第12話 宣言

「成りそこないって、一体––––––」

「––––––あり………えん………っ!」


 慶次の言葉を遮ったのは、いつの間にか気を取り戻した蜂の怪神。


「それではあのひとは、あのひとは何故ッ––––––何故殺されたのだっ!神の力も持たぬただの人間にィッ!」


 その慟哭混じりの絶叫に、ようやく慶次は得心がいった。

 蜂の怪神に向けられた、この濃密な殺意の塊の、その理由。

 その憎しみと後悔に満ちた。血涙の伝う横顔の理由。


 これは、大切な存在を奪われた者の反応だ。


 あのトンボの怪人––––––リヴェリウスが、この蜂の怪神にとってどのような存在であったのかなど、慶次には分からない。

 家族か、友人か、恋人か、はたまたそれ以上の何かか。

 しかし、この蜂の怪神にとっては––––––この女にとっては。

 きっと、何よりも代え難い誰かであったことは分かる。

 残された者の悔恨は、その嘆きは、きっと誰よりも。


「………フム」


 蜂の怪神の絶叫に、大猿は鼻から煙を吐きながら、視線で金髪妖精達にその答えを促す。

 視線を向けられた二人組は顔を見合って––––––底意地の悪い笑みを浮かべた。

 そして二人は、互いに拳をぶつけ合う。


「「––––––殴り合って」」


 一拍。

 場に生まれる、静寂。

 そして次に訪れたのは––––––。


『ハ––––––ハハハハハハハハハハッ!!』


 栓を切ったような、嘲笑であった。

 弾けるような笑い声は、地を揺らし、木々の枝枝を震わせる。


「殴り合って?殴り合ってだとっ?」

「クック、冗談モ休ミ休ミ言ワヌカ」

「いかように殴り殺すと言うのだ。名を失ったといえど、この森の神を」

「そもそもあ奴の主戦場は空であろう。何故わざわざ人間如きと殴り合うのだ」


 口々に嘲笑を隠そうともしない霧の森の神々は、未だ腰を抜かしてへたり込んだままの慶次に、思い思いの視線を投じる。

 その滑稽な姿を嗤う者、惨めな表情にそそられる者、哀れみを向ける者、無関心を貫く者、値踏みする者、憎悪を向ける者––––––そして、見定める者。

 

「ヴォルテス」


 大猿にそう名を呼ばれ、金髪エルフは顔をそちらに向ける。

 大猿は慶次に向けた瞳を細め、瞳の紫色を深めて命じる。


「––––––ヤレ」

「御意に」


 大猿の言葉に、金髪エルフは短くそう頷き––––––姿を消した。


「チッ––––––」

「………っ!」


 金髪妖精とバンダナの青年は、咄嗟に手印を結び剣を構える。

 しかしその二人の背中を眺める慶次の視界は、一瞬にして己の頭に対し振り抜かれんとする、金髪エルフのブーツで埋まった

 そして––––––、


 慶次は首から上を、吹き飛ばされた。


◆◇◆◇◆◇


 蹴り飛ばされた人間の体は空中をバク宙するように一回転し、そのまま遥か後方の大樹の根を高速でへし折り、止まる。

 折れた木々からは粉塵が舞い上がり、砕け散った樹の欠片がパラパラと周囲に落ちた。


「……残念、まだ引き出せる情報もあっただろうに」


 金髪エルフ––––––ヴォルテスの蹴撃を察知し横に避けていた包帯女––––––ビブリアは、肩を竦めて口惜しそうに言った。

 そして怪訝に眉を顰めて、それを命じた己が王に顔を向ける。

 

「随分性急ではないか、父上。あのような人間如き、殺すまでもなかったのではないかの?」

「………」

「父上?」


 王はビブリアの言葉に答えることなく、葉巻の如く木の枝を咥えたまま、人間の飛ばされた粉塵立ち込める樹のその先に、視線を飛ばす。


「クソッ、くたばったか?」

「いや––––––」


 エイギスはヴォルテスを止められなかったことに歯噛みしながらも、吹き飛ばされた人間の元に駆け寄ろうとして––––––アルゲンがそれを止める。

 アルゲンは粉塵にて姿の見えなくなった人間ではなく、その人間を蹴飛ばした張本人である、ヴォルテスに視線を向けた。

 その怪訝な横顔に向けられた笑みにも気が付かず、ヴォルテスはじっと、蹴り飛ばされた人間の方を睨みつけていた。


 蹴り飛ばした爪先にあるべき手応えが、ない。


 全力など、当然出してなどいない。

 しかし、確実に人間一人、命一つ刈り取るだけの力を込めた。

 そのつもりで蹴った。

 けれど金髪エルフの足には、命を刈り取った重みが、なかった。


「まさか––––––」

「フン。間違ッテイルヨウダゾ、ビブリア」

「………?」


 眉を寄せながら、王はビブリアにそう告げる。

 その目は全てを見通すように細められ、残るその結果に、王は口の端を歪めた。


「代行者トシテ成リソコナッタトハイエ、英雄ハ英雄カ」


 粉塵が、晴れる。

 そしてそこにあったものとは––––––両腕に燃え盛る炎の如き光を纏い立ち上がらんとする、人間の姿だった。


「こやつまだ生きておるぞっ」

「なんだとっ?そんな馬鹿なっ!」


 周囲の神々が口々に驚愕の声を上げ、同時に、その人間に向けられる視線に殺気が篭る。

 全力でないとはいえ、神の一撃––––––それを喰らって尚生きている得体の知れない存在に、初めて神々は警戒の色を強めた。

 

 しかしアイザワケイジは立ち上がる。

 鼻と口から滝のような血を流しながら。

 ヴォルテスの蹴りを受け止めた両腕がズタボロにへし折れ、千切れかけようと。

 全身に、先ほどまでとは比べ物にならない殺気の雨を浴びながら。

 烈火の如く燃え盛る瞳に、それ以上の殺意を浮かべて。


 ––––––なんだ。


 なんだ、こいつは。

 ただ怯えていただけの、人間じゃあないのか。

 なのになんだ。

 何故立ち上がろうとしているんだ、こいつは––––––。


 ヴォルテスは、瀕死の重傷を負いながら尚も立ち上がって拳を構えんとする人間に、どろりとした、言い知れぬ怨念のようなものを感じとった。

 が。


「ガハッ––––––」


 盛大に吐血すると、両腕に纏っていた炎が霧散し、その人間は膝をついて倒れ込む。

 ふっと、その瞳から烈火の如き光が消え、その人間は全身に走る激痛で、声にならない悲鳴に歯を食いしばる。


「………ッ」


 その隙に、ヴォルテスが反射的に手袋を外そうとしたところで、王がその先を制す。


「モウヨイ、ヴォルテス」

「––––––!」

「ナルホド、リヴェリウスト殴リ合ッタト言ウノモ、アナガチ間違イデハナイヨウダナ」


 王は独りごちるように呟き、ソレデ––––––と。

 ぎょろりと、眼球だけを眼下のアルゲン達に向けて問う。


「ソレヲ使ッテ、貴様ラハ何ヲスルツモリダ?」


 ソレ––––––と、エイギスに頭から回復用の神水をかけられている人間を示す王に、アルゲンはその瞳を見返す。全てを見通すようなその瞳は、そのようなことを尋ねるまでもなく、アルゲン達の目的などわかりきっているだろう。

 だが敢えてそれを問うと言うことは、改めてこちらの口からそれを言わせようとしているのだ、この王は。

 それを理解して、アルゲンは周囲の神々を見渡し、顔に刻んだ笑みを深めた。


 ––––––ようやくだ。

 ––––––ようやく、約束を果たす時が来たぞ、お前達。


 あの日果たせなかった誓いを。

 一瞬、アルゲンが瞑目し瞼の裏に思い浮かべたのは、数多の背中。

 されど、感傷に思いを馳せたのは、その一瞬のみ。

 再び開けた眼に宿った眼光は、燃え盛る炎の如く、王へと向けられる。

 

 ––––––今ようやく、全てのピースが揃った。


「聞け!霧の森の神々よッ」


 故に、アルゲンは声を張り上げ、宣言する。


「そうだ。名を失い、神格を失った神といえど、こいつはこの森の神相手に戦い、そして勝ち残った!」


 神々のざわめきに、木々の葉が呼応するように揺れた。


「よって俺はここにっ、この人間を俺様––––––霧の森の王『魔猿』アンティクスが末子、アルゲン・ミスティアの名の元に戦士と認めっ!来る神月、神前試合への出場を推薦するが如何かっ!」


 その言葉に、その宣言に、その問いに。

 神々は殺気立ち、総毛立つ。

 瞬間、周囲の空気が凍りつき––––––事実木々には霜が張り、一切の光の絶えた闇が現れる。

 闇の中で数百の紫色の眼光のみが、怪しくアルゲンに向けられる。

 一際強く輝く眼光が、アルゲンを射るように細められる。

 王の睨め付けるような、それでいて煽るかの如く細められた視線に、アルゲンは笑みを深め––––––殺意を深め、無言で視線を返した。

 その様が可笑しくて仕方ないように、王は「ナルホド、ナルホド」と、篭ったような笑い声を上げながら、アルゲンの無言の殺気に言葉を返す。


「神前試合ニ勝チ残ッタ戦士ハアラユル願望ガ叶エラレ、ソノ戦士ヲ推薦シタ神ニハアル権利ガ与エラレル、カ」


 王は––––––霧の森の神々を束ねる『魔猿』アンティクスはそう言うと、闇の中に浮かんだ紫色の瞳の下に、真っ赤に裂けた口から牙を覗かせた。

 確認するように、反芻するように。

 アンティクスは、己が子に問う。


「ソレデ?最早問ウマデモナイガ、改メテ問ウテヤロウ––––––ソレヲ使ッテ、貴様ラハ何ヲスルツモリダ?」


 ––––––答エテミヨ。我ガ終(ツイ)ノ息子ヨ。

 笑みを消して、アンティクスはそう言った。

 その凍つくかの如き視線を受けて、アルゲンは己ですら気が付かない冷や汗を頬から垂らしつつも、その問いに真っ向から答える。


「戦士が神前試合を勝ち抜いた場合、その戦士を推薦した神に与えられる権利––––––それこそは、王位への挑戦権﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅


 言えば最早退くことは出来ない。

 だが、退く気など毛頭ありはしない。

 十二年前の、あの時から。

 生唾を飲み込んで、頬から垂れる冷や汗を舌で舐め取って、アルゲンは口にした。


「––––––俺様は、王位を賭けてお前に戦いを挑む。霧の森の王よっ」

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