第3話 始まり

 相対する怪人に対し、慶次は手斧を持った右腕を突き出すように構え、半身になる。

 怪人は先程切断された翅を顔を半回転させながら確認すると、怒り狂ったような叫び声を上げ、ブルリとその翅を震わせた。すると切断された翅の断面からは、先程のようにボコボコと泡が立ち、やがてはそれが元の翅の形に形成される。


(––––––さっきも見たが、一体どういう仕組みだ)


 先程も今も、怪人は超速再生とでもいうべき脅威の再生能力を見せた。無論、慶次の知り得る限りにおいて、あのような再生力を持つ生命体は存在しない。


(ていうか、あんなにポンポン手足生えてくる相手、本当に殺せんのかよ……)


 疑問である。

 ついつい売り言葉に買い言葉、その他諸般の状況から勢いで言ってしまったものの、今更ながら慶次は目の前の怪人に自分が勝てるイメージをこれっぽっちも抱くことが出来なかった。

 そんな思いを描きながら、慶次は目の前に突き出した手斧の柄を手汗で滑らないように握り直す。


 そう。まだ完全に希望がない訳ではない。

 それこそが、今自分が手に握っているこの手斧である。

 この世界において、慶次は未だ何の知識も持たない。故に慶次はここまで自分で見聞きしたものを材料にここから全てを判断するしかない。そしてここまでで慶次が集めることのできた材料の中で、明確に理解していることが二つだけある。

 一つは、目の前の怪人が再生能力を持つ化物であるということ。

 そしてもう一つは、未だ高みの見物を決め込んでいるバンダナの青年は先程、その怪人に対し一定のダメージを与えていたという事実である。

 それがあの青年自身の力量なのか、それともこの手斧自体の性能なのかは判然とはしないが、いずれにせよこの手斧が怪人に対する武器として、一定の信頼のおけるものであることは確かである。


 さて、ではどのようにあの怪人を倒すか、だが……。

 すぐさま思いつくのは、手斧を用いたヒット・アンド・アウェーに徹することで、徐々に怪人の体力とその肉体パーツを削っていく地道な戦法であるが–––––それはすぐさま思いついたように、すぐさま却下する。

 つい先程、身をもって立証されたように、慶次があの怪人からアウェーに徹することは不可能である。

 当然だ。何しろ相手には慶次と違って翅–––––空があるのだから。

 この森のような、せり出した木の根や岩のような障害物しかない地上を、平面的に逃れるしかない慶次と、空を突くような巨木を除けば阻む物の何一つない空を移動できる怪人とでは、舞台のアドバンテージがどちらにあるかなど考えるべくもない。

 運よくヒットさせたところで、アウェーに転じた瞬間捕食されるのが目に見えていた。

 言い加えれば、その運よくヒットさせた攻撃も、怪人のあの再生能力がある限りアウェーすることが寧ろ再生の時間を与える結果にもなり得る。それでは本末転倒だろう。


 では次点として思いつく策としては、それでも一縷の望みに賭けてヒットを諦めた徹底的アウェーを決め込み、何とかあの怪人の魔の手を掻い潜りながらもしかしたら自分同様にこの森に来ているかもしれない他の二人を探し、合流した二人と共に怪人に対して波状攻撃を加え、数の暴力で押し切るという戦法である。

 さしもの怪人といえど、人間様の最大の武器である数を盾にすれば–––––盾にも矛にもすれば、滅せぬ必然性はどこにもない。

 それに矛という意味で言うならば、あの二人の内の一人は間違いなく人類最高峰の矛なのだから。

 正直もう一人は論外。


 しかしこの案も却下せざるを得ない。

 理由としては一つ目の案に同じではあるが、それ以上にこの策は、あの二人がこの森のどこかにいるという慶次自身の希望的観測に立脚した案だからである。


 確かに認めよう。ここは異世界である。

 自分はいわゆる異世界転移というものに巻き込まれたと言うらしいことも、厳然たる事実である。

 しかしその二つを認めたところで、あの場所、あの時間に慶次と共にいた二人も同様にこちらの世界に転移し、この森のどこかにいると考えるのは、あまりに安直であろう。

 それこそ、慶次が心の底から怨嗟していると言ってもいいご都合展開そのものだ。

 ではこの案もなしとすれば、次に思い浮かぶ案としては、いっそのこと頭上でこちらを見下ろしているあの自称神様達に土下座して助命を乞うか。


 ふっ––––と、慶次は自分のその思いつきを、自嘲気味に鼻で笑う。

 自分でもなぜそんな考えが浮かんだのかすら理解出来ない程に愚かしい思いつきに、つくづく自分が矮小な人間である事を思い知らされる。

思いついて––––思い知る。

 ここまできて思いつくことが前言を翻しての泣き寝入りなんて、そんなどこまで行っても主人公の器ではない自分自身を知って、これ以上実現可能な案もまた思いつかない事を知って、慶次は深く溜め息をついた。


(仕方ねえ……やるしかねえか)

(主人公らしく–––––正々堂々、真向勝負ってやつを)


 さて––––と。

 慶次は長い––––しかし時間にすれば瞬きの間の思考を切り上げて、再び意識を目の前の怪人のみに集中させる。


「行くぞ、バケモン」


 言葉が通じる訳でもない相手にそう告げて、慶次は全力で駆け出した。


◆◇◆◇◆◇


「どーゆうつもりだよー、アルゲン〜」


 樹の上で、バンダナの青年––––エイギスは、視線を遥か地表で自分の与えた手斧を振るい、トンボの怪人と文字通りの死闘を繰り広げる人間に向けたまま、自分の肩のあたりを浮かぶ金髪の妖精に、そう問いかける。


「どーゆうつもりって、それはこっちの台詞だぜ。てめえ、なんであの人間に肩入れしやがった」


 エイギスの問いかけに、金髪の妖精–––––アルゲンはそう言って、不快気に眉根を顰めて問い返した。


「おいおい、それは解答になってないなぁ。俺はお前が、どうして、する必要もない手間を払ってまであの人間とトンボ野郎を殺し合わせるのか、その理由を聞いたつもりだったんだがよぉ〜?ああ、ちなみに手斧をくれてやったのは、心の底からの同情からだぜェ」


 神の慈悲って言ってもいい––––と、エイギスは嘯いた。

 全く、どこまで本気なんだか分からない。

 いや、こいつは––––この神は、自分と出会った時からそうだったな、とアルゲンは思い出して、批判の矛先を向けるだけ無駄なことを悟った。

 馬鹿馬鹿しくなって、アルゲンはハンッ、と鼻を鳴らす。


「そんなんどうせ必要ねえよ。あいつには」

「あいつって––––随分知ったかぶるじゃねえの。なんだ?さっきは言わなかったけど、実は昔馴染みだった、ってやつか?」

「昔馴染みじゃねえが、知ってる。とは言っても、知っているのはあいつ自体じゃねえがな………」

「あん?何だその言い方。匂わすねぇ」


 アルゲンはしばし黙り込み、幾許か考える素振りを見せた後、エイギスに向けて確認するように言葉を投げかけた。


「……お前、霊視出来たよな?」

「ああ……それが?」


 エイギスは首肯し、首を傾げる。

 霊視––––即ちそれは、物質的なものではなく、そこに宿る霊的な力や流れを感知するための、初歩的な技術のことである。より厳密にいえば、ここで言う霊的な力というのは、大半が万物に宿る魂を対象にする。

 霧の森の神であれば––––いや、神でなくともこの森に住まう者であれば、皆等しく会得している技術である。

 そんな、聞くまでもないようなことを態々聞いてくるアルゲンを怪訝に思い、視線をそちらに向けると、アルゲンは顎をしゃくって眼下の人間にエイギスの視線を導く。

 訝しみながらもエイギスはアルゲンの意図通りに視線を人間に向け、その瞳にポウッ、と光を灯して––––腰を浮かび上らせる。


「––––––––ッマジかよ……ッ」


 エイギスの驚きは霊視した人間の魂–––––その魂の形を見て。

 

「あの人間、『代行者』かっ!それもこいつは–––––ッ」


 エイギスは咄嗟に視線をアルゲンへと戻す。

 視線を向けられたアルゲンは、目だけエイギスに向けると肩を竦めて応じた。


「おいおいおい……流石にそりゃ洒落になんねーぞ。それじゃお前––––」


 と、言いかけたエイギスの言葉を、アルゲンは遮った。

 遮った––––と言っても、その小さい指をぴんと立てただけだったが。


 そしてアルゲンは告げる。

 始まりを––––或いは終わりを。


「ああ、ついに始まったのさ。運命の神が仕掛ける、二つの世界の英雄が世界の覇権を争う––––」


 ––––『代行戦争』がよ。

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