25.5話


身体密売人殺害事件から数週間。事態は目まぐるしく動いていました。

「怖いよぉ。夜道なんか歩きたくないよ・・・。」

そんな事はただの世間話でしかないハニーは、急用で街に出かけ、森に挟まれた道を渡って帰路についていますした。時間は夜。月明かりがなければ足元さえ見えないほど真っ暗。いつ野生の凶暴な動物が現れるのかと、臆病な兎の獣人のハニーもビクビクものです。背中を丸め、膝も曲げて、耳まで下がって、全身と表情に恐怖をあらわにしています。

「うぅ・・・うひゃあああ!!」

周りをキョロキョロしていてちっとも下を見ていませんから、道の真ん中に落ちていた新聞紙に気づきもしないし、それを踏んだ時の音と感触だけで飛び上がるほど驚いてしまいには腰を抜かしてしまいました。やれやれ、本当に獣に遭遇した時はどうなるのやら。

「・・・およよ?」

しわくちゃの新聞紙を広げ、最初に飛び込むのは「少女が自宅で殺害」という大きな見出し。なんとなく周辺の文字も小声で読み上げます。

「殺害事件・・・殺害されたのは・・・身体密売人を殺害した少女は国から・・・円の大金を報酬として受け取り、犯行はそのお金を・・・家から盗まれ・・・ふんふん。ま、いい顔しないひともいるからねえ。だからって女の子を殺すなんて・・・。」

自分の感想を呟いた後、起こったことの内容を大体把握したところで元どおり以上にぐしゃぐしゃに丸めて放り捨てました。

「こんなの見たら余計怖くなってきた。こうならな走って帰るか。」

襲ってくるのは野生の獣だけではありません。むしろ、怖いのは・・・。本当に何が起こるかわかったものじゃないので、足早に森を抜けようとした時です。

「なんだ?賑やかだな。」

ハニーの長い耳は森のはるか向こうの物音に反応します。なにやら、たくさんのひとの声がバラバラに、かつ、重なって聞こえました。耳を澄ませて立ち止まると。突如、近くで爆発が起こりました。

「どわあああああっ!!」

これには驚かないわけがない。さっきまで暗い森が、炎の明るさに照らされます。ああ、この森の木って案外低いんだな、と関係ないことまで考えてしまって。皮肉にも木の姿が影となって鮮明に姿を晒したものでした。いや、それよりも。少し冷静になったハニーの頭の中は「なんで?」でいっぱいです。なにが起こったのか理解できるはずもなく、ただただ彼は、朦々と煙が湧き上がってきたのと熱を感じるほど近くなってきたことにより、逃走本能が足を勝手に動かしていました。


「なんで!?なにがあったの!?」

一生懸命走ります。これだけ走れば大丈夫かって?そう信じてばかりいました。でも、おかしいな。炎も駆け足で彼を追い抜いていきます。あの時、聞こえてきた声の正体を察しました。おそらく悲鳴なのだと。山火事?でも爆発したのは一体?ああ、気になるけど、今は気にしている暇があったら少しでも遠くへ逃げなくては!

「はぁ・・・はぁ・・・。」

すると、前方に蹲る二人の影が。

「ママ!ママ!!」

母親と幼い子供です。母親は、ほぼ全身が真っ黒焦げで、子供はそんな母親の肩を揺さぶって泣きじゃくっています。ピンピン動けるハニーの姿を見て、助けをこう目を向けます。

「おにいちゃん、ママを助けて!」

彼女の前にしゃがみ込み、顔より先に足を見ます。足が一番、ひどい火傷を負っていて、だめ元とはわかりつつ尋ねてみます。

「・・・動けますか?」

女性はゆっくりと首を横に振りました。消え入りそうなとてもか細い声で。

「この子だけでも、どうか・・・。」

と、見知らぬ誰かに我が子の命を託しました。ハニーは気づいています、あの足ではもう走れないと。連れて行けば、早く逃げられず、ど足手まといになることも。選びたくない選択肢ですが、彼女がここまでして守った命と託した願いを無下にしたくはなかったのです。ならば、することはただ一つ。

「ままぁ〜!!」

細い腕を掴み上げ、強引に走らせます。当然、子供は納得いかないに決まっています。でも無理やりにでも走らせます。

「ママはもう動けない!!あそこにいたら、君まで死んじゃう!君に生きてほしい、ママのお願い聞いてあげなきゃ!」

果たして彼の説得が届いているだろうか。いえ、お互いの心にそんなの余裕があるものですか。走って、走らされ。それだけです。しかし彼らを止めるものが。

「えっー・・・。」

行き止まりです。いいえ、この先に道があることはわかります。ただ、道を炎に覆われた大きな石が通せんぼしているのです。ちょっと落ち着いて考えれば、道を外れて森の方を通れば向こうに行けますが。身の丈以上の火の塊に足がすくんでしまいました。ハニーはひとまず引き返そうと振り返ると、そこに子供の姿はいません。

「おにいちゃあああん!!」

声がした方向を探ると、大きな鳥の嘴につままれ、宙に浮かんでいます。呼び止める間もなく、彼は連れ去られ、遥か上空へと吸い込まれていきました。

「どうして・・・。」

静かな森を侵す禍々しい炎、怒号、絶叫、獣の鳴き声、樹々の焼けた乾いた臭いと、肉の焼ける臭い。鳴り止まない阿鼻叫喚に耳を塞ぎたくなります。それは近くで聞こえるものではありません、自分の頭の中にある似たような記憶がより大きな音で掻き乱してくるのです。


そしてまた逃げ出すのです。今後は度重なる恐怖から目を逸らすために。




「アリス!ごめんね!急に呼んで!」

翌日、例の死体処理場にて。今日はアリスはシフトは入っていませんが、手が足りないということで急遽ヘルプを呼ばれたのです。

「よそで死体が増えてさぁ!処理が間に合わないからこっちにも回されて、それでさえこの量だぜ!」

同期も上司もてんてこまい。身を粉にして働くとはこのこと。・・・身を骨にして横たわっている者もいますが、別の話。アリスは業務服に着替え、颯爽と作業台の前。

「・・・どれも真っ黒焦げじゃない!」

見る限り、どこの作業台にも歪な形をした炭みたいなものが並んでいます。

「山火事だとよ。それも村一番焼けるほどのな。」

「ふぅん。」

アリスは起こったことよりも死体の方に興味があります。目の前にある死体は他のに比べると一際小柄です。察するに、これは・・・。

「まあ、こんな小さな子供まで。」

「今日は残業だな。稼げると思ってやらないと正気でいられねえぜ!!ボーナスも出るんだろうな!?ったく!!」

後ろで独り言を叫びながら上司が新しい死体を運びます。その言葉でアリスは、これが仕事だということを改めて認識して、黙々と作業に取り掛かりました。

「死体蹴るな!!」

「じゃあここに置くなよ!手が塞がってんだこっちはよ!」

「置くとこなかったんだから仕方ねえだろが!」

忙しさは時に、普段大人しくしている本性さえ剥き出しにさせてしまいます。いまやここも地獄。物言わぬ死体は一体、どんな地獄を見たのでしょう。


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