第6話 運命/希望

 地面の罅割れた衝撃が、腰を下ろす大樹の枝さえも微かに揺らす。

 しかし今最も揺れていたのは、その光景を目にした自分達自身であるのかもしれない––––––と、そう錯覚する程、二人の心はざわめいていた。


「……魂の表出と『纏』–––––まさかぶっつけでモノにするとはな」


 無言でソレを観察していた中、ポツリとそう呟いて静寂を破ったのはエイギスだった。

 頬に汗を伝わせながら、エイギスはしたり顔をする隣人に首を傾げる。


「で?ここまで全部予想通りってか?––––––アルゲン」

「ヘッヘッへ。ま、ある程度分かってたことだがな」


 何故か誇らしげにそう言うアルゲンに、エイギスはやれやれと首を振る。


(別にお前を褒めたんじゃねえよ……だが、ま、確かに認めざるを得ないだろうな)


 ––––確かに、あの人間は『英雄』の器だ。


 そしてそう認めてしまったからには、もう一つの事実もまた認めなくてはならない。


(異世界の英雄の召喚……。マジで始まっちまったのか、代行戦争が)

 

 かつて多くの神が消滅し、多くの英雄達が命を散らしたあの戦争が。

 勝者も敗者もおらず、終わりも始まりすらもない、無意味な戦争が。


(これまでなら俺らにゃまるで関係なかったが……)

 エイギスは横目でアルゲンに視線を送る。

 そしてその横顔を見て、重々しくため息を吐いた。

(こいつがこの様子だと、流石に今回はそうも言ってられねえんだろうな〜)


 いや、とエイギスは自分の考えに首を振る。


(やっぱ関係ねえな)


 何故なら––––––、

 と、エイギスは眼下、怪人に手斧を振り下ろした人間に視線を投じた。


(あいつ、すぐ死にそうだし)


◇◆◇◆◇◆


 慶次は手斧を振り下ろした手に違和感を感じていた。

 一直線に突進––––もとい飛来する怪人に対し、慶次は至って冷静に、その頸部に対して手斧を振り下ろした。

 渾身の力を込めて、全体重を乗せて。

 そして、叩き落とした。

 確実に怪人の頸部を捉え、実際地面に罅が走る程の衝撃を与えることに成功した。

 しかし確実に致命傷を与えたであろうその手斧を握る手に伝わる、言い知れない違和感。


(なんだ……手応えが、ない)


 先程。

 怪人の胴体に向けて無意識に振るった、あの一撃。

 光が爆発し、互いに吹き飛ばされたあの一撃を振るった際に感じたような–––––純粋な力と力がぶつかったような感触がまるでなかった。

 今はまるで密度の高い液体に手斧を振り下ろしたような、鈍く重たく沈み込んでいくかのような、そんな感触。

 しかしすぐに慶次は、その違和感の正体に気が付く。


(光が、斧まで行ってねえ)


 振り下ろした手元に目をやると、慶次の体を覆っている光は手斧を握る手の先で止まっており、怪人に振り下ろした手斧まで包み込んでいなかった。

 ただのその手斧は、怪人の体に纏まりついたドス黒い光に阻まれ、慶次がどれだけ体重をかけようと、怪人の肉体に刃が届くことはない。

 そして同時に、刃が届いていないということは、


「ギヒッ」


 地面にめり込んだ横顔が––––醜悪に笑った。

 ゆっくりと、翅が真上に向かって伸ばされる。

 そして––––––、


 ヴゥゥンッ。


 と、一対四枚の翅が羽撃いた。


「くあっ––––––!」


 文字通りそれは、『羽撃』と言って良い規模のもの。

 正しく羽撃く翅そのものが、翅が生み出した風が、慶次の体を撃ち、後方に吹き飛ばす。 

 再び慶次は地面を転がり、対角にあった木の幹まで吹き飛ばされてしまう。

 背中に木の幹がぶつかり、すぐさま立ち上がり手斧を構える––––––が、


「なっ……」


 顔を上げたその先に、怪人の姿は既にない。

 急いで意識を四方に回しても、そのどこにも怪人の姿は無かった。

 翅音も、息遣いも、気配すらも。

 と、


「何やってんだ馬鹿野郎!上だよ上!」


 頭上から落ちてくる、妖精の声。

 その声にハッと上を向くと––––––、


「ギヒイィ」


 目が、合った。

 慶次が背中を預ける木の幹––––––その木の幹の真ん中に、怪人は逆さまに張り付いて視線を落としている。

 ベロリ、なんて効果音が実際に聞こえてきそうな舌なめずりをして、涎が慶次の顔に向かって垂れる。

 垂れたその涎が慶次の頬に落ちるのと、怪人が慶次目掛けて急降下したのは、おそらく同時であった。

 回避は間に合わない。

 そのため、慶次は咄嗟に腕を頭上で交差させて、怪人の落下を受け止める形になった。


「––––––ぐっ」


 全身が、軋む。

 ぶちぶちと筋繊維が千切れ、骨が今にも折れそうなほど撓んだ。

 しかし、受け止め切った––––と、安堵した瞬間。

 怪人は翅をより高速に振るわせ、鉤爪を受け止めた慶次の腕を更に押し込んだ。

 

「ぎ、ぎ、ぎ」


 腰が曲がり、膝が折れ、地面と口付けさせられる程に体が縮まる。


「チッ––––––想像しろ!斧はお前の一部、体の延長だってな!」

「………!」


 やけに通る妖精の声が、慶次の鼓膜を震わした。

 押し潰されかけた体勢では上を向くこともままならないが、それでも意識だけは上に向ける。


「頭で理解出来てなくても、お前はもう体で理解してる筈だ!今お前が纏ってるその光はお前の魂そのものだってな!」


 言われなくとも、分かってる。

 分かってるから、なんだ。


「そのバケモンはお前の魂を纏った武器でしか倒せねぇ!だから死にたくなけりゃ早いとこ斧にそいつを纏わせろ!」

「ぐぅうううううううッ」


 妖精の言葉に、慶次は全身のバネを使ってなんとか立ち上がり、手斧を握る手に力を込める。

 握った拳が軋むほど、握り締めた手斧の柄が軋む程に。

 念じ、力を込め、そして––––、


「そんなん言われてっ、いきなり出来る訳っ、ねーだろーがっ!」


 何も起こらず、慶次は絶叫した。

 というか、先程からこいつの言う事は何一つとして要領を得ない。

 ふざけんなここぞという時のアドバイスは普通もうちょっと具体的な起死回生の一手とかだろうが––––––と、慶次が脳内で全力の呪詛を吐いていると、怪人が更に翅を振るわせて、慶次の体を地面と圧殺しにかかる。


「っっ––––––っ」


 翅の風圧で木々の枝は折れ、怪人の肉体から迸るドス黒い光は鞭のようにしなって、辺りにあるもの全てを削ぎ落としていく。

 その圧力に、慶次の肉体も、心すらも押し潰されかける。

 しかしそこで再び、天からの声が慶次の耳元に降ってくる。


「出来ないのはお前が出来ないって思っちまってるからだ!願え、想像しろ!お前が握るその斧はお前の一部、お前の魂の宿ったお前の肉体の延長だってな!」


 それは、最初も聞いた。

 だが確かに、言われて一つ自分に欠けているものがあったことに気がつく。


(願い––––か。確かに、そういえばしたことなかったっけな)

(どの道死ぬなら、せめて最後にしてみるか?神頼み)


 だとしても、あの神には死んでも頼まねーけどな。

 と、慶次は遥か高みからこちらを眺める自称神達の姿を思い描いて、歯を食いしばった。

 願う––––目の前の災厄を、振り払う力を。

 想像する––––それを振るう手斧こそ、自分の一部であると。

 そして、咆哮する。

 

「くっ–––––あああああああぁっ!」


 頭上に向かって、腕を振り抜く。

 目の前で極大な光が弾け、慶次は勢い余ってその場に大の字に倒れ込んだ。

 一瞬眩んだ目は、すぐさまに視界を取り戻す。

 そして、そこには––––––––、


 空が見えた。


 上下に分たれた怪人の肉体の間から。

 天蓋の如く空を覆っていた木々に開いた、巨大な裂け目から。


◆◇◆◇◆◇


「–––––––ッべ」


 突如として目の前に迫った光の波に、エイギスは反射的に離れた木の枝に飛び移る。

 そして背中を掠めるようにして、極大の光の波が、エイギス達のいた木の枝を周りの木々を粉砕しながら、空へと昇っていく。

 タンッと着地して振り返ると、既にそこには一瞬前まであった光景が消失し、破壊の通った道程のみが残されていた。


「ギャハハハッハハ!」


 それを見て哄笑するのは、肩に乗ったアルゲン。


「いいぞっそれでいいっ!それでこそだ!」


 そんな小さな体のどこから出てる来るのかと思える程、その哄笑は木々を揺らし、けたたましくエイギスの鼓膜を叩いた。


「なあ!なあ!なあ!なんて運命だと思わねえかよっ。今日、ここに、俺らの前に!あいつが現れたのは何ていう幸運だ!ハァーッハッハッハッハッ!」


 それは、エイギスに対しての言葉だったろうか。

 狂ったように、壊れたかのように。

 小さなその妖精は、誰にともなく笑い続けた。

 

 確かに運命なのかもしれない。

 今日ここで、この場所で、あの人間が現れたのは、運命以外に考えられない。

 あの、心底諦めの悪い、執念深い運命の神であれば、そのようなことをしても不思議ではない。

 だが––––––であれば何とも運命というものは残酷なものであるのか。


 こいつに、この神に。

 誰がこれ程までに、かくも残酷な希望を提示できるのだろうか。


「もう一度だ!これでもう一度俺はあいつに––––––あの王に!」


 アルゲンは、眼下の人間から目を離さない。

 しかしその瞳は、既にかの人間を見てはいない。

 その瞳が映すのは、きっと––––––、


(そうか、まだ、囚われてるのか)

(十二年前からずっと、お前も––––––俺も)

 エイギスはふと瞑目し、再び目を開けた時、その顔を大きく歪めて––––––わらった。


「キハッ––––––キハハハハハッ!」


 嬉々として––––呵呵として。


「いいぜっ付き合ってやるよ最後まで!今度こそな!」


 狂ったのでも、壊れたのでもない。

 最初から自分達はそうであったのだと。


 二つの神の哄笑は木々を揺らし、霧を揺らし、そしてこの先彼らの棲まうこの森の運命そのものを大きく揺るがすことを、まだ誰も知ることはない。

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