第10話 邂逅
「駄目だ。何でも簡単に拾ってくるんじゃないといつも言っているであろうが。元あった場所に捨ててこい」
と、どこかで聞いたことのあるフレーズと共に、耳のすぐ近くで鉄がぶつかるような音がした。
「いいじゃねーか。ケチケチすんなよ。ちゃんと面倒見るからよ〜」
そう返す声は、聞き覚えがあった。
意識を手放すその瞬間まで鼓膜に届いていた、あの不快な声の主。
その声に、慶次は薄っすらと意識を取り戻す。
と、再びの衝突音。
「馬鹿を言え。いつもそう言っては結局世話も見切れずに放り出すのであろうが。捨ててこい」
聞き覚えのない方の声の主は再びそんな鉄板フレーズを言って、金髪妖精の言葉を切り捨てる。
––––––なんだ。
「今度はちゃんと最後まで面倒見るって、なあ頼むぜ親父」
そこに食い下がるのは、これまた聞き覚えのある声だった。
風切音と衝突音の嵐の中、バンダナの青年の声がやけに明瞭に聞こえた。
「揃いも揃って馬鹿を言うでない。暇つぶしの手段なら他にいくらでもあるであろう」
––––––なんだ、これは。
一際大きな衝突音がすると、背中に触れた地面が大きく揺れた。
そこでようやく、慶次は自分が仰向けに転がっていることを自覚する。
「雑草すら枯らすような飽き性の貴様らだけで世話が見切れるとは到底思えん。いいからさっさと捨てて来い」
––––––俺は一体、何の会話を聞かされているんだ。
朦朧とした意識の中、慶次は自分が意識を失う前の記憶を手繰り寄せる。
突然の転移、異世界、神との邂逅、怪物との死闘、そして––––––、
––––––そうだ、あいつとの戦いが終わって俺は………
––––––俺は………死んだのか?
––––––いや、やけに感覚ははっきりしてる。
––––––なら俺はまだ生きている?………だがそれにしちゃ––––––、
「もう私は懲り懲りなのだ。貴様らのその気まぐれの尻拭いをするのは」
––––––それにしちゃ世界観違すぎない?
––––––あれ?俺ってかなりシリアスなファンタジー世界に来たんじゃなかったっけ。
––––––結構シビアで血みどろなシチュエーションじゃなかったっけ。
––––––何この、どこの家にもありがちトーク。
––––––え、チャンネル間違えた?
もしくは更なる異世界転移でもしてしまったか。
元の世界から異世界に転移し、その異世界で死んだことにより更に異世界に、なんて。
––––––そういや昔あったな、そんな映画。
––––––なんだっけ、あの映画のタイトル。
––––––ああそうだ、夢幻三剣士だ。
と、そんなことを漠然と慶次が考えていると、鼓膜から伝わる家族構成に新たな登場人物の声があった。
「ふざけるなッさっさと殺せ!」
––––––急に穏やかじゃないな。
––––––一気に殺伐としたご家庭の雰囲気になったぞ。
ビリビリと空気が震える。
ガギィン、と何かが激突する音がして、両耳の横をとてつもない勢いで風が通り抜けていく感覚があった。
「ヘッ、あっぶねーあぶねー」
「邪魔をするなッエイギス!」
「ふう……そいつを抑えておけ、クリス」
「––––––ぐっ、くそっ離せッ!ぶち殺してやる!」
––––––おっと〜喧嘩か?
––––––穏やかに話し合いましょうや、どうせ子犬の一匹や二匹拾ってきたとかその程度の話だろ?
––––––それがここまで殺気立つものかね。
いや、殺気と言うよりは、それはいっそ殺意と言った方が近い剣呑さを帯びていた。
慶次が周囲に感じる複数の存在––––––とりわけその内の一つ。
圧倒的に濃密な殺意の塊が、一つだけあった。
ただの家族喧嘩では到底説明がつかない程のその殺意に、慶次は脳内で首を傾げながらも、その先の思考を手放した。
まあ、家庭の事情というのはどんな家族にもあるしな、と。
殺し合い一歩手前の家族喧嘩をする家だって、皆無というわけではないだろうし。
そんな家族を、知らないわけでもない。
––––––まあ、これ以上他所の家庭の事情を勘繰っても仕方ない。
––––––今しばらくの間は眠りについておこう。
と、そうして意識の手綱を再び手放しかけた時。
「父上、このままでは埒が開きますまい。ここは一度、王のご意見を聞かれてみては?」
ぴん、と。
透き通るような穏やかな声が、場を一瞬にして鎮めた。
喧しいくらいの衝突音と、騒々しいまでの風切音が、ぴたりと止む。
「ふむ––––––王よ、如何でしょうか」
「………ソウダナ」
醜悪な獣の唸り声。
しかし耳に届くその唸り声は、確かに意味を持って、聞く者の鼓膜を震わした。
「貴様ハイツマデ寝タフリヲシテイルツモリダ、人間」
「––––––––––––っ」
殺気でも、殺意でもない。
ただの言葉に乗せられた圧が、慶次の意識を瞬時に覚醒させ、はるか後方に飛び退かせた。
遅れ、全身の汗腺から生暖かい汗が吹き出す。
「ハッ––––––ようやく起きたかよ、人間」
慶次の視界に最初に飛び込んできたのは、見覚えのある二人組の背中。
彼らの体には大小数多の傷が走り、足元にはポタポタと血が滴っていた。
同様に、彼らの足元––––––そして慶次を囲むように、地面にも大小様々な抉れたような傷が無数に刻み込まれ、まるでここで激しい戦闘があったかのようだった。
そしてその背中越しに見えるのは、十数人の男女の姿。
金髪であったり黒髪であったり耳が細長かったり、顔立ちも人種もおそらく違うその男女には共通する点が二つ。
それは彼らが皆、同じ服装、同じ瞳をしているということだった。
目の前にいる二人組––––––そして、慶次の戦った、あの神と同じ紫色の瞳。
そんな彼らのさらに後方には、一際濃密な存在感を放つ長い金色の髪を垂らした体格の良い男が一人。白い肌に細長い耳を持つその姿は、御伽話に出てくるエルフの特徴をそのまま持っていた。
その男の紫色の瞳は他の誰よりも美しく、そして誰よりも鋭く、慶次の姿を射抜いていた。
まるで、猛禽の如き瞳をしていたあの男に似たその眼光に、思わず慶次は身構える。
「王から貴様に話だ––––––跪け、人間」
「–––––––––がっ」
たった一言。
男がそう口にしただけで、慶次の体はまるで百倍の重力がかかったかのように、その場に押し潰れる。
「ぐぅ––––––う––––––うっ」
起き上がることも、指一つ動かすことも、抗うことすら不可能な、不可視の力。
骨が軋み、臓腑が締め上げられる。
血流は停滞し、押し潰れた肺は空気を取り込むことを拒んでいるかのような、そんな感覚。
だが無限に続くかに思えたその責苦は、ただの一言で終わりを迎える。
「––––––ヨイ」
辛うじて意味を理解出来る、その唸り声。
その唸り声に、慶次の体にのしかかっていた重圧は、幻のように霧散した。
解放された肺が全身に酸素を送り込むため、空気を浅く早く吸い込む。
「面ヲ上ゲルガ良イ。人間ヨ」
咳き込みながら、慶次はその唸り声に従い顔を上げる。
すると––––––
「––––––ぇ」
顔を上げた先。
慶次を、幾百の『目』が取り囲んでいた。
二本の角を生やした巨大な猿が。
六本足を畳んで寝そべる四つ目の巨大な虎が。
四枚羽の巨大な漆黒のカラスが。
蛇のような下半身に四本の腕を持った、顔面に包帯を巻いた女が。
灰褐色の肌をした、獣のような様相の大男が。
巨大な馬の体に人の上半身、鹿の頭を持った一つ目の怪物が。
真っ青な髪の毛と長い髭を蓄えた、体に鱗の生えた男が。
巨大なムカデの上に腰掛ける、黒髪黒目の小柄な少女が。
木々の幹に浮かんだ、幾つもの巨大な瞳が。
そしてそれらを取り囲む、おびただしい数の異形の怪物が。
怪物が、怪物が、怪物が、怪物が、怪物が––––––、
一斉に、慶次のことを見つめていた。
紫色の瞳を怪しく光らせて。
「問オウ、人間ヨ––––––代行者デアル貴様ガ何故、コノ森ニイル?」
と。
目の前の巨大な角の生えた猿が、尊大に慶次に問いかけた。
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