23.5話

アリスは雨の日が嫌いです。洞窟で閉じこもっているしかないのですから。傘はって?買おうと思って、いつも忘れるのです。

「ふぁ〜あ。」

アリスは退屈が嫌いです。退屈と考えるのも嫌になるので、大の字になって暗い天井を眺めていました。頭が空っぽのときは、たまに「今それ?」みたいなことを思い出します。

「あれはなんだったのかしら?」

一週間前の出来事でした。屈強な男の人たちに襲われていた女の子を助けて、確かその際に自分の腕がなくなったはず。あの痛みだけはしっかりと覚えていました。しかし、その後からの記憶がなく、気づいたらここに戻っていたのです。痛みはなく、腕は元どおり。明らかにおかしいことだとはアリスだってわかっていましたとも。自分の身に一体何が起こったのか、悪魔に聞こうとしましたが、あれからうんともすんとも言わないのです。変なことがあった上に違和感だらけ。そばにいるのが当たり前の誰かが突然いなくなると、いつもどおりの毎日がこんなにも変に感じるだなんて。


退屈、そして、心細くて。

アリスはこの世界にきて、初めて寂しいという気持ちになりました。

「アリス、どうしたの?」

いいえ。彼女はまだひとりぼっちではありません。

「浮かない顔して。」

マルコという、ペット・・・今では、彼は家族です。血は繋がってなくてもこうやってずっと過ごしている彼は少なくともアリスにとってはそうでした。小さい体で軽々と飛び乗って、アリスの胸の上に寝そべります。なんと可愛らしい仕草!

「・・・退屈なのよ。」

人差し指で頭を撫でてあげました。

「マルコは知ってたかしら。っていうか、言ったっけ?私の中には悪魔が住んでいるってこと。」

口から出るのはため息だけ。アリスだって、言いたくないこともあります。言ったって、どうせ誰も信じてくれないから・・・。

「雨だ雨だー!」

聞いたことのある声が、大慌てで、しかも近くなってきます。

「クロさん!?」

見たことのある顔が、洞窟の中を覗き込みます。野良猫のシャムロックでした。野良だから、雨宿りにいい場所を探していたのでしょうが、仰向けで寝っ転がっているところを見られるのはさすがに恥ずかしいので飛び跳ねるようなに起き上がり、その拍子で落っこちたマルコは数回転がりました。そしてなんと、驚くことに、お邪魔しますの一言もなく足を踏み入れたのです。アリスそのものの所有物でなくても一応ここは住処なのです、許可なく勝手に入ってしかも中に腰を落ち着けるだなんてあり得ません。

「ちょっと!勝手に入ってこないでよ!」

悪びれる様子は一切なく。

「雨宿りするかわいそうな野良猫だと思ってさ〜。ま、事実なんだけど。」

雨を吸って重たくなったフードを脱いで、あらわになった前足・・・もとい、腕や足を毛繕いし始めます。彼の猫らしい仕草を初めて見た気がしたアリスは、少し腑に落ちないながらも横目で観察していました。ちなみにアリスは雨に濡れたら体を振るう癖があるので、彼女に比べたら野良のくせに上品です。マルコがシャムロックの周りをちょこまか動きまわります。

「なんだ、お前。まだいたのか。」

一瞥して終わりました。シャムロックにとってもマルコはただのネズミではありません。それに、誰かのペットを襲って食べるぐらいならたかがネズミ一匹、とくにこだわりのない彼は代わりの食べ物を探します。今度は足の毛繕いを始めたので、アリスは視線の先を外の景色に向けました。石で覆われた地面を容赦なく叩きつける音はとても冷たくて、いつも澄んだ綺麗な川も立て続けに降る雨の波紋のせいで底も見せてくれず、やや濁っています。灰色にぼやける、色味のあせた風景。まるで自分の今の心の沈み具合のよう。はたまた、この天気と景色がそうさせているのか、アリスにはよくわかりませんでした。

「これからここらも雨季に入るぜ。」

毛繕いに夢中になっていたかと思いきや、シャムロックの方から話しかけてきました。

「浅瀬はすぐ氾濫するから、引っ越したほうがいいんじゃねえか?」

心配する割にはずいぶん他人事みたいな言い方が気に入りません。同時にアリスは長らく忘れていた彼の虚言癖を思い出しました。

「嘘でしょ。」

「さーな。でもこんな川、雨季じゃなくてもすぐ溢れるだろうよ。」

・・・ごもっともでした。今だって彼のおっしゃる通り。コップの縁ギリギリにまで水を注いで外にこぼれる手前みたいな状態になっています。とは言っても引越しなんて、そう簡単に出来るものではありません。今はあれだこれだと考える気力もなく、毛繕いを終えたシャムロックと会話もなしに面白くもない外を見ているだけ。沈黙の気まずさはうるさい雨音が紛らわせます。


「余計な世話かもしれんが・・・。」

数分間のだんまりのあと、またも話を切り出したのは彼の方。今日はアリスは大人しく、シャムロックも珍しくいつもの軽薄な態度はなりをひそめていました。

「おまえはオイラみたいになるべきじゃあない。」

「どういうこと?」

これだけじゃあアリスにはなにも伝わりません。

「お前なら街でもやっていけるはずなのに。こんな森の家とはとても呼べない場所に住む必要も、食べ物を武器を持ってとらなくてもいい。住む家や食う飯も与えられる。野良じゃなくて、普通に暮らすべきだ。」

アリスは少し膨れっ面。だって、ただでさえ気分が沈んでいるのに、よりにもよって彼からそんな説教くさい話聞かされたくないものです。そもそもシャムロックの言う「普通」がアリスにはわかりません。

「普通ってなに?」

シャムロックの目が泳ぎます。頭の中にあるイメージを、うまく言葉にできないでいるのです。

「私はこれでいいのに、普通にしてないとダメなの?」

それ以上、何も言い返してきませんでした。

「それに、クロさんと会えなくなりそうでいやだわ。」

小さな耳だけが反応しました。何に反応したかは不明ですが。

「それはないだろ、多分な・・・。」

会話をひとつ終えるたびに流れる沈黙。まるでそれすらも待ち望んでいるような、二人にとってもまるで不思議な感覚です。

「なあ、オイラと一緒に暮らさない?野良同士さ、ひとりより二人の方がいいだろ?」

あまりにも頑固なアリスに諦めたのか、はたまた、ただの冗談か。

「それもいや。」

アリスがばっさり返してからは雨が止むまで、沈黙だけが続きました。


微かな湿気と生温い空気が漂う外に、ようやく洞窟から出てくれたシャムロックが曲げっぱなしの体を思いっきり伸ばします。

「んーっ!邪魔したな。」

仕方がないとはいえ、急に転がり込んでこの一言。アリスは何も返しませんでした。用事が済んだらさっさと消えてしまうのかと思いきや。

「ベネアシティってとこに行ってみな。いい空き家があるかもしれないぜ。」

助言らしい言葉を言い残して去って行きました。

「そのベネアシティってどこなのよ・・・。」

アリスは洞窟に閉じこもったままです。ですから、空にかかっている虹なんて、気づくはずもありません。





ワンダーランド東区のとある警察署。城が直接取り締まる事が多いこの国にも、警察はきちんとあります。さすがに全部の犯罪を取り締まるなんてできませんから。といっても、取り調べは至ってシンプル、最悪の場合は拷問による自白。まあ、まだ幼い女の子にできるほど、情を捨てたわけではなく。

「私がやったんです。」

取調室。小さなテーブルに薄汚れた少女と、警察官が向かい合っています。少女はこちらにきて、この一言の一点張りです。

「・・・無理だろう。どう考えても。仮に君が、魔法を扱えるとしたらああるまでに逃げれたんじゃないか?」

「私がやったといっているじゃない!どんな罰も受ける覚悟でここにいるのよ!?」

警察は頭を抱え、項垂れます。

「らちがあかねえな。」

そこで、彼はあることを彼女に教えることにしました。いずれ知らされますが、先に話せば「真実ではない事」まで話してしまうかもしれないと危惧したからです。それと、自身も警察官。国が決めたとはいえ、犯罪者に褒美を与える行為をよしとするわけがありません。

「・・・ごく一部の限られた奴にしか聞かされていない情報だが、本当だ。この国に潜伏している身体密売人を捕まえた者には国から褒美が出るんだ。」

少女は顔を上げました。曇った表情から一変、希望を見出した、救いの手を差し伸べられて恍惚としているよう。警察のいやな予感は的中しました。

「だが、仮にもお前は殺人を犯したんだ。罪を犯して、褒美をもらう。それがどう言うことかわかるか?罰だけが罰だとは限らないんだ。」

警察はあくまで少女がやったと信じていません。彼女の自白に悲しそうな様子はなく、むしろ強い意志を感じた彼は「誰かを庇っている」ような感じを覚えたのです。

「・・・私ではありません。」

少女はとうとう暴露しました。

「真実を話せば、助けてくれたあの人が罰せられるかと思い、黙っていました。その話が本当なら、褒美であれば受け取るのは私ではありません。」

取調室の空気がより重みを増します。警察はメモ帳の新しいページをめくり、ペンを執り、少女を逃すまいと鋭い目つきでとらえます。

「詳しく聞かせてくれ。イーディス=ブライアン。」

イーディスと呼ばれた少女は真剣な顔でゆっくり頷きました。

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