(4)
食事を済ませると早々に、道子は「今日は戻る」と切り出した。萌は「午後の診察時間までまだ間があるのに」と唇を尖らせて引き留めようとしたが「疲れているから少し休みたい」と伝えると、仕方ないというようにしぶしぶ了承した。
萌が先に席を立つ。道子は伝票を手にして、そのあとについた。一番手前のテーブル席にはまだ女性グループは座っていて、食後のデザートを堪能している様子だった。そんな彼女らの席を通り過ぎようとしたとき、不意に「美咲?」という声があがった。ひとりの女性が立ち上がって、通り過ぎようとする萌の腕を掴んだ。さきほど道子と目が合ったときにスプーンを落とした面長の彼女だ。
「あなた
「知りません。人違いです」
萌は冷たく言い放った。腕を掴む女性を嫌なものを見るようににらみつけている。それでも女性は手を離そうとせず「そんなことない。間違えるはずないもの」と食らいついた。
「放してっ。知らないったら」
萌が腕を思いきり振り払う。その反動で躰が大きく揺らいだ。道子はとっさに手を出して、萌を支える。
「大丈夫?」
お腹を打ったら大変なことになるところだった。そのことに麦田くるみと名乗った女性も気づいたのだろう。蒼白な顔をしてうなだれている。
「ごめんなさいね」
と、道子は女性グループに小さく会釈して、レジへ進んだ。萌はすでに店の外にいる。急いで支払いを済ませると、タクシーを拾った。萌はいつになく無口のままだ、タクシーの扉が閉まっても、いつものように屈託のない笑顔で「またね」とは言わなかった。
萌の乗ったタクシーを見送り、道子もまたクリニックへ戻ろうとしたとき「あの」と遠慮がちに呼びとめられた。振り返ると、立っていたのは麦田くるみだった。
「失礼ですけど。あの子とはどういうご関係ですか?」
道子はどう言ったものか首を傾げた。今の萌と道子の関係は主治医と患者である。ただ過去まで遡ると、もう少し複雑だった。逡巡したものの、やはり「主治医です」と答えた。
「ご家族……では、本当にないんですよね?」
念押しするようにくるみは問う。道子は「まったくの他人ですよ」とハッキリと答えた。すると、くるみは安堵とも憂慮ともつかないため息を吐いた。
「そうですか。あの……彼女は今、なんと名乗っているんでしょうか?」
「金沢萌と言います。たぶん、あなたのお知り合いの方とは別人だと思いますよ」
しかし、くるみは頑として首を横に振った。そんなはずはないと言う。
「彼女は美咲です。絶対に美咲なんです。だって美咲じゃなかったら……」
くるみは苦しそうにのど元を抑えた。苦渋の表情のまま道子を見上げ、くるみは続けた。
「あなたをそっくりそのまま盗むようなこと、するはずないもの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます