第11話 成りそこない


「問オウ、人間ヨ––––––代行者デアル貴様ガ、何故コノ森ニイル?」

 

 そう問われて慶次は、その場にへたり込むように尻餅をついた。

 巨大な猿が喋った––––––その事実を飲み込めずに、ではない。


 眼。

 大猿のその眼だ。

 睨め付けているのでもなく、値ふみするのでもなく。

 ただ小石でも眺めているような、そんな何気ない視線を向けられた。ただのそれだけで、慶次の肉体は居竦んで腰を抜かしてしまったのだと、ようやく自覚する。

 

 それは蛇に睨まれた蛙のように––––––圧倒的上位の存在を前にした時の、己が圧倒的弱者であるということを理解させられた時の、そんな屈服感。


「王が貴様に問うておるのだ、答えよ。人間」


 厳かで、偽ることを決して許さない金髪エルフの言葉に、慶次はゴクリと唾を飲み込んだ。

 そして答えようと口を開いて、慶次は呼吸を忘れていたことに気がつく。

 まずい、早く答えなければ。

 と、そう思うほどに舌が絡み、息が上がる。


「––––––だ、だっ……代行者ってのは……」

 

 どうにかこうにか捻り出した言葉は、自分でも驚くほどつかえて声が裏返る。

 しかし大猿はさして気にした素振りもなく、怪訝そうに顔を傾げて慶次の目の前の二人組に視線を落とす。


「ウン?ナンダ、ソンナコトモ説明シテオランカッタノカ、オ前達」

「ヘッ、生憎とそんな時間も無かったんでな」

「………フン。代行者トハナニカ、カ」


 大猿はそう呟くと、のっそりと怠慢な動きで長い腕を伸ばすと、手近にあった木の枝をパキリ、と手折る。手折った小枝––––––慶次にすれば丸太––––––をパキパキと手頃なサイズに折ると、大猿はその枝を口に咥え、一つ指を弾くと枝の先に火が付く。

 火の付いた枝を大きく大猿は吸うと、口から大量の煙を吐き出した。

 視界を真っ白な煙が覆い尽くし、独特なその香りに慶次はむせ込む。


 すると、大猿は滔々と話し始めた。


「コノ世界デハ百年ニ一度、世界ノ覇権ヲ巡ル戦争ガ起コル。神ヲ自称スル愚カ者ドモト、運命ノ神トノ間デ行ワレル戦争ダ」


 不思議なことに、大猿が言葉を紡ぐ度、大猿の吐き出した白い煙は慶次の周りで、まるで立体映像のように形を変える。

 今は煙の中に二つの陣営が剣や槍を携え対立し、そして煙は再び形を変え、剣を掲げた一人の人間の姿になる。

 それはまるで、煙の織りなす人形劇の如き光景だった。


「戦争ニハ神ノ力ノ代行トナル二ツノ世界ノ英雄ガ参加シ、最後マデ勝チ残ッタ英雄ニハ何デモ一ツ、ソノ願イガ叶ウ権利ガ与エラレ、ソノ英雄ニ力ヲ与エタ神ニハコノ世界ガ与エラレル––––––ソレガ、代行戦争ヨ」


 言い終えると同時、慶次の周りで形を変えていた煙は霧散し、視界が明けると目の前に火の付いた木の枝が突きつけられていた。


「ひっ––––––」

「貴様ハソノ運命ノ神ガ呼ビ出シタ異世界ノ英雄––––––運命ノ神ヨリ力ヲ与エラレタ、彼ノ神ノ代行者デアロウ。ダガ、奴ノ呼ビ出シタ代行者ハ人ノ世ニ送ラレル筈。ソレガ何故、貴様ハコノ森ニイル?」


 コノ儂ノ治メル森ニ、と。

 強調するように大猿はそう言って、慶次に問いかける。

 だが、分からない。

 慶次には大猿の言っていることも、何の話をしているのかすらも、何も理解できていなかった。


「う––––––運命の神?英雄っ?いぃ、一体何の話をしてるんだっアンタ」


 しどろもどろに、慶次がそう答えた––––––瞬間。

 先程から向けられていた、塊の如き殺意が、弾け飛んだ。

 

 殺意の爆風に、慶次の意識は一瞬にしてそちらに釘付けにされる。

 見れば、その中心にいたのは、一匹の蟲。

 いや、一見すると蟲に見えたその姿には、見覚えがある。


 半身が蟲のような形状に、残り半分に人間の要素を併せ持った怪人––––––否、怪神。

 ただしその神は、慶次が対峙した神とはまた異なる、蜻蛉ではなく、蜂のような特徴を持った姿をしていた。

 全身にはまるでタトゥーの如く黄色と黒の警戒色が浮かび上がり、額には長い触角、背中には半透明の細長い茶色の羽が生えている。腰の後ろには大きな針を持った蟲の腹部のような器官が突き出し、食いしばった歯には2本の大きな牙が覗く。

 ––––––スズメバチ。

 女性の姿をしたその神は、その蟲の特徴を色濃く有していた。


「キサマァアアアアアアッ!」

「なっ––––––待てアピス!」


 ビリビリと、まるで大気そのものを震わすような叫び声。


 慶次達より少し離れた場所で、美しい金髪の女エルフに踏まれて押さえつけられていたその神は、ドス黒いオーラを撒き散らしながら翅を羽搏かせて女エルフを吹き飛ばすと、一息で慶次に迫った。


「貴様ッ………良くも抜け抜けと!詰問するまでもない、大方外界の者どもが送って寄越した間諜の類であろうがっ」


 死ね!なんて。

 蜂の神の振り上げた鉤爪は、慶次の動体視力には残像を捉えることすら不可能な速度で振るわれ––––––、


 ギィン、と。


 鉤爪は慶次の顔面を引き裂く寸での所で、鉤爪と顔の間に挟み込まれたバンダナの青年のロングソードに阻まれる。


「––––––おっと、やらせると思うか?」

「クッ、エイギス………貴様それでも守護神の端くれかぁっ!」


 ギリギリと、慶次の眼球の目の前で火花が散る。

 遅れ、ようやく慶次は己に迫った蜂の怪神の鉤爪を視認し、後ろに仰け反った。


 ––––––なんだっ。

 ––––––今、何が起きた?


 目の前の光景を見るに、慶次の首を狙った蜂の怪神の鉤爪を、バンダナの青年が食い止めた––––––と、言ってしまえば、起きたことはそんな単純なこと。

 しかしその全てを、慶次は目で追うどころか、知覚することすらできなかった。

 蜂の怪神の鉤爪も、青年の動きも。


 と、不意に背後でメキメキと何かが折れる音がして、そちらを振り向く。


「なっ––––––」


 見れば、慶次の遙か後方––––––そこに聳え立っていた巨大な樹が、中央から真っ二つに切断されていた。

 さっと、一瞬にして血の気が引く。

 無意識に慶次は自分の首に手を当てて、まだ胴の上に乗っていることを確認した。

 そして、確かにそこに首があることに安堵したのも束の間。


 ギィン、と、再び振るわれた蜂の怪神の鉤爪を青年のロングソードが弾いた。


「ひっ––––––」


 咄嗟に頭を抱えて蹲った慶次の上で、更なる火花が散る。


「キハハハ守ってるじゃねーの、こうやって哀れな子羊君をよ!」

「減らず口をッ………!」


 青年と怪神は鍔迫り合い、蹲った慶次に火花が降り注ぐ。


 ––––––くそっくそっ!

 ––––––なんなんだ………一体なんなんだこの状況はっ!

 

 内心そう叫びながらも、慶次はその場から逃げることすらできない。

 頭を上げれば首が飛びかねず、背中を向ければ切り付けられるだろう。

 故に慶次に出来ることは、こうして頭を抱えて踞ることのみ。


 そんな慶次の頭の上でバンダナの青年と鍔迫り合いながら、蜂の怪神は振り返り、大猿に嘆願するように叫んだ。

 

「王よ!この者は危険ですっ即刻処分の許可を!」

「…………」

「王よ!どうかご裁可を!」


 大猿は蜂の怪神の言葉に答える事なく、尊大に木の根の間に腰を掛けたまま、溜息混じりの紫煙を吐いた。


「王––––––」


 そして、蜂の怪神が更に何かを叫ぼうとした、その瞬間。

 蜂の怪神の姿が、消えた。

 否。

 地面に蹲った慶次の頭よりも更に下––––––地面に身体ごとめり込むほどに、押し潰されていた。


「王の話の途中だ。控えよ、アピス」


 蜂の怪神の頭を地面にめり込ませた張本人––––––金髪エルフの男は、蜂の怪神の頭を踏みつけながら、極めて淡白な口調でそう言った。

 そして金髪エルフは意識だけ背後に向けて、眉を顰めて咎めるような口調で言う。


「押さえておけと言った筈だ」

「申し訳ございません、父上」


 いつの間にか金髪エルフの背後まで移動していた女エルフは、澄ました顔でそう頭を下げる。

 頭を上げた慶次は、女エルフの握り締められた拳が目に入る。

 慶次の視界に映ったのは、屈辱に打ち震える女エルフの拳。

 そして、視線だけで人を殺しかねない程に剣呑な、女エルフの瞳だった。


 その瞳が、ふと慶次に向けられる。

それだけで、慶次は押し潰されそうな程のプレッシャーを受け、息が詰まる。

 理解させられる。

 今この場で、自分こそが最も弱者であり––––––青年の言うところの子羊であると。

 と、女エルフの視線を遮るように、金髪妖精が慶次の眼前に飛びはだかる。


「ハッ、呑まれてんじゃねーぞ人間」

「アルゲン………元はといえば貴様らが持ち込んだ面倒事であろうっ」


 女エルフはそう言って、苛立たしげに目の前の金髪妖精を手で振り払う。

 しかし金髪妖精はひらりとその手を躱し、慶次の肩にトンと降り立って、人差し指を左右に振りながら皮肉げに言った。


「チッチッチッ。元を正すんなら、この森に侵入者を許したのはお前ら守護神だろう。なら、今回のことは最終的にお前や––––––」


 金髪妖精はニンマリと、底意地の悪さを隠そうともしない笑みを浮かべて、女エルフ––––––そして、金髪エルフを指差しながら続けた。


「––––––あんたの責任ってことになるんじゃねーか?なあ?兄貴」

「………」


 金髪妖精のそんな言葉に、金髪エルフは腕を組んだまま眉根を寄せて、目を閉ざす。

 と、そうして金髪エルフが何も言わないでいると、その足元で蜂の怪神が喉が裂けんばかりに鉤爪で空を掻きながら叫んだ。


「ぐうぅっ………クソッ、離せ!叔父上!そいつだけは私がっ、私がこの手でぇっ!」

「––––––モウヨイ」


 ぴんと。

 場が水を打ったように静まり返る。

 あれ程息苦しかった殺気も殺意も、そのたった一言で鳴りを顰める。

 それをただの一言で為した大猿は、大きく紫煙混じりの溜息を吐くと、ギョロリとその双眸を、金髪エルフに踏みつけにされた蜂の怪神に向けた。


「アピス、オ主ガソウ憤ルノモ無理ハナイ。無理ハナイガ––––––シバシ黙ッテオレ」


 その視線を向けられて、蜂の怪神はまるでそこだけ重力が強まったかのように、その場で押し潰れた。

 それはまるで、先程金髪エルフのプレッシャーに地面に押し潰された慶次のようで。


「あ………はっ––––––はっ、はっ」


 ただ視線を向けられた。

 ほんの僅かな圧を向けられた。

 それだけで、蜂の怪神は息の仕方すら忘れ、その場で白目を剥いて気を失った。


「––––––サテ」


 と、その双眸が、慶次に向けられる。

 そこに蜂の怪人に向けられたような圧はない。

 しかし向けられたその視線には、変わらず小石を見ているかのような無価値なものに向ける冷たさがあった。


「ソノ様子デハ、マコト何モ知ラナイト見エル。デアレバサラナル疑問ダ。貴様ハアノ羊ニ––––––運命ノ神ニ会ッタノデハナイノカ?」

「だ、だから俺は、そんな奴知らないって言ってんだろっ。気が付けばこの森にいて、それで––––––」


 それで、あいつと––––––と、続く言葉を口にする前に、慶次の頭を後ろから掴む者があった。

 ひんやりと、まるで死人の如き冷たい手のひらが、背後から慶次の顔を包む。

 力なんてまるで入っていないその手のひらに、慶次は拒むことも出来ずに、顔だけ上を向かされる。

 顔を向かされた先。

 そこには慶次の眼を覗き込むように、一人の女がいた。

 目元に呪術的刻印の施された布を巻いたその女は、慶次の顔を押さえている二本の腕とは別の––––––もう一対の腕で、その布をずらす。


 ずらされた布の隙間から覗いた、女の瞳。

 まるでこちらの全てを見透かしているかのようなその瞳は、例に漏れず紫色に淡く発光し––––––そして瞳孔は十字に割れていた。


「––––––ふむ」


 女の髪の毛がぱらぱらと慶次の顔に落ち、女の瞳は鼻先が触れそうな程に慶次の瞳に近付くと、ニタリと邪悪に口の端を歪ませる。


「成程。貴様、あぶれたな?」

「………どうだ、ビブリア。何が見えた」


 そう慶次の頭を覗き込んだ女にそう声を掛けるのは、苔の蒸した大岩の上に寝そべる六目、六本脚の巨大な虎。

 女は包帯を巻き直しながらも、顔をそちらに向けて答えた。

 慶次から見上げたその顔は邪悪に––––––しかしこんな状況だというのに、一瞬見惚れてしまうほどに美しく微笑んでいた。

 だが続く女の言葉には、そんな美しさなど欠片も無い、純度の高い悪意が満ちていた。


「おお、兄君よ。視たところ、此奴の中には神の力の因子が与えられた形跡がまるでない。代行者を代行者たらしめる神の力の源––––––その原種(オリジン)が」

「ほう?つまり其奴は………」

「ああ、此奴は––––––英雄の成りそこないだ」

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