第5話 反撃

 喉元目がけて振り抜かれた鉤爪が首の動脈を掻き切る紙一重のところで、慶次は鉤爪の間に腕を滑り込ませて、体を仰反った。

 しかし完全な回避は間に合わずに、腕の肉を抉り取られ、血飛沫が視界を踊る。


 だがその瞬間、慶次は見た。

 宙を舞う血飛沫が、先程と同様の淡い光を孕んでいたことを。


 一瞬––––––ほんの一瞬だけ慶次はその現象に目を剥き、怪人が続け様に繰り出そうとしていた追撃を視界に捉え、すぐさまその場から距離を取る。

 しかし先刻既に重傷を負っていた慶次が更なる失血で受けたダメージは大きく、膝から下の力がふっと抜け、崩れ落ちそうになるのを木の幹にもたれ掛かってなんとか踏み留まった。


「ふっ––––––ふっふっふっ、はっ」


 当然息は絶え絶えに、脂汗と冷や汗が混ざり合った汁が全身から流れ落ちる。


(チッ、こいつ倒す云々以前に、そろそろ失血死しかねないな……)

(まず止血しねーと……だが–––––)


 慶次は既に虚になりかけた目で、少し離れた位置にいる怪人に視線を持ち上げた。


(そんな暇、くれるわけねーよな)


 へっ、と自嘲気味に慶次が笑うと、応じるように怪人も口元をギチギチと鳴らした。

 その反応に、慶次は怪訝に眉根を寄せる。


(笑った?いや、まさか……)


 怪人が突然見せたまるで人間のようなその仕草に、慶次が疑念を抱いたのは一瞬。

 次の瞬間、その疑念は確信に変わる。

 怪人は、ひとしきりギチギチと口を震わせると––––––ベロリ、と。

 鉤爪に付着した慶次のその血を、血よりも赤い長い舌で舐めとったのだ。


「––––––っ⁉︎」


 途端、怪人の口元は、ボロボロと剥がれ落ちる。

 それは、割れた仮面の如く。

 剥がれ落ちた下からは、まるで人のような口元が覗いていた。

 こちらを俯瞰する怪人のその口元は、ニヤリと醜悪に歪んでいて。


「………ハッ、美味いかよ、俺の血は」


 頬を伝う冷や汗を誤魔化すように、慶次は笑ってそう返し、同時に確信する。


(間違いねえ……こいつ、知性がある)


 どれ程の知性かは分からない。ただ、こちらをいたぶり、それを悦ぶような–––––本能のままに獲物を狩る虫けらには当然備わっていない類の知性があるのは間違いなかった。

 そして慶次は、『悪意』と呼ばれるその知性を持った生き物を、人間以外に知らない。


「……急にお前と仲良くなれそうな気がしてきたぜ」


 なんて軽口を叩きながら、慶次は冷や汗の理由がそれだけではないことを感じていた。

 慶次の血を舐めたその瞬間から、怪人から迸る光が段違いに増した。

 比例するように、肌から感じる圧迫感もより強く––––鋭利なものへと。

 そして怪人はゆっくりと–––––狙いを定めた獲物に対して勿体ぶるように、絶望感を植え付けるようにゆっくりと、慶次に歩みを進める。


 歯噛みしながら、慶次は手斧を握る手に力を込める。

 まだ何にも、何一つも分かっていない。

 怪人の弱点も、あの光の正体も、この状況の突破口も、何も。

 考えろ、考えろ、考えろ––––––と自分に念じながら、慶次はこれまで見聞きした情報を目まぐるしく脳内で繋いでいく。


 ––––––森––––––霧––––––水の溢れる瓶–––––––怪人––––––二人組––––––神––––––異世界––––––謎の光––––––手斧––––––妖精の言ったこと––––––光持つもの––––––分からなければ死––––––光?––––––光……。


 ふと、瞬間閃く。


 光––––––それを初めて見たのは、たった一瞬、あの二人組が怪人と交錯した時。

 バンダナの男は光を纏った剣で、怪人の体を切り裂いていた。

 そしてその次、怪人が切り刻まれた肉体を再生させた時にも、同様の光を放っていた。

 つい先程も、怪人の肉体に唯一傷をつけたのは、バンダナの青年の放った手斧が光を放っていた時のみ。当然怪人はそれもすぐさま再生させていたが、しかし確かに、あの固い肉体を切り裂いたのは、青年の手から放たれた手斧が光を纏っていた瞬間。

 つまりこの怪人に攻撃を通すには、あの光が鍵。


 そして思い出せ。

 あの妖精はあの時、なんと言っていたか。

 

 ––––––よく見てみろ周りを、そのトンボ野郎だけじゃねえ。その光はあらゆるものが持っている。木々も、虫も、苔も、この俺様や–––––お前だってな。


 妖精は、確かに言った。

 光を持つのは怪人だけでない、慶次もまた持っていると。

 そして光を持つものの共通点。

 怪人、木々、虫、苔、あの二人–––––そして、自分。

 それらに共通するもの––––––、


「––––––命」


 無意識に口に出たその言葉が、しかしストンと腑に落ちた。

 命の灯火、魂の光。

 言葉にすればまるで陳腐に聞こえるが、しかしあの光の正体がそういう類のものだとするならば––––––。

 

 これ以上考えている暇はない。疑っている余裕もない。

 目の前には既に怪人が迫っている。

 後はもう、最後の望みにかけて実践あるのみ。


 怪人の口が哄笑するように開かれる。

 振りかぶられた鉤爪が––––––二本。

 掬い上げるように振るわれた鉤爪が––––––二本

 上下左右に分たれて、追い詰めた獲物を逃すまいと、四方から挟撃する。


(ここだっ)

(ここで、命を、燃やすっ!)

「ぬああぁぁぁぁぁぁぁあっ!」


 咆哮と共に、慶次はガラ空きになった怪人の胴体へと、手斧を振るった。

 そして光が––––––爆発した。


◆◆◆◆◆◆


 慶次は顔にパラパラと落ちる砂塵に、目を覚ました。

 どうやら急な衝撃に吹き飛ばされ、地面に倒れ込んでいたようだった。

 くぐもった呻き声と共に体を起こすと、辺りには土煙が舞い、地面が浅く抉れている。

 一体何が––––––と意識を周囲に向けると、頭よりも高い位置から、ギイィと呻くような鳴き声が聞こえた。


 そちらに視線を向ける––––––すると、先程目の前にいたはずの怪人が、数十メートルは離れた位置にある木の幹にめり込んでいた。


 体が半分押し潰されるようにして、紫色の体液が木の幹を伝って垂れ落ちている。

 先程の爆発の衝撃を物語るその姿に、慶次はハッとして自分の体を確認する。

 そして直後、自分の体の異変に気がついた。

 あれだけの衝撃、怪人の肉体の損傷。

 にも関わらず、慶次の体には傷一つなかった。

 しかし明確に先程までとは異なる点が一つ。

 

「何だ––––––これ……」


 視線を向けた、自分の手。

 その手は、薄ぼんやりとではあるが、淡い光を纏っていた。

 否、手だけではない。

 その光は慶次の全身に及び、それがまるで鎧のように、慶次の体を衝撃から守っていたようだった。


「グギャギャギャギャギャギャッ」


 そこに響き渡る、すり潰したかのような哄笑。

 見れば、木の幹にめり込んでいた怪人は全身を泡立たせながら再生し、血反吐を撒き散らしながら喜色に満ちた笑みをこちらに向けていた。


 もう回復したのか––––––というより、慶次は寧ろ、怪人がどう回復したのかに意識を向けていた。

 先刻まではただ驚愕するしかなかったその現象を、己の中の常識の色眼鏡を外して観察する。


 そう思考を改めた途端、視界が一気に開けた気がした。

 ただひたすらに眼前の怪人にばかり意識を取られていた先ほどまでとは違い、今は周囲にあるものの動きや色が微に入り細に入り把握できるようになり、視界に移る全てのものの解像度が上がった。

 心なしか、辺り一面を覆っていた濃い霧も、薄くなった気さえした。

 

 そしてその開けた視野だからこそ、慶次は怪人の肉体に起きている現象を認識することが出来た。


(やっぱり、あの光か……)


 怪人の肉体の損傷は泡立つように再生していく。

 しかし凝視すれば、回復する部位––––––泡立った箇所だけ、より強い光が纏わりついている。


(なるほど)


 原理は分からないが、どうやらあの光が肉体の損傷を回復させていることは間違いないようだった。

 そして、原理など分かる必要は今この状況ではまるでない。

 原理は分からずとも、理由が分かったのならば––––––


(なるほど、つまり)


 つまり、自分も同様のことを出来る筈なのだから。


(こうか?こうか?こうかぁ〜?)


 自分の傷口に手を当てて、慶次は首を捻る。

 しかし実際、さして難しいことではなかった。

 この光の正体が、自分自身の命の輝きそのものならば。


「–––––こうだろ」


 ならばただ、生きようと強く思えばいいだけなのだから。

 内から湧き上がる体の火照りに、慶次は思わず破顔する。

 それは先ほどまで失われていた、生命力そのもの。

 生への渇望、命の輝き、魂の熱。


 傷口が熱い。

 痛みに–––––ではない。

 それは、血液と共に失われていた体温が戻った証の熱さ。

 燃え盛る命の熱さそのものであった。

 血は、いつの間にか止まっていた。

 どころか、まるで生まれ変わったかのように、活力に満ちて–––––否。

 満ちてなどいない。

 肉体から溢れんばかりのその活力は、事実慶次の肉体に収まり切らずに、淡い光となって全身を纏うように表出する。

 そして、


「………なんだよ、待てができたのか、お前」


 再び、怪人と視線がぶつかる。

 すっかり元通りになった身体は、先刻までよりも小さく––––しかし洗練され逞しくなった印象を受ける。

 怪人は木の幹に垂直にしゃがみ込むような形で、こちらの様子を伺っていた。

 いや、舌舐めずりをして待っているその表情は、まるでこちらの準備が整うのを待っているかのようだった。

 狩られる獲物の–––––––或いは、遊び道具の。

 だから慶次は、諸手を挙げて応じた。

 

「ああ––––––いいぜ、来いよ」 


 怪人は応じた瞬間、立てた羽を震わせて、一直線に慶次の元へと飛び込んでくる。

 そして慶次は開いた両腕で怪人を迎え––––––、


「っらぁッ!」


 ––––握りしめた手斧で、地面に叩き落とした。

 

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