殺だって言われています。寒い冬の夜でした。たしかにみっちゃんは美咲のせいで擦り減っていました。あんなに人気者だった彼女がクラスで孤立もしていたし。だけど自殺なんてするはずないんです。彼女は私に『美咲と戦う。絶対に負けない』って言っていたくらいなんだから。なのに走ってくる車の前に飛び出したなんて……みっちゃんを避けようとした車が避けきれずに跳ねたんです。そのまま自動車のほうも電柱に突っ込んで、運転手は即死。だからみっちゃんの死の真相は誰にもわかりません。だけど……」

「だけど?」

「私は、みっちゃんを殺したのは美咲じゃないかって思ってます」


 道子は息を飲んだ。ひとりの少女が落日後の薄暗い道を歩いている。その背後を闇に紛れるようにして歩く萌。後方から車が走ってくる。『ああ、今しかない』と萌が少女へと駆け寄る。足音を聞きつけた少女が振り返る。その少女の背を萌は思いきり道路へ向かって突き飛ばした。鳴り響くクラクション。タイヤがアスファルトをこすり、キュルルルとブレーキ音を轟かせる。少女の絶叫とともに投げ出される躰。コントロールを失った車は電信柱へぶつかって、フロントガラスが粉々に砕け散った。オレンジ色に明滅するウィンカーの光の中、笑顔の萌の顔が浮かび上がる――ぞわりと背中が寒くなった。道子は気持ちを落ち着かせるためにカクテルをひと口煽ってから「どうして?」と尋ねた。


「証拠はあるの?」

「いいえ、証拠はありません。でも、私なりに根拠は持っているつもりです」

「根拠?」


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