第4話 光
「くっ––––ううっ!」
迫り来る怪人の鉤爪を体全体を使って仰反ることで躱し、続く二撃目を手斧でいなす。
そうした紙一重の攻防を繰り返しながらも、慶次は冷静に対峙する怪人の弱点を探る。
怪人とはいえ生命を持つ一生命体である以上、そこには必ず弱点が存在する筈だ。
例えば、生命機能の大半を維持している最も重要な器官である頭部。人型をしている以上、その頭部を破壊して仕舞えば間違いなく絶命は免れない。
目の前の怪人もその例には漏れない筈なのだが、しかし問題なのは彼我の圧倒的なまでの体格差であった。
慶次の身長は177センチジャスト。
一方で現在のトンボの怪人の身長は、低く見積もっても2メートル30は越している。
この体格差で慶次が怪人の頭部を狙うには、手斧ではどうしても手を高く振り上げる必要がある。
つまりそれは、一瞬とはいえ怪人に対する絶望的な隙を作ってしまうことになるのだ。
加えてこちらは攻撃手段を手斧しか持たないのに対し、あちらは鍵爪のついた手足が六本、それに刃物のように振るわれる翅も四枚あるときた。
最初の段階からどう足掻いても詰んでいた。
だが、
「攻撃が軽い、なっ––––!」
ガイイン、と。
金属音を上げながら、慶次は初めて怪人の鍵爪をいなすのではなく跳ね返した。
腕を撥ね上げられた怪人は体勢を崩し、慶次はその隙を逃さずガラ空きになった胴体へと手斧を走らせる。
「ちいっ––––!」
が、手斧は胴体へと届くことなく、残る三本の腕に阻まれる。
慶次はすぐさま怪人から距離を取り、手斧の刃を確認する。
(刃毀れはない……それに、思った通りだ)
思った通り、想定通り、仮説のままに。
怪人の体重は、恐ろしく軽かった。
それもその筈、怪人と形容するほどに巨大な体躯を誇る目の前の化け物は、しかしながら飛行する生物である。即ちそれは、飛行に適合するための当然の代償として、その肉体は極度に軽量化されることは免れない。
よって、鋭い爪がいかに脅威であろうと、そこに重さが加算されない分一撃必殺の攻撃とはなり得ていなかった。
しかしそれも、今のところは、だ。
例え一撃一撃が致命的なダメージとはなっていなくとも、積み重なれば確実に出血で死に至る。それ以前に、ダメージの蓄積で隙が生まれたところをぐさり、というのもあり得る。
現状慶次の肉体にはこれといったダメージこそないものの、それもいつまで保つかは分からない。体力とて無尽蔵ではない。手斧を振り続ければ腕も上がらなくなるし、怪人の攻撃を避け続ける集中力もいつまで続くか分からないのだから。
となれば、一見すると膠着を保つこの状況は、寧ろ慶次の生存の可能性を刻一刻と削っているようなものである。
さて––––ではどうするか。
死中に活を見出すには、こちらから打って出ねばなるまい。
しかしそこで再び冒頭の問題にぶち当たる。
守るはジリ貧、攻めるも窮する。
まさに手詰まり、真綿はとっくに首を絞めている。
慶次はチラリ、と意識を頭上に向ける。
そこにいるのは、こちらを見下ろす二人の神––––––と。
(………ん?)
見上げた先にあったのは先程通りの憎々しい表情で薄ら笑う、妖精の顔。
そしてその横にあったのは、先程とは打って変わってこちらに警戒の視線を送る、バンダナの青年の顔だった。
その顔は、一体どういう––––と、慶次が思考を続けるのを阻害するように怪人の繰り出した攻撃が、目の前に迫っていた。
「ちっ––––––!」
これまで通り、慶次は繰り出されたその鉤爪を、紙一重で躱し–––––
切り裂かれた。
「⁉︎––––––カハッ」
躱した筈の鉤爪が通過した、左肩から腹部に至るまでをざっくりと。
視界に自分の体から吹き出した血が華開き、同時に体から力が抜け落ちるかのようだった。
腰がカクリと落ち、地面にへたり込みそうになるのをなんとか気力で持ち直して、慶次は続く二撃目が繰り出される前に、左手で溢れ出る血を掬って怪人の複眼にかけ、目潰しに利用する。
『ギィイイイ!』
突如として視界が暗転した怪人は驚いたように叫び、顔を覆ってたたらを踏む。
その隙に乗じて、慶次はその場から距離をとって、木の幹に背を凭れてへたり込む。
だがその脳内はこれまで以上に混乱していた。
(なんだ、なんだ、なんだ今の、何をされた!?間違いなく躱した筈だぞッ!)
躱した。それは間違いない。確実に躱した瞬間までを目で追っていた。
だからこそ、慶次の視界はその瞬間自分の身に何が起きていたかも捉えていた。
怪人の鉤爪を紙一重で躱した慶次の体が、鉤爪と同じ形に引き裂かれるその瞬間を。
怪人の鉤爪から伸びた、どす黒い薄紫の光によって。
故に慶次の脳は、視界から送られてきたその光景をすぐさま受け入れない。
何が起きたかを見てはいても。
何が起きたかを理解できない。
噴き出す血は止まることなく、反比例するように心臓が早鐘を打つ。
そして、慶次が何一つ理解する間も無く、怪人は拭いきれない血を複眼に滴らせたまま、こちらにぎゅるんと頭を向けた。
「––––––クッ!」
振り向いた怪人の全身からは、先ほどの薄紫の光が迸っていた。
湯気の如く、揺蕩う炎の如く、視界を歪めて、歪な怪人の体を更に歪に見せている。
その姿に、慶次は改めて自分の相対するモノが人外の化物であると再認識させられる。
「……なんなんだよ一体……なんなんだよお前っ!」
「クックック、分かんねえなぁ。分かる筈がねえよなあ、お前には」
だから、そんなやぶれかぶれの自分の叫びに、返ってくる声があるなどとは思ってもみなかった。
気がつけばすぐそこ、慶次の目線の高さに、金髪の妖精が降りてきていた。
あぐらをかいたまま、体を逆さまに空中に浮かせて、ニタニタと目を細めたまま、妖精は続けた。
「けどよ、分かんなきゃお前、死ぬぜ」
「てめえ……」
「よく見てみろ周りを、そのトンボ野郎だけじゃねえ。その光はあらゆるものが持っている。木々も、虫も、苔も、この俺様や–––––お前だってな」
「俺も?それってなん–––––ッくっそ!」
慶次が聞き返す前に怪人が二人の間に突進して、会話の続きを遮った。
地に尻をつけた状態だった慶次は、そのまま横に転がることで怪人を躱すが、体を捻ったことで傷口が更に裂け、地面に鮮血が広がった。
「ぐうっ」
しかし痛みに悶絶している暇などない。
慶次は震える足を叩きながら立ち上がり、再び怪人に手斧を向ける。
すると、その視界の端でキラキラと光るものが空へと登っていくのが見える。
それは、手を振りながら慶次の元から離れる妖精の姿だった。
「おいてめぇ!思わせぶりなことだけ言って置いてくんじゃねえよっ。最後まで説明しやがれ!」
「知るか、後はてめえで考えな。生き残る道はそこにしかねえんだからよ」
ギャハハハ。なんて、邪悪な笑いを木霊させて、妖精は元いた木の枝の上へと戻っていった。
慶次は呪殺せんばかりの怨嗟に満ちた視線でその小さい背中を見送りつつ、歯軋りしながらも目の前の敵に集中し直した。
(ちっ、邪魔が入ったが仕切り直しだ)
(光………光?光ってなんのことだクソが。ファンタジー世界の住人が。そんな漠然とした説明だけで分かるわきゃねー––––––いや……待て)
「なんだ……これ」
その呟きは声となって、慶次の口から溢れていた。
うっすらと、それは言われて初めて意識の中に引っかかりを覚える程度の儚いものではあったが、しかし確かに。
慶次は突き出した自分の腕が纏う、淡い光を認識した。
否、それは突き出した腕だけではない。
慶次の全身もまた、光を持っていた。
それだけでない、あの妖精の言う通り、視界いっぱいに広がる木々も、岩に生えた苔もまた同様に、淡い光を放っている。違いを上げれば、各々で放つ光の色が若干異なる程度だろうか。
「これは………!しまっ–––––」
その光に慶次が気を取られている隙。
無意識の死角に潜り込んだ怪人は慶次の喉元に迫り、鉤爪を下から掬い上げるように振り上げ––––
鮮血が、舞った。
◆◇◆◇◆◇
パタパタと飛び上がってくるアルゲンに、エイギスは首を九十度に傾けながら、怪訝な顔を向けた。
「なんでわざわざあの人間にアドバイスなんてしてやったんだ?」
「ん?ククッ、いや何、ちょっとばかしこのまんまじゃつまんねーんでな。ああ言ったら一体どうなんのか気になったのさ」
「はーん?」
エイギスはその答えに、理解したのかしていないのか曖昧な生返事を打ちつつ、
「でもよぉ、『裏』の奴らにそんなこといきなり言ったって、すぐに理解出来っこないと思うがねぇ」
エイギス達からすれば、あの人間は『裏』––––––向こう側の世界の住人である。
あちらからすればこちらの方が『裏』なのかもしれないが。
こちらとあちらでは、万物の法則は愚か、世界そのものの理すら異なる。
そのため、あの人間にあの『光』について教えたところで、すぐさま理解できる––––––ましてや、使いこなせる筈がない。
そう思ってのエイギスの言葉だったが、対するアルゲンは肩を竦めて、くいっと顎をしゃくって眼下を示した。
「いいや、そうとも限らねーぜ––––––ほら」
「…………!」
指し示られて向けた眼下の光景に、エイギスは思わず目を剥く。
その目に映ったのは、鉤爪を振り下ろす、怪人の姿、
そしてその鉤爪を正面から手斧で切断した、人間の姿だった。
「ああ、出来ないわけがねえ。お前が本当に、英雄の魂の持ち主なら」
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