第7話 第2ラウンド


 笑い声が聞こえた。

 腹の底から搾り出すかのような、底意地の悪さだけで音階が出来上がっているかのような、そんな哄笑。

 しかしそんな木々の間を木霊する哄笑をかき消すかのような、もう一つの嗤い声があった。


「ギヒッ–––––––ギギギギギギギギギギギギッ!」


 怪人はひとしきりそう嗤って、空中で分断された下半身を掴む。

 そしてまるでズボンでも履くかのような自然な流れで、分たれた下半身を上半身の切断面にくっつけると、たちどころに怪人の切断された肉体は元に戻ってしまう。


 慶次は己の一撃が怪人に大したダメージを与えられていない事実に歯噛みする間も無く、頭上から振り下ろされる怪人の鉤爪を横に転がって躱した。

 躱し際に、回転しながら怪人の振り下ろす腕を切断して。

 

 慶次が立ち上がるのと、怪人が切断された腕を再生させて攻撃を繰り出すのが、ほぼ同時。

 そして怪人の追撃よりも、再び慶次が怪人の腕を跳ね飛ばす方が、僅かに早かった。


「ヘッ。大したダメージじゃなくても、ゼロじゃないならお前、いつか死ぬよな?」


 今怪人に与えたダメージも、慶次がそう言っている間には既に再生し、跡形もなく元に戻っている。このまま攻撃を与え続けたところで、それは言ってみれば攻撃力1の装備でボス戦に挑むようなものだろう。

 ボスの攻撃を全て避け、こちらの攻撃を与え続けることなど、まるで現実的ではない。


 だがそれでも。

 間違いなく、慶次は鍵を得た。

 目の前の理不尽を振り払うための、唯一無二の鍵を。

 そしてゼロではないなら、手繰り寄せるだけである。

 その、狭く小さな勝利への鍵穴を。


「––––––来いよ。殺し尽くしてやる」


◆◆◆◆◆◆


 斬撃が飛ぶ。

 血飛沫が舞う。

 空気が刃となって、木々の間を踊る。

 そんな、つい先程までの慶次の常識では到底受け入れ難い事象が溢れかえる空間。

 しかし不思議と、慶次の中に違和感はなかった。

 非現実なこの状況の中にあって、どこか慣れ親しんだ状況のような気さえした。

 ひりつく様な命のやり取り。

 背筋に刃物を押し付けられているかのような、そんな緊張感。

 確かに慶次にとってそれは、最早懐かしさすら感じる様な、慣れ親しんだ空間だった。

 

(ああ……いつ以来だ)

(この感覚、この状況……)

(そうだ、最後はあの人との––––––)


 いや、今は関係ない。

 今はただ、ただ、ただひたすらに。


 ––––––こいつを、殺すッ。


 慶次の振るう手斧は、徐々に怪人を削いでいっていた。

 手斧に纏う赤黒い光は、怪人の肉体を覆うドス黒い光を切り裂き、その下にある怪人の肉体に、確実にダメージを蓄積させていく。

 怪人の振るう鉤爪を躱し、いなし、翅から放たれる刃と化した風を避けて、カウンターを冷静に返していく。

 怪人の肉体からは紫色の血飛沫が飛び、それが慶次が手斧を振るう度に周囲の木々を染めていた。


 確かな手応え。

 そして確かな勝利への確信があった。

いかに体を覆うこの光が怪人の攻撃を多少防ごうと、それでも直撃すれば文字通り命取りとなる鉤爪の攻撃を掻い潜り、無限と思える回復能力を持つ怪人に攻撃を与え続け、そしてこじ開けた、勝利への道筋。

 手を伸ばせばすぐ届く場所に、勝利の二文字がころがっている。

 慶次は迷わずその二文字に腕を伸ばす––––––、


「らあぁああああああっっ!」


 大振りになった怪人の隙を逃さず、一気に懐に潜り込み、勢いのまま手斧を振り上げた。

 攻撃を防ごうと、怪人が咄嗟に突き出した二本の腕を構わずそのまま断ち切って。

 怪人の顔へ向けて、全力で手斧を振り上げる。


(決めるっこれでっ–––––––)


 両手で柄を握り、慶次は全身全霊を懸けて手斧に力を流す。

 瞬間、膨れ上がる手斧の光。

 元の手斧から遥かに伸びた光の鋒は、怪人の胴体に突き刺さり、頭のてっぺんまで一気に両断した。


「–––––––ハハッ!」


 –––––––勝った。


 間違いなく、必殺の一撃。

 命を断ち切った、手応え。

 その確信に、慶次は思わず笑みを漏らした。


 やった–––––––やり遂げたのだ。


 突然異世界に放り込まれ、右も左も分からない中、たった一つ提示された元の世界への戻り方と、そのために課された、想像を遥かに超える化け物との死闘。

 死にかけ、殺されかけ、初めは戦う術すらなく。

 それでも死線を掻い潜って、獲得した力。

 使い方すら曖昧なその力を戦いの中で自分のものとし、無意味にすら思える攻撃を地道に怪人に与え続け–––––––ようやく。


(勝ったぞ!俺はっ、こいつにっ、この世界に–––––––!)

 

 が。

 掴み取った勝利の余韻に浸らんとする、その時。

 慶次の視界に、鮮やかな「赤」が映り込んだ。 


 左右に両断した筈の、怪人の肉体。

その両断された肉体は、しかし左右に分かれることなく、真ん中に走った傷口から、どろりとした赤い液体が噴き出していた。

それは先程まで怪人が流していた紫色の血とは明確に異なる、まるで人間のような––––真っ赤な赤い血。


 一瞬、その血の色に、目を奪われる。

 と、勢い良く吹き出していたその血が、ぴたりと止んだ。

 静止した。

 吹き出したその空中で、まるで、枝木のように。

 そして固形化した血はポロポロとその端から崩れ始め、砂のように、怪人の足元に落ちてく。

 そして––––、


「––––––ぇ」


 目が、合った。

 切り裂いた怪人の肉体––––––その断面から、まるで蛹の殻を破った成虫の如く、顔を覗かせた怪人と。

 美しい紫色の瞳をした、美しい男のその顔と。

 目が、合う。

 パリン––––––と、男の体を覆っていた、怪人の残滓が音を立てて砕け散る。

 そして殻の中から出てきたのは、まるで人の手で生み出せるとは思えないほど美しい、ステンドグラスのような輝きを放つ羽を背に生やした、四本腕の美青年だった。


 その青年はこちらを一瞬驚いたような顔で見て、


「ああ––––––そうか」


 なんて、落胆したように呟いた。

 そしてその声を最後に、慶次の視界は暗転した。


◆◇◆◇◆◇


 エイギスは眼下に現れた青年を視界に収めると、苛立たし気に舌打ちをして、すぐさま二本の長剣を構えて立ち上がった。


「チッ––––––一時的に『回帰』したか。少しばかしつまんねぇが、ここまでだろ」


 折角の「催し」に水を差されたような形になってしまったが、仕方がない。

 あの人間の力を図りたくもあったが、ここから先は勝負にすらならないだろう。


「待て」


 そう考えて枝の上から飛び降りようとしたエイギスを、しかしアルゲンは短く引き留める。


「待てって……さすがに今いかねえと、あの人間、死ぬぞ?」


 つい先程までならば、それでも良かったのだろう。

 しかし自分達は決めてしまった。

 十二年前の、あの続きをすると。

 そしてそのために、あの人間の存在は不可欠になってしまった。

 故に、今ここで死なせる訳にはいかない––––––と、そう言外に含めて聞き返したつもりだったが、アルゲンはその場から微動だにせず、首を横に振るだけだった。


「まだだ。まだ、待て」

「だーかーら、これ以上待ってたらあいつ死んじゃうって」

「………」


 何を言っても微動だにしないアルゲンに、エイギスは再び大きな舌打ちをして、その場にどっかりと座り直した。


「ったく………どうなっても知らねえからなホント」


 ふんと鼻息荒く肩を竦めるエイギスを横目に、アルゲンは気取られないように内心ほくそ笑む。


(言ってもどうせ、お前にはわかんねーさ)

(てめえを分かるのは俺だけだ。なあ、人間)


 世界で誰よりも、世界でただ唯一。

 だからこそアルゲンは、この先にあるものに目を輝かせる。


 –––––さて、お前の中からは何が出てくるのかな。


◇◆◇◆◇◆


 青年の、かき切れそうな絶望の悲鳴が、周囲の木々の葉を揺らす。

 ざわざわと。

 それは、己の先が無いことを知ってしまった、慟哭。

 それは、自分の終わりが、何の意味も持たないことへの、悲嘆。

 その悲鳴は、葉々を揺らし、枝々を揺らし、木々を揺らした。


「終わりたくない、死にたくない、こんなことで、こんな最期でっ!私は––––––」


「––––––おい、待てよ」


 と。

 木々のざわめきが––––––止む。

 同時に、顔を覆って天を仰いでいた青年は、顔を覆ったまま、指の間から声のした方へと視線を向ける。


 否。

 視線を向けた、のではなく––––––向けさせられた、といった方が正しいだろう。

 それ程までに、濃密な存在感が、急にそこにあった。


◇◆◇◆◇◆


 誰かが泣いていた。

 その泣き声に、うっすらと意識を覚ます。


「ああ–––––ああっ!なんというっ……なんということなのだっ」


 目を開ける–––––しかし、視界がおかしい。

 木が横に向いて生えている–––––と、そこで気が付いた。

 自分はどうやら、地面に横たわっているらしい。

 ということは、視界半分に広がるこれは、自分の血だろうか。


「我が名すら忘れてしまうとは……我を忘れて彷徨う虫ケラに成れ果ててしまうとはっ」


(ああ、はいはい、ゲームオーバーゲームオーバー。ユー・ルーズってか……ったくよ)

 いやはや、寧ろ我ながらここまで良くやれたと褒めるべきか。

 ゲームで言えば説明書なし、操作法のチュートリアルすら無しでよく戦えたものだ。

 そもそも、コントローラーさえ与えられていたのかさえ怪しい。

 その場合、自分はゲームのプレイヤーではなく、ただのプレイされる側のキャラクターというところか。


「王よ–––––父上よ、お許しくださいっ。私は最早戻ることが叶わない。ああ恨めしい、狂おしい、悔しい、悲しい。我が終焉が、偉大なる蟲の眷属の終わりがこんなものとはっ」


(ていうか、最初から無理ゲーだろ。そもそも俺はあいつらと違ってただの小市民だってのによ……。調子乗って俺が主人公だっ–––––とか、今考えると自殺もんだろ。……って、自殺するまでもなく、これじゃどの道死ぬか)


「何故だっ、何故だアルゲンっ、エイギス!何故私を早く殺さなかったのだっ!何故我が最期をこんな–––––こんな矮小な人間如きに当てがったのだっ!何故誇りある最期を与えてくれなかったのだ……どうして–––––」


(つーか、さっきから煩ぇな。聞こえてんぞ〜この野郎)


 慟哭し、血涙でも流さんばかりに泣き叫ぶ青年に、慶次は微かに動く眼球を動かして、視線を向ける。


(クソったれ、泣きたいのはこっちだっての……。誰が好き好んでお前みたいな化け物相手にしなくちゃなんねーんだ)


 おっと、今は化け物というよりは、痛いコスプレ青年といった方が近いか。

 全く–––––。


(まあ、いいだろう、もう。頑張ったよ、俺。脇役は脇役らしく、大人しく退場しますよ)


 後のことは、きっとあいつらが上手くやるだろう。

 自分達がどうしてこの世界に来てしまったのかなど、今となっては知る由もないが、勇者になって魔王を倒すなり、悪の組織との異能バトルをするなり、ありふれた異世界物語の主人公にでもなって好きにするがいいさ。

 そうだな、自分のことはピンチの時の回想に登場する、逆転のきっかけになるようなキーパーソンポジションにでもしてくれたまえ。

 そう思って、慶次は目を閉じ–––––、


『いいや、この物語の主人公は間違いなく君だよ、少年』


 –––––声を聞いた。

 聞き間違える筈もない、けれど今最も聞こえる筈のない声に、慶次の意識は覚醒する。


 目の前に男が一人、立っていた。


 猛禽のような目をした、褐色の肌をした男。

 こんな状況には不釣り合いな上下白のスーツに、白の革靴、それと対照的な生命力溢れる褐色の肌、丁寧に撫で付けられた黒髪と、短く切り揃えられた口髭に至るまで、全てが慶次の記憶と重なる。

 人生で唯一、焦がれるほど憧れた男に。


(は、ははっ––––––まさかあんたがお迎えに来るとはな)


 乾いた笑いが漏れる。

 口ではそう言いながらも、頭は自分の言葉を否定していた。

 ここにこの人がいる筈がない。ましてや、自分の迎えになど、来る筈など。

 であれば目の前の男は一体––––––と。

 慶次が思考を巡らせる間に、目の前の男は言葉を続けた。


『逃げるな。自分から、自分の役目から』


 男はそう言って、慶次に問いかける。

 それはいつだったか、かつて男が慶次に問いかけた言葉の、繰り返し。

 つまりこれは、今際の際に自分が生み出した幻覚なのか。

 けれど––––––、


(……いきなり出てきて勝手なこと言ってんじゃねえ。誰が逃げてるって?見ろこのボロボロの姿。らしくもなく正々堂々真っ向から勝負した結果がこれだ)


 正直もう、どちらでもいい。

 お迎えだろうが幻覚だろうが、どの道結末は一緒なのだから。


(頑張ったよ。足掻いたよ。それでも無理だったんだ。てことは、俺はここまでの役目だったってことだろ?)


 到底、主人公などとは名乗れたものではない。

 あいつらと––––––肩を並べられる存在だとは、とても口にできない。

 だが、そう言った––––––思ったところで、目の前の男は首を傾げ、慶次の頭を覗き込むようにしゃがみ込んだ。


『ふむ……ならば何故、武器を使わなかった?』


(武器?––––––なんだよ、あんた何も見てなかったんじゃないか。使ったさ、当然。見ろ、そこら辺にさっきまで握ってた筈の斧が––––––)


『違う』


 しかし端的に。

 男は慶次のその先を否定した。

 顎をさすっていたその指は、そのまま慶次の視線の先に落ちていき––––––その指先は、慶次の手の上で止まった。


『君のその手の平は、そうして地面を撫でているためのものだったかね』


(………)


『思い出せ。君の武器を。我々の武器を』


 武器––––––その言葉の意味。

 それは、とうの昔に忘れてしまっていたもの。

 過去の記憶の中に、置いてきてしまったもの。

 目を背け続けた、自分の役目。


 ふと思い出す。

 いつかの記憶を。

 向き合った男の、拳の熱を。

 彼女の、哀しげな微笑みを。


(なんだ)


 ドクン、と。

 止まりかけていた心臓が、不意に高鳴る。


(なんなんだ)


 手のひらに、腕に、全身に。

 脈動が、鼓動が、衝動が戻っていく。


(この拳の熱は、一体、なんだ––––––っ)


 慶次の瞳を見て、男は軽くはにかむと、立ち上がって手を伸ばす。

 いつ以来だろうか。

 その、猛禽のような瞳に見下ろされるのは。

 その、差し伸べられた拳に、憧れたのは。


『立ちなさい––––––まだ、試合終了のゴングは鳴っていないよ』


 かつて憧れたその拳を握って、慶次は立ち上がる。

 いつかのように、拳を––––––自分の武器を構えて。

 男の拳が、慶次の背中を強く押した。


『さあ、第2ラウンドだ』

 

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